第26話

文字数 883文字

 俺はさっきまで河川敷沿いにあるメッキ工場に新しい作業着のパンフレットを片手に営業をしていた。そこで働く工員達も同じように人生を感じているのだろうか。
 どうやら、新しい作業着は気に入ってもらえたようで来週にはまとまった発注がかけてもらえそうだ。今日は後二件、顧客訪問をしなければならない。この時間なら、ちょうど昼ごはんを適当に済ませて、夕方には会社に帰れる。チラリと腕時計を確認した俺は、河川敷の土手へ上る階段を登り切った。
 少し汗ばんだ体に河川敷を流れていく風が心地よい。眼下に見下ろす一級河川は緩やかに流れている。昼前の柔らかい日差しが芝生を照らしている。
 俺は小さな水筒をカバンから取り出して喉を潤した。胸ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。深く息を吸い込み、煙と一緒に吐き出す。外回りの仕事の良さはこの一服のためにある。最近はどこもかしこも禁煙だ。都会なら人通りの多い場所は屋外ですら禁煙となった。喫煙者はまず喫煙所の有無から探さなければならない世の中だ。ところが、程よい田舎町のこの町ではショッピングモールや劇場以外ではどこで紫煙を燻らせても誰にも文句は言われない。まだまだ、遅れているということなのかもしれないが、俺にとってみれば煙草が自由に吸えることはメリットだった。
 二口めの煙を吐き出した俺は膝下に置かれていたコンクリート制のベンチに腰掛けた。長年風雪に晒されてきたこのベンチの角は丸くなり錆びついた鉄筋が所々から顔を覗かしている。カバンを横に置き、三口めを浅く吸う。出来るだけ息は長く吐き出す。タバコを軽く叩き灰を落とす。地面に落ちたタバコの灰は風に吹かれてコロコロと転がり、やがてその形は崩れて散り散りになって消えていった。
 ボンヤリと川の流れと青い空を眺めているとこのまま自分の存在自体がこの灰のように霧散していくような気になる。消えて無くなることも悪くないかもと思えてしまう。
 三口めを深く吸い込んだ時、川の方から階段をゆっくりと登ってくる男と目があった。
 男は軽く頭を下げて目線で挨拶をしてきた。俺も何となく顔を下げて挨拶を返した。
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