第128話 足跡を辿って【17】

文字数 899文字

【17】

【父の遺骨の届いた夜、母は自殺をはかった。洋裁ばさみで手首を切断しようとしたのである。
 血がいちめんにとび散り、寺山食堂の客たちが靴のままで階段を駆け上がってきた。
 母は一時的に狂っていて、私との無理心中をはかっていたらしく、「修ちゃんは? どこにいる」と私を探した。
 私は、人ごみの一番後から、そんな母をひどく客観的に見つめていたのである。
 やがて医者が来て母は抑えつけられ、おとなしくなった。この騒ぎで、父の「遺骨」は誰かに踏みつぶされ、文字通りの灰になってしまった。】

【故郷がアメリカ人たちに押収され、母がベースキャンプに働きに出るようになってから、私はどういうものか「かくれんぼ」という遊びが好きになった。
 帰りの遅い母を待つ間の退屈さ、「鬼畜米英」のベースキャンプへ就職して、(しかもメイドというきわめて低い階級の労働に甘んじている母への)近所の人たちの陰口、悪い噂などに抗しかねて、「かくれたい」と思ったのかもしれない。
 母は、父の死後しばらくは呆然として、精薄のように見えたが、思い切ってベースキャンプの求人広告「戦争未亡人優遇す」に応募してからは、髪を染めたり、豊頬手術をしたりして若返っていった。】

 夫の戦死を知った時、親子心中を図ろうとして自分にハサミを向けて迫った母ハツの、その後の驚くべき転身を、当時十歳だった寺山はどのように受け止めたのだろうか? 
 その思いは実際には、手記にある「かくれんぼ」というオブラートに包まれた「淡い思い出」のようなものではなかったはずだ。

【――三十二歳の母は、アメリカ軍将校のハウスメイドに雇われた。
 おふくろが働きに行った進駐軍の部隊名”ワイルドキャッツ”といいましたが、たまにおふくろは、雇い主かボーイフレンドでしょうか、車で送られて、寺山食堂に帰って来るんです。
 化粧して、洋服来て、これは古間木の田舎では大変なことなんです。
 クラスでただひとり、アメリカ兵と腕組んで歩く口紅つけた母を持つ子ということは、やはり石もて追われるようなことですね、当時は――】

 寺山自身が語った女性誌のインタビュー記事を、私はノートに書きつけていた。
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