第1話 徒手空拳水面に立たず

文字数 1,058文字

またこの河原に来てしまった。
つい先日の長雨でようやく梅雨入りのニュースがテレビのキャスターやらスマートフォンの液晶画面がうるさく報せていたのに、今日は五月の初夏のような空気が湿り気をほとんど帯びず爽やかな風を運んでいた。
俺は一人の時間を堪能したかった。太陽に照らされて、部屋に篭っていたモヤを解放したかった。一人で景色と一体になることが何もしないで生きている俺にとっての大切な贖罪となるような気がしていた。俺はこのまま消えることを願っているのだろうか。人はそれを死というかもしれない。
 河川敷は芝の緑が大蛇のようにどこまでもうねり連なっている。
向こう岸の遊具が備え付けられた公園で小さな男の子と女の子がおぼつかない足取りで追いかけっこをしている。その姿を若い母親が心配そうに、優しい眼差しで見守っていた。
あの親子にもキチンと働いている父親がいるんだろう。毎朝決まった時間に布団から体を起こし、簡素な朝食をとり特に迷うこともなく手に取ったネクタイを締め、ダラダラと駅に向かう人波の一部に溶け込み、やがてその他大勢となり社会を構成する記号として機能していく。そして、夜になり映像を巻き戻すかのように、駅に着いてようやく記号的な何かから一個人に変形して一日を終える。そして、翌日またその記号は再生産される。それを毎日繰り返す。埋められない理想の自分とのギャップに虚しさを感じつつも、週に一度か二度訪れる休日には家族で近くの緑地公園に散歩に出かけて、たまには友達とバーベキューなんかしたりして。そこに小さな幸せを感じる。
俺には縁のない世界だ。
 中学二年の時に不登校になり、そこからほとんど学校へは行かなかった。
 初めて仮病を使った時は、親を騙せた達成感と少しの罪悪感が拭いきれずずっと落ち着かなかった。なんだかフワフワした一日で現実感がなかった事だけが記憶の片隅に残っている。
その日以来俺は度々仮病を使うようになった。俺は親に嘘をつくことに慣れ、いつしかその罪悪感も見えなくなっていった。
それから五年が経ち今の俺は立派なニートとなった。残されていた中学校にはほとんど行かず、泣いて頼まれて渋々受験した高校は行っても行かなくても変わらないような底辺校で、入学式だけ出てまた家で過ごすようになった。もちろん高校は中退となり、俺は社会的にも家庭内でも存在を消すことになった。過去のネガテイブなイメージが複合的に俺の心に覆いかぶさり何をするにしても気力がなくなり、すべてが諦めと後悔となる毎日。今年俺は十九歳になる。
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