第18話

文字数 1,107文字

「里帰りですか?」
その女性は優しく聞いてきた。
「そうですね。」
「こんな時期に、珍しいですね。普段はお忙しいのかこんな時期にはなかなか人は帰ってこないものなんですけど。おかげで私たちは静かにこうやって子供と2人で楽しく散歩ができるんですけどね」
 その女性は、優しく微笑んだ。シャツの襟元の赤が印象的で、よりその美しさを引き出している。
「まぁ、向こうでいろいろあって」
 私はあまり他人に自分のことを披露するタイプの人間ではない。どちらかと言うと普段から聞き役に徹することが多い。だから、いつも自分のことを言うときはごくごくシンプルに短いセンテンスで話すことになる。要するに、自分をアピールするのがへたくそなんだ。
 この女性に対してもそうだ。何か会話を続けるためには何か言葉を発しなければいけない。しかし、自分のことを話し出すとどこまで話をしていけばいいのかわからなくなる。そんなに興味のない私の話なんか聞きたがらないだろうと思ってしまう。でも、今この場の空気を凍らせるような味も素っ気もないような返事をする事は避けたい。たとえその場かぎりの会話であっても私に悪い印象を持っては欲しくないのだ。その結果出てきた言葉が「まぁ、向こうでいろいろあって」などと言う誰もが思いつくような当たり障りのない言葉であった。
「そうですか。都会はやはりいろいろありますね。実は、私も少し前まで東京ほどでは無いですが大きな街に住んでいましたのよ」
「そうなんですか」
 向こうから身の内を話出してきてくれた。私は少し安心した。これをきっかけに自分の話はすることなく相手に話をさせられる。そうすると自分がまた聞き役になれる。
「こっちに来てあの子を産んだんですが、実は向こうにも子供を残してきてしまって。とは言え何年も前の話ですけどね」
「えっ?それは心配じゃないんですか」
「うーん、心配かどうかと言われればそうかもしれないですが、みんなきっとうまく生きていっていると思いますよ。もういい大人になってる子もいるだろうし」
 その女性はさらりと言ってのけた。
「私の家は、それはもう立派なお家でしたの。私はそこで大切に育てられました。子供の頃は上等な服をあてがわれ、ご飯も毎日美味しくいただけましたわ。周囲の人は可愛い、可愛いってたくさん褒めていただけましたわ」
 その女性が纏う上品な空気は生まれた時から持っていたのだろう。
「でも、何か違ったんですね。急にその家が息苦しくて、居場所はここにはないなんて思ってしまいましたの。そうするともうだめね。外の世界がなんとも魅力的に見えてしまって、その家を飛び出してしまいました」
 その女性は遠くを見ながら言った。
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