第10話

文字数 1,019文字

「何言うとるねん。もともと責任なんかあるかいな。だいたいやな、人間は幸せにならなあかんねやろ?それは、他人と比べてか?違うやろ!人間は幸せにならなあかんけど、メンタルの弱いヤツは不幸にしかならん。メンタルの強いヤツは金なんか無くても幸せを掴んどる。しんどさの物差しなんか人それぞれや。兄ちゃんがしんどい思ったらそれはもうしんどいんやで。それを甘えだとか、根性なしだとか、豆腐メンタルとか逃げちゃダメだとか言うて自分を鼓舞するからおかしくなるねん。んなもん、気楽に生きたらええねん。そのためのマジックワードが・・・」
オッサンが一瞬間を置いて
「どーでもええや」
 オッサンの顔が上気している。
 俺はこの強引な理屈に清々しさを覚えた。
「ワイはな、もうすぐ死ぬ。なんで死ぬかは分からんけど、まぁもうすぐ死ぬわな。なんでかわからんけどわかるねん。でもな、それもどーでもええ」
 オッサンはそう言うと、ベンチから立ち上がり
「ほな、行くわ。風が冷たくなってきたし。これは雨がくるで。ワイはこの瞬間が好きやねん。ほな、おおきにおもろかったで」
 と言って振り向き道路の方へと歩いて行った。
 オッサンが土手をあがり、道路へ差し掛かるまで俺はその後ろ姿をぼんやりと眺めていた。俺は一息深く吐き出すと、川の方へ向き直った。一台の車が土手沿いの道路を通って行くのを背中越しに感じた。
 それからしばらくして空は暗く鈍色の雲が集まりだした。風は冷たくポツポツと雨が降り出した。
 もうすぐ大粒の雫となり、この辺りには人を寄せ付けなくなるだろう。向こう岸の公園で遊んでいた親子はもうすでにいなくなり、空は静かに川の水量を増やす準備に取り掛かっていた。
 俺は早々にベンチから立ち上がり、土手沿いの道路までの行く道を確かめた。
 芝生が敷かれた丘を登り、道路へ出たところで俺は足元に一匹の亀の死体を見つけた。それは、車にひかれ、甲羅は砕け内臓は飛び出し、黒い手足は形をなしていなかった。砕けた甲羅の割れ目から首がはみだしこちらを向いていた。口は半開きとなり粘度の高そうな液体がドロリと溢れていた。片方の目は固く閉じられ細長い一本の皺のようになっていた。もう片方の目は降り出した雨に濡れ、こちらを向いていた。もちろん光は宿っていなかった。
 俺はしばらくその亀の死体を眺めていたが
「どーでもいい」
 そう呟き、家に向かって灰色の空間を歩き出した。空気はどんよりと重さが増し湿ってきていた。
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