第34話

文字数 869文字

「昆虫ですよね」
「そう。でも、小さくて弱々しい昆虫の中でも物理的には最弱の部類にあたる蚊が実は人間にとって最も危険な生物なのです。しかも、一匹で何人もの人間を殺すことができます」
この話は聞いたことがある。確か、蚊が媒介する血液の中に危険なウィルスが混じってるとかなんとか。
「蚊は他の生き物達の血を吸います。一回の吸血で大体1mgほど。必要な量はその倍。なので、色んな個体に吸っては離れ、また別の個体に吸っては離れします。もしその吸った血が汚染されていたら、もちろん次に吸う生物にも影響があります。しかも、血を吸う蚊は雌だけなのですよ」
やはり、蚊の媒介者の話だ。男は何故か自慢げに言った。
「雄達は普段は蚊だまりを作って集団で行動しています。その無数の雄の中から雌はいい雄を選んでくる。上手くいけば子孫を残せるのです」
「残された雄にとっては過酷なものですね」
「しかも、その雌が吸った汚染された血は蚊にとっては無害なのです。つまり、蚊は自分の吸った血で人を殺しているという自覚はないのです」
「へえ、蚊そのものに罪はないですね」
「ですね」
「蚊自身は自覚はない。むしろ、それは子孫を残すための単純で純粋な行動ですね。でも、それは人間にとって脅威になると」
「さすがです。そうなんです」
「自覚なくても、誰かに大きな影響を与えることがあるんですね」
「それも、知らないうちに。やるせないです。」
「もしかすると、自分達もそうなのかもしれないですね。私たちも自覚なんてなくても誰かに影響を与えてるかもしれませんね」
 なんだか、当たり前のことを口に出してしまったような気恥ずかしさがあった。
 当たり前なのだ。自分は中学生の時に聞いたあのロックミュージシャンに影響を受けた。けど、その当のロックスター達はこんな小さな男の感性など微塵も気にしないだろう。
「そうです。我々は自覚できないことの方が多いのですよね。誰に誰が何をしたかなんてわかりっこない。他人が勝手にそう思われるだけで、ほとんどの人は日々の生活に必死で基本的に無自覚なんですよ」
 男は穏やかにそう言った。
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