第11話 日々淡々と女子一人

文字数 1,044文字

いつもと変わらない景色だった。はるか遠くに見える山の上流にはいくつものダムがある。それらのダムは常にこの川の流れを変えることなく、絶えず一定の水量で海へ向かって流れさせている。この計算されて流される水の動きは変わらない。気温の上下があるだけのこの景色は美しく、幼い頃から毎日見ていた光景と変わりがない。
しかし、この季節は別だ。この季節だけはあまり好きではない。人によっては長かった冬の厳しい寒さが和らぎ、心躍る季節なのだろう。
 しかし、私には夏が来るような高揚感もなければ、うららかな初夏の日差しも心地よくは感じられない。ただ、ダラダラと温もりがまとわりつくだけの不快な風が頬を撫でていくだけだ。そして、ある日を境に貯めに貯めた水蒸気がその許容範囲を超えじっとりと真綿からしみ出すように、しとしとと湿気をもたらす雨の季節に変える。
その雨が一定に保たれているはずのこの川の水位をゆっくりと上げ、濁った白茶色のコーヒー牛乳のような水の流れを作っていく。
 私にはこの季節が、そんな楽しさとは無縁で引きこもりがちの時間を予感させる。
白茶色と言えば「地獄へ落ちるか極楽か、来たる白茶の死装束」と近松門左衛門が「心中 宵庚申(しんじゅう かのえさる)」でお千世と半兵衛に言わせたセリフだ。
なぜこのタイミングで近松?しかも「曽根崎心中」のような誰もが知っている名作ではなく「心中 宵庚申」なんていうマイナーな物語なんだろう?私の心は少しだけ混乱した。

  私の実家は小さな文房具屋を営んでいた。私が中学生の頃までは今のような百均ショップなどはなく、鉛筆やノートを買うとなれば私の家に子供達はいそいそと小銭を持って文房具を買いに来ていた。四歳年上の兄は時々店番を任されていたが、私が店のレジに立つことはほとんどなかった。両親は兄には地元に残り、店を継いでもらうつもりだったのだろう。おかげで私はダラダラと、自由気ままに過ごすことができた。
私は地元の高校を卒業して猛勉の末、一年浪人した後、晴れて有名な国立大学の文学部に入った。東京への憧れは中学生の時たまたま見たテレビの情報番組がきっかけだった。この北陸の片田舎で育った私にそのモニターに映し出される色とりどりのネオンサインや、高層ビル群、そこで出会う美男美女は思春期の少女に初めて憧れという感情を溢れださせた。
そうして、私は進学の名の下、見事に上京を果たした。その時の私はただ毎日が充実し、将来は煌びやかで華やかに約束されたものであった。
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