第31話

文字数 905文字

「そうなんです。大学を卒業してから本当に1回も会ってないんです。もう生きているのかさえわからない」
 俺は短くなったタバコを足で揉み消した。それから携帯灰皿を取り出して、吸い殻を入れた。
 手のひらで包み込むように持たれた男のタバコにはまだ火はついているのだろう。紫煙が男の指の隙間から漏れ出ている。
俺は携帯灰皿の蓋を閉めた。
「あなたは、自分でバンドを解散させたと言いましたね」
「そうなんです。もう、自分の活動に限界を感じてしまってね」
「才能ですか」
「いえ、バンドを楽しめなくなってたんですね。決まった時間に決まったスタジオで決まった曲を練習して、時々ライブの話があって。ルーティンです」
男は黙って聞いている。
「何か、それが社会人と重なってしまって。同じことの繰り返しにね。要は飽きたんですよね。それで、練習にも行かなくなった。自分のバンドなのに。そして、ある時、バンドの解散を決めました。解散しよう。ってだけの文面でメールを送りました。それきりです」
「お一人で決めて、お一人で行動できるのは羨ましいですよ。我々は基本的に集団行動で動いていますから」
「そういえば聞こえはいいけど、要は自分の我儘ですからね」
「それは、我儘ですか」
「音楽はその人の気持ちが表れるんです。その人が悲しい気持ちなら悲しくなるし、嬉しいなら嬉しく聞こえる。やる気がなくなった楽器はどうでもいい音になってしまう。同じ音を出してるはずなのに何故かその気持ちは伝わってしまう」
「お客さんにですか」
「いえ、お客さんにはなかなか理解されませんよ。それは。私が感じたのはメンバーからです」
「ほう。それは興味深い」
「興味深いって」
「いやね、そんな話って音楽やってた人にしかわからないことじゃないですか。だから、興味深い」
「いや、そうですか。まあま、とにかく、辞めたんですよ。昔は、三度の飯より音楽が好きで、ギターの事ばっかり考えていたのに。これで世界は変えられるなんて青臭いことを本気で考えてね。」
 俺は顎を持ち上げた。首と肩に軋むような痛みがある。このところ、背中を伸ばすと、身体のあちこちの筋肉が引っ張られる感覚がある。これが四十肩というものだろう。
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