第17話
文字数 9,138文字
光四郎と葉月の耳に、あの夜にも鳴っていた音色が鮮明によみがえる。だが風鈴飾りの数はだいぶ減っていた。暗いときには分からなかったが、ただの風鈴だけでなく寺の鐘のような奇抜なデザインの鈴もある。先端に色あせた短冊をぶら下げて、せわしげに揺れている。
門をくぐると、前方に見えた本堂は扉が大きくあけはなされていた。葉月が行ってなかをのぞいたが、人の姿はない。参拝の注意点や、風鈴の買い方、飾り方などが書かれた紙が扉の近くに張られてある。短冊とペンの入った缶箱と、値段表もそばにある。それらを見てはじめて葉月は知ったが、この寺ではどうやら絵馬ではなくて、風鈴をその代わりにして願かけをするという変わった方式をとっているらしい。
境内も無人だった。あのときと同じ。鐘撞き堂と焼却炉に、山を背にしてその奥に広がる墓地。
約ひと月半ぶりにふたたび目にする。
興味深げに四方をうかがっていた泉が言った。
「やっぱ動画で見るのとちがうね。僕には全然、別の場所に見える。古いけど、普通っていうか」
「今は昼だし、余計そうだよ。俺も、なんか覚えてたのとちがう感じがする」
光四郎がつぶやいた。彼はあのとき美春とともに、撮影隊の主要メンバーの近く、列の前のほうを歩いていた。
葉月が戻ってきて、「行こう」とふたりをうながす。できれば訪問者のないうちに、やりたいことを済ませておきたかった。三人は忍ぶように境内を横切った。
焼却炉はからのようだった。かき出された灰が山を作っている。通りすぎて墓地へと足を踏み入れる。
三人にわずかな緊張が走った。すぐに泉が言った。
「お供え物って、復活してる?」
あざやかな花が生けてあるのが、遠目にもいくつか分かった。だが飲食物は一見すると、ない。
葉月と光四郎は短く言葉を交わしながら、自分たちの記憶を頼りに足早に墓地を進む。最初に騒ぎが持ち上がった地点を目指すが、似たような墓石に囲まれて、昼夜の見え方の差や感覚のズレも手伝って、進むほどにはっきりとしたことが言えなくなってくる。
それでも、本堂の側面が背中に見え始めたあたりで三人は立ち止まった。
「このへんだったと思う」
と言った光四郎に、泉が返した。
「それは、何かが落ちたのが?」
「や、ちがう……そうじゃなくて、はじめにお菓子とか食べ始めたところが、たぶんこのへんだった。葉月は?」
「うーん……うん、僕もそう思う。……けど、なんか分かんなくなってきちゃった」
「ちょっと、ふたりとも。困るよ。思い出してよ、ちゃんとさ……」
泉は肩をすくめた。が、思案のすえに葉月と光四郎がやはりこのあたりだと自信を持って言うので、そばの墓石や足もとを注視した。
ふたりの記憶では、供物の飲み食いが始まってから自分たちの視界に何かが舞い落ちるまでに、自分たちは、ほかのメンバーも含めて、墓地内をほぼ移動しなかった。大体みんな同じ位置にとどまっていた。
ということは、葉月と光四郎の示した「このあたり」が当たっていれば、その後に何かが落ちたのも、三人が現在立っているこの地点からそう離れていない墓石のどれかからということになるし、勝手に荒らされた菓子やその他は、この周辺に建っている墓石の供え物だったということになる。
しかし当時の騒ぎの名残りは今、跡形もなかった。通路は掃き清められ、落ち葉の一枚さえ見当たらない。
「なさそうな気しかしない、僕。めっちゃ綺麗じゃん」
泉は言いながらスマートフォンを取り出すと、そばに並ぶ墓石や通路の写真を撮り始めた。
「撮っていいか分かんないけど。もしも必要になったときのため」
泉が撮影するあいだ、葉月と光四郎はとりあえず通路や墓石の周りを、落ちているものはないかと目でさがしてみる。墓石は大小や色、造りに差があって、個々の敷地の広さも微妙にちがっていた。一族の名はもっとも分かりやすい位置に堂々と彫られているが、そこに葬られている故人の名や没年度等の詳細までは、石碑に近づいてあらためてみる必要がある。一基ずつ確認するとなると、けっこうな仕事になるが、ここに「彼女」と「彼女のチョーカー」につながるヒントがあるはずだった。これまでの現象に基づいた、三人の考えが正しければ。
「あの人は、このへんに並んでるお墓にいるのかな。きっとそうだよね? そこにいるんだよね」
葉月が言うと、光四郎はあたりを見回して、
「さあ……」
と息をついた。
「いるなら、俺はいっそ出てきてほしいけど。それで話したい」
「分かる」
画面から目をはずし、泉が同調した。
「この写真のどれかに、あとから見返したら写ってくれてたりしないかな。それで交信できないかな、夢とか幻覚とか、回りくどい現れ方しないでさ。……僕、たまにテレビでやってる心霊写真とか、ネットのホラー映像とか、見せられてももうなんとも思わない。恐怖が麻痺してるの……」
そのときやや距離を置いた横手から、ふいにしわがれた声が響いてきた。
「あんたら、何してる? 墓参りかい」
三人はぎょっとして声のしたほうを見た。泉はおどろきのあまりほとんど飛び上がって、はずみでスマートフォンを落とし、慌てて拾って画面をさすった。
声の主は竹ぼうきを持った老人の男性だった。帽子に作業着、ゴム靴を履いて軍手を着け、顔じゅう深いしわを刻んでいるが、つぶらな両の瞳は真っすぐ三人をとらえている。山のほうからこちらへ出てきたらしい。
老人の表情は硬かった。うたぐるまなざしが、三人がここにいるのをあまりいいことは思っていないようだった。
「墓参りか」
「はい」
とっさに光四郎が答えた。
「友達と来ました」
「ほうか。ならいいけども、ご先祖様の墓は大切にせないかん。あんまりあっちゃこっちゃ、いじくり回しちゃいけんよ。あんたら、祭りには来たかね。七月の」
三人は素早く視線を交わした。なんとなく、まずい予感があった。光四郎が若干うろたえながら、
「えっと、花火大会のことですか? 来てないです」
「あんときに墓荒らしがあってねえ」
老人は渋面を作った。
「もうこのへんにあったお供えもんがね、ぜーんぶぐちゃぐちゃにされてね。翌朝になって掃除しに来てみたら、僕んとこの墓はもうちっとあっちのほうだけども、だからなんともなかったけども、このへんはそりゃひどいありさまでね。僕がはじめに見つけたんだけども、まあびっくりしてね。慌てて人呼んで、住職さんに話したけども」
「はい……」
「最初は猪か猿でも来たかと思ってね、でも今までにこんなこと一回もなかったし、どうもおかしいと思ってね。
見てみたら、ちゃあんと綺麗に食べられとるもんで、こりゃあ人間のしわざだと。食べ終わったもんがね、あそこ――あの焼却炉んなかに放り込まれとったりしてね。まったく、なんちゅう罰当たりなことをするもんだと。せっかくのお供えもんをねえ。だからしばらくは、食べもん飲みもんのお供えはやめようっちゅう話になったんだけども……あれじゃあご先祖様が怒っちまってもしょうがない。僕は住職さんの手伝いでいつもこのへんの掃除をしとるもんだから、申し訳が立たなくてね」
三人は動揺を隠しきれず引きつった顔をしていたが、老人は気づかないようだった。光四郎だけがどうにか知らないふりで相づちを返すと、老人は彼を見やり、
「いや、ごめんね。あんたら若い子供さんたちが見えたもんで、僕の知っとる近所の子らでもないもんだからつい、ね。何しとるんかと思ってね、見かけないもんだから。近所のもんがね、ちょうどあんたらくらいの子供たちが大勢で河川敷からこっちのほうへ歩いとったのを、あの祭りのときに見とったもんでね……その子らのしわざか分からんけども、なんせ罰当たりなことしていった……あんたらは、そんなことしちゃいかんよ。悪いことはできん。あとになって、ぜーんぶ自分に返ってくるからねえ。因果応報と言ってね。習ったことある?」
「はい……」
光四郎は口ごもり、あいまいに笑うと、
「あの。……そのお祭りのあと……」
と先を継ぎかけたが、思い直したようにまた口ごもると、黙った。そっと視線を移すと、合った先の泉がうなずき、言った。
「お墓、大事にします。じゃあ僕たち……」
と、さりげなく葉月をつつき――彼も何か訊きたそうにしていたが――三人は連れ立って老人からのがれるようにその場を離れた。この墓地の事情に詳しそうな老人に、万が一だれの墓参りかと問われたら終わりだった。自分たちは答えられない。機転を利かせて墓石にある名字を適当に言っても、付き合いの狭い田舎のこと、おそらくすぐにウソとばれる。
葉月がちらと振り向くと、老人は竹ぼうきをかついだまま、こちらをじっと見ていた。監視しているようだった。
「まだ、いる。ここを出るしかないっぽいよ」
歩きながら泉がつぶやく。
「写真撮ってたの、気づかれてないかな。ヘンに思われてたらどうしよ。たぶん疑ってるね、僕たちのこと」
すると光四郎が、
「いいよ。だって、俺らのしわざだし」
「僕はちがうよ? 光四郎。僕はなんにもやってない。配信を見てただけ」
「だったら俺だって、あのとき何も食べなかったし飲まなかったよ」
「だったら、はーくんもね」
三人は墓地から境内へ引き返し、本堂には寄らず山門をくぐった。階段を下りきったところで互いに顔を見合わせ、ひと息ついた。風鈴の音が来たときのように、頭上でかすかに鳴っている。
「うーん、まさかの事態。これ、思わず出てきちゃったけど、また戻ったらおかしいよね? やっちゃったなあ」
やれやれというふうに自らを手であおぎ、泉が言った。暑さが増してきていた。
「でも、ああするしかなかったね。じゃなきゃ、マジで僕らが犯人にされたよ。あのおじいちゃん、相手にしたらめんどくさそうだし」
三人は黙って山門を見上げた。
「泉。どれくらい写真撮れた?」
葉月が訊いた。
泉はスマートフォンを取り出し、撮影した画像の一覧をスクロールさせた。葉月と光四郎が横からのぞく。
画面いっぱいに、墓地ばかり写した写真が並んでいた。だが泉は表情をくもらせ、
「もっと撮ればよかったな。おじいちゃんに邪魔されちゃったよ。あのお墓に入ってる人たちのこと、これじゃなんにも分かんない。もっと接写して……ひとつずつていねいに撮らなきゃいけなかったのに、数が多くて」
「ううん、十分だよ。何もないより、いい」
と葉月。
「それにあのおじいちゃんのおかげで、僕と光四郎の思った場所が、まちがってなかったってことは分かったよ。何かが落ちたのも、僕たちがお供え物を食べちゃったのも、やっぱあのへんにあるお墓のそばだった」
「うん」
光四郎がうなずいた。
「だから俺、さっきあのじいちゃんに訊こうとしたんだけど。俺らが帰った次の日にあそこを掃除したとき、ゴミのほかに何か落ちてるものはありませんでしたか、って。でも訊けなかった。すごい訊きづらかったし、怪しまれそうで」
「僕もそう。僕も訊きたかった。でも、やっぱり言えなかった」
「だよね」
と泉。
「でも、もしそのときあったとしても、きっと残ってないよ。燃やしちゃったんじゃない? おじいちゃんが全部掃いちゃってさ。ゴミと一緒に捨てられたよ」
「でもそしたら、もしそれがほんとうにチョーカーだったとしたら、それは永遠に見つからないってことになるけど」
光四郎が言うと、葉月は無言に考えこみ、泉は「うーん……」と首をひねった。
「そうだよね。そうなるんだけど、でもなんとも言えなくない? だって最初から僕らは、それがまだあそこに落ちたままとは正直思ってなくて、期待してなかったじゃん。光四郎だって、なくてもともと、でも一応、って感じだったんでしょ?」
「まあ、そうだけど」
「それにもし残っていても、それが実際に僕らのさがしてる……ほら、あの人のご所望の品なのかどうかっていう話だよ。チョーカーじゃなくて、ふたりが見たのはただのハチマキだったかもよ?」
泉はおどけたふうに苦笑した。
「だから、希望は全然消えたわけじゃないよ。あの人の正体について、僕らはまだほとんど何も知らないんだからさ。若い女の人ってことくらいしか」
「――で、さっきの、たぶん、あのあたりのお墓のどれかに入ってる。じいちゃんが来て、ちゃんと調べられなかったけど」
光四郎がまとめた。そして山門をちらとねめつけ、言った。
「また来ないと。なるべく近いうち。じいちゃん対策考えて」
「そうだね。きょうは無理かな。目ぇつけられて出禁になったら、そのほうが最悪。はーくんは?」
「うん」
考えこんでいた葉月は顔を上げ、ふたりへとうなずいた。
「僕もそう思う。また来ればいいと思う。急ぎたいけど、急いで失敗したくない」
三人は泉の撮った写真を見ながら坂をくだった。予想以上に長く時間が過ぎていた。通りへ出ると、屋根を求めてバスの待合所に避難した。やはり無人だった。だが駐車場の車は葉月と泉が来たときより少し増えている。
泉を真ん中に三人は並んでベンチに腰かけると、撮影した画像を念のために一枚ずつ確認していく。六つの目をもってしても、しかしそれらは何の変哲もない墓地の写真だった。「彼女」が写りこむどころか、通路にも墓石のそばにも、写っている範囲には何も落ちていないし異常もない。石に刻まれた一族の名字はいくつか判別できるが、これだけでは情報が少なすぎる。
「疲れちゃった」
かぶっていたキャップを取り去った泉は、両の目を休ませるように手で覆うと、上を向いて静止した。
「ブルーライトの浴びすぎはお肌に良くないのに……」
「そんなこと気にしてんの?」
いぶかり顔で光四郎が尋ねた。泉は上向いたまま、
「そりゃ、ね。子供のうちから老化対策しておかないと、将来困るよ。何もしないでどうにかなるのは十代までって言うし。光四郎も気をつけなよ、なんでそんなに焼けてるの? もとの肌色?」
「サッカーやってるから」
「へえ。でも日焼け止めくらいは塗ったほうがいいよ、マジで。これは雨でも必須。今、塗ってる? 貸そうか?」
光四郎は答えず、視線を離した。スマートフォンを確認すると、美春からメッセージが届いていた。
『光四郎~。何してるの?』
既読にはせず画面をブラックアウトさせ、ポケットにしまう。
どこからともなく虫の鳴き声がしていた。残暑を思わす、ねっとりとした熱気が駐車場のアスファルトからこちらのほうまでただよってくる。
バスの時間までしばらく間があった。それまでどうしようかと光四郎が内心考えていると、目から手を離した泉が言った。
「ね、コンビニ行こうよ。僕、なんか買って飲みたい」
通り沿いを少し行ったところに一軒あるのを、泉はすでにバスの車内からみとめていた。三人は待合所を出ると、だれの姿もない通りを歩いてもよりのコンビニへ向かった。
そこの狭いパーキングにはサイクリング用の本格的な自転車数台があって、乗り手の男性たちがそばで和気あいあいとアイスクリームを食べていた。開閉ドアの蛍光灯に小虫がたくさん付き、大きな扇風機が一台、生ぬるい風を送って蛾をよけている。
買い物を終えて三人は店を出ると、裏手の日陰を見つけ、コンクリートブロックの段差にそれぞれ腰を下ろした。向かいに和菓子屋が、その軒先に風鈴がかかっている。
光四郎は複雑な思いで風鈴が揺れるのを眺め、『水まんじゅう』や『おはぎ』と書かれた店のガラスの張り紙を読んだ。はるばるここまで来た意味が果たしてあったか、疑問だった。墓地では十分な調査ができなかったし、判明したのは肝試しの際の自分たちの記憶がおおむね正しかったということだけで、チョーカーのありかも「彼女」が何者なのかということについても、有力な情報は得られていない。
「進展はゼロ」
つぶやいた彼の隣で、「えっ?」と泉が言った。
「どうして?」
「だってさ……」
「ゼロじゃないよ、光四郎。そんなこと言わないで」
泉は自分のペットボトルのふたをあけた。しゅっと小気味よい音を立て、炭酸がはじける。
「きょう一番の収穫は、光四郎、きみに会えたことだよ」
泉は真面目な顔で言った。
「きみを見つけて、仲間が増えた。明光第一の六年ってことも、撮影隊のメンバーだったことも、それからきみの頭が良さそうなとこも、僕にとってはすごくラッキー。だから、きょうはそれでいいじゃん」
返す言葉のない光四郎へ、今度は葉月が笑いかけた。
「ありがとう、光四郎。僕も心強い」
「いや、別に……俺、何も」
「よし。それじゃ乾杯しよ」
泉がふたりをうながした。そして三つのペットボトルを前に、
「チアーズ」
「それ、どういう意味?」
光四郎が訊く。「『乾杯』だよ」と泉。
「英語でね。はい、もう一度。チアーズ」
ごつんとペットボトルがぶつかり合った。勢いを得て、どくどくと三人の喉を過ぎていく清涼感。
日差しが強い。
連絡先を交換したあとで泉に押しつけられた日焼け止めを、光四郎はそれから渋々塗りたくった。
*
翌月曜日、二時間目の算数のあとの中休みだった。休み明けの確認テストを控え、ボードの端には各科目の出題範囲が記載され、時折、担当教員が修正を加えていた。
教科書とノートを机にしまっていた葉月は突然、背後から話しかけられた。
「葉月くん」
振り向いた葉月の目に、立ってこちらを見下ろすクラスメイトの女子が映った。
葉月にはめずらしい相手だった。実際、話しかけられたのははじめてかもしれない。
「ちょっと話せる?」
「う、うん……」
思いがけないことに葉月はちょっと戸惑いながら、
「えっと……どうしたの? えっと」
「風荷。そう呼んで……『葉月くん』でいい?」
「うん。あ、ありがと。風荷……」
風荷は近くの席で机に突っ伏して寝ている直弥をいちべつした。そして椅子を立つよう葉月を目顔で急かした。
葉月は風荷のあとに付いて廊下へ出た。風荷は目立たない窓際まで葉月を連れていくと、けわしいまなざしで彼を見据えた。しわひとつないグレーのブラウスに膝丈の白スカートをはいて、眼鏡の位置を直すと髪を耳にかけ、小声に言った。
「葉月くん、鈴掛の花火大会でやった撮影に直弥くんと参加してたって、ほんと?」
「うん。ほんとだよ」
「そう」
「なんで? 風荷は――」
「あんな動画見なければよかったって、すごく後悔してる」
強く言い捨て、風荷は唇をかんだ。葉月はかすかに息をのんだ。
「私、あれのライブ配信を見てたの。塾の友達と。でも葉月くんと直弥くんには気づかなかった。知らなかったの。まさかクラスメイトがいたなんて思ってなかった」
「そう……」
「途中からあんなことになって、私、しないつもりだったけど我慢できなくなって、あのとき急いでコメントしたの。『見つかる前に帰るべき』って。でも意味なかった。遅かった。もうお供え物はぐちゃぐちゃだったから」
「あの人の夢を見てる?」
「今さら何言ってるの……? 見てない子がいるなら逆に教えてよ。だから始業式のときみたいなことが起きたんじゃないの? 私と一緒に配信を見た子は、ちがう学校の子だけど、塾で仲良しなの。同じ中学目指してる」
風荷は心からつらそうな顔になって、
「でも、あの夢のせいで熱出して、身体壊して、塾にも学校にも来られなくなったの。でも私たち、準受験生なんだよ。五年の夏って、受験組にとってはすごく大事だったのに。私、悔しくて……なんでこんなことになったんだろう、って。……あんな動画、見なきゃよかった。ちょうど塾の帰りだったの。親の迎え待ってるあいだ、私があの子を誘ったの。だから」
「でも……でも動画を見てなくても、夢からは逃げられなかったよ。夢はみんなに感染してる。パンデミック。だから」
「分かってる。分かってるけど悔しい。許せない。みんなのうわさがほんとうなら、動画のためにお墓であんなことをしなかったら、私たちがこんな目に遭うこともなかったのに、なんで――」
風荷は言葉を切り、葉月と教室をちらと見た。そして訂正するように継いだ。
「ちがうよ。葉月くんと直弥くんが悪いって言ってるんじゃない。そういうことを言いに来たんじゃないから」
「ううん、いいよ」
「私はただ、一刻も早くこんなことを終わらせたいの。そのために何かしたい。直弥くんはあんな調子でずっとふざけてるから、話すつもりなかった。だから葉月くんに言ってる。撮影に参加してたなら、私よりいろんなことを知ってるんでしょ? なんでもいいから教えて。それか、もし何かしてることがあるなら、私もやる。私も協力する」
風荷はきっぱり言った。
「私は私にできることをしたい」
葉月はまばたきし、風荷を見つめた。風荷は目をそらさなかった。
「何もできない自分が一番悔しくて、許せない。私……チョーカーに負けたくない。いつも言われるの、『私にはできない』、『できるわけがない』って、夢で、だれかに……それがチョーカーなら、私は負けたくないよ」
「だったら風荷も、一緒にさがしてくれる?」
葉月はささやいた。
「それが僕の……ううん、これを止めるために僕たちがしてること。さがしてくれる?」
「何をさがすの?」
「チョーカー。夢に出てくるあの人の」
「どういうこと? チョーカーって実在してるの? 私は……ううん。とにかく教えて」
「うん。でも話すには時間が要るから。あとで……えっと」
「お昼休みに」
葉月はうなずいた。またひとり仲間が増えたというおどろきと興奮で、彼はその後の授業はほとんどそっちのけになっていた。
昼休みを丸々使って、それから葉月は風荷へ自分の考えを説明した。夢に出てくる若い女性。彼女が求めているチョーカー。葉月に呼ばれて泉もその場に交ざった。校庭の隅の、桜の大木の下で三人は声をひそめた。
泉は校則を破って持ってきているスマートフォンから、光四郎へメッセージを送った。返事はすぐに来た。
『いいよ』
風荷は葉月や泉や光四郎のような内容の夢を見ておらず、チョーカーに対する認識も明瞭ではなかったが、彼女は非常な物分かりの早さで三人の目的を理解した。
やがて昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り、泉は六学年のフロアへ向かい、葉月と風荷は自分たちの教室へ戻った。
階段の踊り場で、泉は急ぎ光四郎へ返信を送った。
『また連絡する。土曜は空けておいて』
門をくぐると、前方に見えた本堂は扉が大きくあけはなされていた。葉月が行ってなかをのぞいたが、人の姿はない。参拝の注意点や、風鈴の買い方、飾り方などが書かれた紙が扉の近くに張られてある。短冊とペンの入った缶箱と、値段表もそばにある。それらを見てはじめて葉月は知ったが、この寺ではどうやら絵馬ではなくて、風鈴をその代わりにして願かけをするという変わった方式をとっているらしい。
境内も無人だった。あのときと同じ。鐘撞き堂と焼却炉に、山を背にしてその奥に広がる墓地。
約ひと月半ぶりにふたたび目にする。
興味深げに四方をうかがっていた泉が言った。
「やっぱ動画で見るのとちがうね。僕には全然、別の場所に見える。古いけど、普通っていうか」
「今は昼だし、余計そうだよ。俺も、なんか覚えてたのとちがう感じがする」
光四郎がつぶやいた。彼はあのとき美春とともに、撮影隊の主要メンバーの近く、列の前のほうを歩いていた。
葉月が戻ってきて、「行こう」とふたりをうながす。できれば訪問者のないうちに、やりたいことを済ませておきたかった。三人は忍ぶように境内を横切った。
焼却炉はからのようだった。かき出された灰が山を作っている。通りすぎて墓地へと足を踏み入れる。
三人にわずかな緊張が走った。すぐに泉が言った。
「お供え物って、復活してる?」
あざやかな花が生けてあるのが、遠目にもいくつか分かった。だが飲食物は一見すると、ない。
葉月と光四郎は短く言葉を交わしながら、自分たちの記憶を頼りに足早に墓地を進む。最初に騒ぎが持ち上がった地点を目指すが、似たような墓石に囲まれて、昼夜の見え方の差や感覚のズレも手伝って、進むほどにはっきりとしたことが言えなくなってくる。
それでも、本堂の側面が背中に見え始めたあたりで三人は立ち止まった。
「このへんだったと思う」
と言った光四郎に、泉が返した。
「それは、何かが落ちたのが?」
「や、ちがう……そうじゃなくて、はじめにお菓子とか食べ始めたところが、たぶんこのへんだった。葉月は?」
「うーん……うん、僕もそう思う。……けど、なんか分かんなくなってきちゃった」
「ちょっと、ふたりとも。困るよ。思い出してよ、ちゃんとさ……」
泉は肩をすくめた。が、思案のすえに葉月と光四郎がやはりこのあたりだと自信を持って言うので、そばの墓石や足もとを注視した。
ふたりの記憶では、供物の飲み食いが始まってから自分たちの視界に何かが舞い落ちるまでに、自分たちは、ほかのメンバーも含めて、墓地内をほぼ移動しなかった。大体みんな同じ位置にとどまっていた。
ということは、葉月と光四郎の示した「このあたり」が当たっていれば、その後に何かが落ちたのも、三人が現在立っているこの地点からそう離れていない墓石のどれかからということになるし、勝手に荒らされた菓子やその他は、この周辺に建っている墓石の供え物だったということになる。
しかし当時の騒ぎの名残りは今、跡形もなかった。通路は掃き清められ、落ち葉の一枚さえ見当たらない。
「なさそうな気しかしない、僕。めっちゃ綺麗じゃん」
泉は言いながらスマートフォンを取り出すと、そばに並ぶ墓石や通路の写真を撮り始めた。
「撮っていいか分かんないけど。もしも必要になったときのため」
泉が撮影するあいだ、葉月と光四郎はとりあえず通路や墓石の周りを、落ちているものはないかと目でさがしてみる。墓石は大小や色、造りに差があって、個々の敷地の広さも微妙にちがっていた。一族の名はもっとも分かりやすい位置に堂々と彫られているが、そこに葬られている故人の名や没年度等の詳細までは、石碑に近づいてあらためてみる必要がある。一基ずつ確認するとなると、けっこうな仕事になるが、ここに「彼女」と「彼女のチョーカー」につながるヒントがあるはずだった。これまでの現象に基づいた、三人の考えが正しければ。
「あの人は、このへんに並んでるお墓にいるのかな。きっとそうだよね? そこにいるんだよね」
葉月が言うと、光四郎はあたりを見回して、
「さあ……」
と息をついた。
「いるなら、俺はいっそ出てきてほしいけど。それで話したい」
「分かる」
画面から目をはずし、泉が同調した。
「この写真のどれかに、あとから見返したら写ってくれてたりしないかな。それで交信できないかな、夢とか幻覚とか、回りくどい現れ方しないでさ。……僕、たまにテレビでやってる心霊写真とか、ネットのホラー映像とか、見せられてももうなんとも思わない。恐怖が麻痺してるの……」
そのときやや距離を置いた横手から、ふいにしわがれた声が響いてきた。
「あんたら、何してる? 墓参りかい」
三人はぎょっとして声のしたほうを見た。泉はおどろきのあまりほとんど飛び上がって、はずみでスマートフォンを落とし、慌てて拾って画面をさすった。
声の主は竹ぼうきを持った老人の男性だった。帽子に作業着、ゴム靴を履いて軍手を着け、顔じゅう深いしわを刻んでいるが、つぶらな両の瞳は真っすぐ三人をとらえている。山のほうからこちらへ出てきたらしい。
老人の表情は硬かった。うたぐるまなざしが、三人がここにいるのをあまりいいことは思っていないようだった。
「墓参りか」
「はい」
とっさに光四郎が答えた。
「友達と来ました」
「ほうか。ならいいけども、ご先祖様の墓は大切にせないかん。あんまりあっちゃこっちゃ、いじくり回しちゃいけんよ。あんたら、祭りには来たかね。七月の」
三人は素早く視線を交わした。なんとなく、まずい予感があった。光四郎が若干うろたえながら、
「えっと、花火大会のことですか? 来てないです」
「あんときに墓荒らしがあってねえ」
老人は渋面を作った。
「もうこのへんにあったお供えもんがね、ぜーんぶぐちゃぐちゃにされてね。翌朝になって掃除しに来てみたら、僕んとこの墓はもうちっとあっちのほうだけども、だからなんともなかったけども、このへんはそりゃひどいありさまでね。僕がはじめに見つけたんだけども、まあびっくりしてね。慌てて人呼んで、住職さんに話したけども」
「はい……」
「最初は猪か猿でも来たかと思ってね、でも今までにこんなこと一回もなかったし、どうもおかしいと思ってね。
見てみたら、ちゃあんと綺麗に食べられとるもんで、こりゃあ人間のしわざだと。食べ終わったもんがね、あそこ――あの焼却炉んなかに放り込まれとったりしてね。まったく、なんちゅう罰当たりなことをするもんだと。せっかくのお供えもんをねえ。だからしばらくは、食べもん飲みもんのお供えはやめようっちゅう話になったんだけども……あれじゃあご先祖様が怒っちまってもしょうがない。僕は住職さんの手伝いでいつもこのへんの掃除をしとるもんだから、申し訳が立たなくてね」
三人は動揺を隠しきれず引きつった顔をしていたが、老人は気づかないようだった。光四郎だけがどうにか知らないふりで相づちを返すと、老人は彼を見やり、
「いや、ごめんね。あんたら若い子供さんたちが見えたもんで、僕の知っとる近所の子らでもないもんだからつい、ね。何しとるんかと思ってね、見かけないもんだから。近所のもんがね、ちょうどあんたらくらいの子供たちが大勢で河川敷からこっちのほうへ歩いとったのを、あの祭りのときに見とったもんでね……その子らのしわざか分からんけども、なんせ罰当たりなことしていった……あんたらは、そんなことしちゃいかんよ。悪いことはできん。あとになって、ぜーんぶ自分に返ってくるからねえ。因果応報と言ってね。習ったことある?」
「はい……」
光四郎は口ごもり、あいまいに笑うと、
「あの。……そのお祭りのあと……」
と先を継ぎかけたが、思い直したようにまた口ごもると、黙った。そっと視線を移すと、合った先の泉がうなずき、言った。
「お墓、大事にします。じゃあ僕たち……」
と、さりげなく葉月をつつき――彼も何か訊きたそうにしていたが――三人は連れ立って老人からのがれるようにその場を離れた。この墓地の事情に詳しそうな老人に、万が一だれの墓参りかと問われたら終わりだった。自分たちは答えられない。機転を利かせて墓石にある名字を適当に言っても、付き合いの狭い田舎のこと、おそらくすぐにウソとばれる。
葉月がちらと振り向くと、老人は竹ぼうきをかついだまま、こちらをじっと見ていた。監視しているようだった。
「まだ、いる。ここを出るしかないっぽいよ」
歩きながら泉がつぶやく。
「写真撮ってたの、気づかれてないかな。ヘンに思われてたらどうしよ。たぶん疑ってるね、僕たちのこと」
すると光四郎が、
「いいよ。だって、俺らのしわざだし」
「僕はちがうよ? 光四郎。僕はなんにもやってない。配信を見てただけ」
「だったら俺だって、あのとき何も食べなかったし飲まなかったよ」
「だったら、はーくんもね」
三人は墓地から境内へ引き返し、本堂には寄らず山門をくぐった。階段を下りきったところで互いに顔を見合わせ、ひと息ついた。風鈴の音が来たときのように、頭上でかすかに鳴っている。
「うーん、まさかの事態。これ、思わず出てきちゃったけど、また戻ったらおかしいよね? やっちゃったなあ」
やれやれというふうに自らを手であおぎ、泉が言った。暑さが増してきていた。
「でも、ああするしかなかったね。じゃなきゃ、マジで僕らが犯人にされたよ。あのおじいちゃん、相手にしたらめんどくさそうだし」
三人は黙って山門を見上げた。
「泉。どれくらい写真撮れた?」
葉月が訊いた。
泉はスマートフォンを取り出し、撮影した画像の一覧をスクロールさせた。葉月と光四郎が横からのぞく。
画面いっぱいに、墓地ばかり写した写真が並んでいた。だが泉は表情をくもらせ、
「もっと撮ればよかったな。おじいちゃんに邪魔されちゃったよ。あのお墓に入ってる人たちのこと、これじゃなんにも分かんない。もっと接写して……ひとつずつていねいに撮らなきゃいけなかったのに、数が多くて」
「ううん、十分だよ。何もないより、いい」
と葉月。
「それにあのおじいちゃんのおかげで、僕と光四郎の思った場所が、まちがってなかったってことは分かったよ。何かが落ちたのも、僕たちがお供え物を食べちゃったのも、やっぱあのへんにあるお墓のそばだった」
「うん」
光四郎がうなずいた。
「だから俺、さっきあのじいちゃんに訊こうとしたんだけど。俺らが帰った次の日にあそこを掃除したとき、ゴミのほかに何か落ちてるものはありませんでしたか、って。でも訊けなかった。すごい訊きづらかったし、怪しまれそうで」
「僕もそう。僕も訊きたかった。でも、やっぱり言えなかった」
「だよね」
と泉。
「でも、もしそのときあったとしても、きっと残ってないよ。燃やしちゃったんじゃない? おじいちゃんが全部掃いちゃってさ。ゴミと一緒に捨てられたよ」
「でもそしたら、もしそれがほんとうにチョーカーだったとしたら、それは永遠に見つからないってことになるけど」
光四郎が言うと、葉月は無言に考えこみ、泉は「うーん……」と首をひねった。
「そうだよね。そうなるんだけど、でもなんとも言えなくない? だって最初から僕らは、それがまだあそこに落ちたままとは正直思ってなくて、期待してなかったじゃん。光四郎だって、なくてもともと、でも一応、って感じだったんでしょ?」
「まあ、そうだけど」
「それにもし残っていても、それが実際に僕らのさがしてる……ほら、あの人のご所望の品なのかどうかっていう話だよ。チョーカーじゃなくて、ふたりが見たのはただのハチマキだったかもよ?」
泉はおどけたふうに苦笑した。
「だから、希望は全然消えたわけじゃないよ。あの人の正体について、僕らはまだほとんど何も知らないんだからさ。若い女の人ってことくらいしか」
「――で、さっきの、たぶん、あのあたりのお墓のどれかに入ってる。じいちゃんが来て、ちゃんと調べられなかったけど」
光四郎がまとめた。そして山門をちらとねめつけ、言った。
「また来ないと。なるべく近いうち。じいちゃん対策考えて」
「そうだね。きょうは無理かな。目ぇつけられて出禁になったら、そのほうが最悪。はーくんは?」
「うん」
考えこんでいた葉月は顔を上げ、ふたりへとうなずいた。
「僕もそう思う。また来ればいいと思う。急ぎたいけど、急いで失敗したくない」
三人は泉の撮った写真を見ながら坂をくだった。予想以上に長く時間が過ぎていた。通りへ出ると、屋根を求めてバスの待合所に避難した。やはり無人だった。だが駐車場の車は葉月と泉が来たときより少し増えている。
泉を真ん中に三人は並んでベンチに腰かけると、撮影した画像を念のために一枚ずつ確認していく。六つの目をもってしても、しかしそれらは何の変哲もない墓地の写真だった。「彼女」が写りこむどころか、通路にも墓石のそばにも、写っている範囲には何も落ちていないし異常もない。石に刻まれた一族の名字はいくつか判別できるが、これだけでは情報が少なすぎる。
「疲れちゃった」
かぶっていたキャップを取り去った泉は、両の目を休ませるように手で覆うと、上を向いて静止した。
「ブルーライトの浴びすぎはお肌に良くないのに……」
「そんなこと気にしてんの?」
いぶかり顔で光四郎が尋ねた。泉は上向いたまま、
「そりゃ、ね。子供のうちから老化対策しておかないと、将来困るよ。何もしないでどうにかなるのは十代までって言うし。光四郎も気をつけなよ、なんでそんなに焼けてるの? もとの肌色?」
「サッカーやってるから」
「へえ。でも日焼け止めくらいは塗ったほうがいいよ、マジで。これは雨でも必須。今、塗ってる? 貸そうか?」
光四郎は答えず、視線を離した。スマートフォンを確認すると、美春からメッセージが届いていた。
『光四郎~。何してるの?』
既読にはせず画面をブラックアウトさせ、ポケットにしまう。
どこからともなく虫の鳴き声がしていた。残暑を思わす、ねっとりとした熱気が駐車場のアスファルトからこちらのほうまでただよってくる。
バスの時間までしばらく間があった。それまでどうしようかと光四郎が内心考えていると、目から手を離した泉が言った。
「ね、コンビニ行こうよ。僕、なんか買って飲みたい」
通り沿いを少し行ったところに一軒あるのを、泉はすでにバスの車内からみとめていた。三人は待合所を出ると、だれの姿もない通りを歩いてもよりのコンビニへ向かった。
そこの狭いパーキングにはサイクリング用の本格的な自転車数台があって、乗り手の男性たちがそばで和気あいあいとアイスクリームを食べていた。開閉ドアの蛍光灯に小虫がたくさん付き、大きな扇風機が一台、生ぬるい風を送って蛾をよけている。
買い物を終えて三人は店を出ると、裏手の日陰を見つけ、コンクリートブロックの段差にそれぞれ腰を下ろした。向かいに和菓子屋が、その軒先に風鈴がかかっている。
光四郎は複雑な思いで風鈴が揺れるのを眺め、『水まんじゅう』や『おはぎ』と書かれた店のガラスの張り紙を読んだ。はるばるここまで来た意味が果たしてあったか、疑問だった。墓地では十分な調査ができなかったし、判明したのは肝試しの際の自分たちの記憶がおおむね正しかったということだけで、チョーカーのありかも「彼女」が何者なのかということについても、有力な情報は得られていない。
「進展はゼロ」
つぶやいた彼の隣で、「えっ?」と泉が言った。
「どうして?」
「だってさ……」
「ゼロじゃないよ、光四郎。そんなこと言わないで」
泉は自分のペットボトルのふたをあけた。しゅっと小気味よい音を立て、炭酸がはじける。
「きょう一番の収穫は、光四郎、きみに会えたことだよ」
泉は真面目な顔で言った。
「きみを見つけて、仲間が増えた。明光第一の六年ってことも、撮影隊のメンバーだったことも、それからきみの頭が良さそうなとこも、僕にとってはすごくラッキー。だから、きょうはそれでいいじゃん」
返す言葉のない光四郎へ、今度は葉月が笑いかけた。
「ありがとう、光四郎。僕も心強い」
「いや、別に……俺、何も」
「よし。それじゃ乾杯しよ」
泉がふたりをうながした。そして三つのペットボトルを前に、
「チアーズ」
「それ、どういう意味?」
光四郎が訊く。「『乾杯』だよ」と泉。
「英語でね。はい、もう一度。チアーズ」
ごつんとペットボトルがぶつかり合った。勢いを得て、どくどくと三人の喉を過ぎていく清涼感。
日差しが強い。
連絡先を交換したあとで泉に押しつけられた日焼け止めを、光四郎はそれから渋々塗りたくった。
*
翌月曜日、二時間目の算数のあとの中休みだった。休み明けの確認テストを控え、ボードの端には各科目の出題範囲が記載され、時折、担当教員が修正を加えていた。
教科書とノートを机にしまっていた葉月は突然、背後から話しかけられた。
「葉月くん」
振り向いた葉月の目に、立ってこちらを見下ろすクラスメイトの女子が映った。
葉月にはめずらしい相手だった。実際、話しかけられたのははじめてかもしれない。
「ちょっと話せる?」
「う、うん……」
思いがけないことに葉月はちょっと戸惑いながら、
「えっと……どうしたの? えっと」
「風荷。そう呼んで……『葉月くん』でいい?」
「うん。あ、ありがと。風荷……」
風荷は近くの席で机に突っ伏して寝ている直弥をいちべつした。そして椅子を立つよう葉月を目顔で急かした。
葉月は風荷のあとに付いて廊下へ出た。風荷は目立たない窓際まで葉月を連れていくと、けわしいまなざしで彼を見据えた。しわひとつないグレーのブラウスに膝丈の白スカートをはいて、眼鏡の位置を直すと髪を耳にかけ、小声に言った。
「葉月くん、鈴掛の花火大会でやった撮影に直弥くんと参加してたって、ほんと?」
「うん。ほんとだよ」
「そう」
「なんで? 風荷は――」
「あんな動画見なければよかったって、すごく後悔してる」
強く言い捨て、風荷は唇をかんだ。葉月はかすかに息をのんだ。
「私、あれのライブ配信を見てたの。塾の友達と。でも葉月くんと直弥くんには気づかなかった。知らなかったの。まさかクラスメイトがいたなんて思ってなかった」
「そう……」
「途中からあんなことになって、私、しないつもりだったけど我慢できなくなって、あのとき急いでコメントしたの。『見つかる前に帰るべき』って。でも意味なかった。遅かった。もうお供え物はぐちゃぐちゃだったから」
「あの人の夢を見てる?」
「今さら何言ってるの……? 見てない子がいるなら逆に教えてよ。だから始業式のときみたいなことが起きたんじゃないの? 私と一緒に配信を見た子は、ちがう学校の子だけど、塾で仲良しなの。同じ中学目指してる」
風荷は心からつらそうな顔になって、
「でも、あの夢のせいで熱出して、身体壊して、塾にも学校にも来られなくなったの。でも私たち、準受験生なんだよ。五年の夏って、受験組にとってはすごく大事だったのに。私、悔しくて……なんでこんなことになったんだろう、って。……あんな動画、見なきゃよかった。ちょうど塾の帰りだったの。親の迎え待ってるあいだ、私があの子を誘ったの。だから」
「でも……でも動画を見てなくても、夢からは逃げられなかったよ。夢はみんなに感染してる。パンデミック。だから」
「分かってる。分かってるけど悔しい。許せない。みんなのうわさがほんとうなら、動画のためにお墓であんなことをしなかったら、私たちがこんな目に遭うこともなかったのに、なんで――」
風荷は言葉を切り、葉月と教室をちらと見た。そして訂正するように継いだ。
「ちがうよ。葉月くんと直弥くんが悪いって言ってるんじゃない。そういうことを言いに来たんじゃないから」
「ううん、いいよ」
「私はただ、一刻も早くこんなことを終わらせたいの。そのために何かしたい。直弥くんはあんな調子でずっとふざけてるから、話すつもりなかった。だから葉月くんに言ってる。撮影に参加してたなら、私よりいろんなことを知ってるんでしょ? なんでもいいから教えて。それか、もし何かしてることがあるなら、私もやる。私も協力する」
風荷はきっぱり言った。
「私は私にできることをしたい」
葉月はまばたきし、風荷を見つめた。風荷は目をそらさなかった。
「何もできない自分が一番悔しくて、許せない。私……チョーカーに負けたくない。いつも言われるの、『私にはできない』、『できるわけがない』って、夢で、だれかに……それがチョーカーなら、私は負けたくないよ」
「だったら風荷も、一緒にさがしてくれる?」
葉月はささやいた。
「それが僕の……ううん、これを止めるために僕たちがしてること。さがしてくれる?」
「何をさがすの?」
「チョーカー。夢に出てくるあの人の」
「どういうこと? チョーカーって実在してるの? 私は……ううん。とにかく教えて」
「うん。でも話すには時間が要るから。あとで……えっと」
「お昼休みに」
葉月はうなずいた。またひとり仲間が増えたというおどろきと興奮で、彼はその後の授業はほとんどそっちのけになっていた。
昼休みを丸々使って、それから葉月は風荷へ自分の考えを説明した。夢に出てくる若い女性。彼女が求めているチョーカー。葉月に呼ばれて泉もその場に交ざった。校庭の隅の、桜の大木の下で三人は声をひそめた。
泉は校則を破って持ってきているスマートフォンから、光四郎へメッセージを送った。返事はすぐに来た。
『いいよ』
風荷は葉月や泉や光四郎のような内容の夢を見ておらず、チョーカーに対する認識も明瞭ではなかったが、彼女は非常な物分かりの早さで三人の目的を理解した。
やがて昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り、泉は六学年のフロアへ向かい、葉月と風荷は自分たちの教室へ戻った。
階段の踊り場で、泉は急ぎ光四郎へ返信を送った。
『また連絡する。土曜は空けておいて』