第8話

文字数 5,060文字

 朝方の公園にひと気はほとんどなかった。住宅街にあるので、日課の散歩やジョギングをしに来たり、愛犬を遊ばせに来たりするラフな服装が折々現れては去っていくのみだった。普段、園内を急ぎ突っ切っていく通勤の大人や、制服を着て重そうなカバンを持った学生の姿はない。
 八月も三週目に入ろうとしていた。だぶついたTシャツにハーフパンツでブランコに腰かけていた葉月は、車両止めの柵の向こうに、こちらへと歩いてくる泉をみとめた。黒いスポーツキャップに黒いスキニージーンズをはいた長い足が気だるげに、疲れたようにゆっくり近づいてくる。
 「おはよ」
 キャップの下で泉は力なく笑った。彼がたまにする化粧は、葉月の目にきょうはないように見えた。
 「泉。顔色悪いよ。だいじょうぶ?」
 「マジ? そんなに悪い?」
 泉は手で頬を叩くと、
 「日焼け止めしか塗ってない」
 と目を細めた。日差しに真夏の匂いがしみる。きょうも暑くなるだろう。
 「はあ。だめ」
 泉は肩を落とした。
 「あんまりだいじょうぶじゃない。完全に睡眠不足で」
 「そう。……そうだよね」
 分かるよと葉月はつぶやいた。そして音のないため息を作った。
 「最近、寝る前になるとドキドキする。ちょっとだけ」
 「何それ? ときめき?」
 泉は笑みを浮かべたが、それもつくろったような、ぎこちないものだった。
 盆休みは終わろうとしていた。一週間ほど前、月曜の朝に泉が電話をかけたとき、葉月はもう起きておりすぐに応答した。だが彼は家族とともに母方の実家へ帰省を兼ねた旅行へ出る直前にあって、その予定は泉も葉月に聞いて知っていたはずが、自身に起きた出来事へのショックでそのときは忘れていた。
 スマートフォンの画面越しに泉の用件を、その話の内容を手短に聞き、自分はこっちに残ると葉月ははじめ泉へ言った。だが泉のほうがそれをこばみ、そんなことをしてヘタに心配をかけるより一緒に行ったほうがいいと主張したためその電話はそこで終わりになり、のちにあらためてふたりは電話で話した。泉がカフェでクラスメイトの女子から聞いた話、彼が見た悪夢、そして翌日の朝にあったふたつの報道。市内と都内、距離は離れているが亡くなったのはどちらも小学生だったこと。ほかにも気になる点があること。そして例の動画が削除されておりネット上ではすでに視聴できないこと。泉は投稿者の少年と連絡が取りたかったが、一応尋ねてみたところやはり葉月は少年の連絡先ばかりか、あの撮影日に耳にした彼のあだ名くらいしか把握している情報がなかった。
 ともあれ葉月が戻ったら会おうとふたりは決めた。それまで、何かあればすぐに連絡を取れる状態に自分たちを置いておく約束もしたが、その連絡は結局ふたりともせずにきょうを迎えた。葉月はもともと積極的なタイプではなかったし、電話やメッセージより会って話したほうが早いと泉は思っていた。
 「あれから、はーくんは何かあった?」
 泉は葉月の隣のブランコに座った。
 葉月はあいまいに自身の右肩をなぜた。
 「ない、かな……夢は見たよ。同じ夢。似たような夢。そればっかり」
 葉月は頭をかいた。少しやつれたようで、その表情からは果たして帰省を楽しめたかどうか疑問だった。
 「泉は? また見た?」
 「僕は見てない。このまま見ないでいたいよ、それかせめてほかの内容がいい。またあれと同じヤツ見せられたら今度こそ死ぬかもしれないから。ほんとに最悪だった。よく生きてるよ」
 「泉と僕と、夢の内容がちがうんだよね。たぶんほかの子も、もし見てるとしたら、みんなちがうんだと思う」
 「同じなのはそれが死ぬほど怖い夢ってことと……あの……女が出てくること。だれか分からない、女の……」
 「うん」
 「それから……あれでしょ。チョーカー」
 「うん。チョーカー」
 ふたりの口はずんと重くなった。チョーカーと言葉に出しただけで、酸っぱいような苦いような嫌な感覚が広がる。
 ふたりは黙った。幼稚園くらいの小さな男の子が母親らしい女性と入ってきて、その子は砂場へと駆けだした。元気いっぱいに「ママ!」と呼んでいる。
 「あの子は見ないのかな」
 ぽつんと葉月が言った。
 「それか、まだ夢も見ないくらい小さいってことかな。それじゃ、僕たちよりもっと上の人たちはどうなのかな。中学生とか高校生とか」
 「さあ……」
 泉は声を低めた。少し経って、思案顔に「あのさ」と言い直した。
 「僕、はーくんが行ってるあいだにまたちょっと聞いたんだけど」
 「うん。何?」
 「電話で言ったよね、りあっていう僕のクラスの子。たまたま会って、カフェで一緒にお茶した」
 「うん」
 「その子からメッセージで聞いたんだけど……うわさだけどね、まだ」
 泉はいよいよ言いづらそうに、宙に浮かせた足先を揺らした。
 「入院したみたいよ、あの動画を投稿した子。前に話した、怖い夢を見たっていうりあの友達のひとりがその子を知ってたみたい。風邪のひどいやつだかなんだか……肺がどうとか、詳しいことはりあもその友達もよく分からないんだけど、とにかく最近、市内の病院に入院したって。その子、明光第一(めいこうだいいち)小の六年らしいから、そこに通ってるほかの六年をさがせばもっと何か分かるかもしれない、あの撮影隊にも交じってたんじゃないかと思うんだけど……。でもそれよりやばいことも一緒に聞いたの。その明光第一の六年のなかに、ついこのあいだ死んじゃった子がいるみたいで」
 「え……死んだ? 

?」
 「そう。

。でもその子のことは、調べてみたけどニュースにはなってない、事故とか事件じゃないみたい。もうお葬式は済んだらしいけど、だれも呼ばない式――なんだっけ、ほら――密葬。密葬だったって。死んだのがだれかは分からなかった、けど知れるのも時間の問題だと思う。もううわさがどんどん広まってるから、その子のうちに救急車が来てたとか、親が警察に呼ばれたとか。僕がりあに聞いたこともどこまで信じていいか怪しいよ。だけど、ねえはーくん。その子なんで死んだのかな。どうやって死んだと思う?」
 泉はかなり早口に言った。
 「その子が投稿した子の友達か知り合いだったら。それだけじゃなくて、もしその子もあの動画撮影にかかわっていたとしたら。だって同じ明光第一の六年だったんだよ、その可能性は高いよ。もしかしたらはーくんも、それか僕もその子の顔を見たらだれか分かるかもしれない。だってはーくんはあの撮影に行ったんだし、僕はその撮影された動画をライブで見てたんだから。そうだよ、やっぱりあの動画――あれがおかしいんだよ。何かが」
 言葉が途切れ、またも沈黙が流れた。泉は気を落ち着かせるふうに大きく息をし、先を継いだ。
 「りあから、きのう夜中に電話かかってきて。泣き声だったの、自分も女の人が出てくる怖い夢を見たって。そのことで僕とやりとりしたのもあったから、余計に怖かったみたい。もう怖くて眠れない。怖くてだれにも話せないって」
 「伝染したの?」
 「分からない。夢を見たりあの友達はあの動画の視聴者だったよ、僕と同じであのライブ配信を見てたの。りあが直接本人に確認してくれたみたいだからほんとだと思う。でもりあはあの動画を見てない。見るどころか僕が訊くまで存在さえ知らなかったはず、『企画モノには興味ない』って」
 「じゃあ動画を視聴したかどうかは、夢を見ることとは関係ないのかな。偶然なのかな」
 「もしかしたら夢を見た友達と話したときうつされたかもしれない。それか僕と接触したせいかも。友達じゃなければ僕がうつしたかもしれない。どっちみち僕も配信を見て、夢も見て、それはりあと会ったそのすぐ次の日だったし」
 「じゃあ動画を見た泉も撮影に参加した僕も、これからどんどんほかの子にうつしていくのかな」
 「分からない」
 「そうやって伝染していくのかな。そうやってみんなあの夢を見る」
 「分からない。だってこんなの」
 「ううん、そうだよ。マンションから飛び下りた子も東京で電車にひかれた子も、明光第一の子もやっぱりみんなそうだったんだよ。泉もそう思うでしょ? みんなあの夢を見て、あのだれか分からない女の人に会ったせいで死んだ。あの人の夢がどんどん広まってる。みんなにうつってる。あの配信があってからまだ半月くらいしか経ってないのにもうこんなに死んじゃってる。すごい速度。僕たちが知らないだけで、きっとほかにも死んだ子はいる。それか死にそうになってる。このままじゃ――」
 「やめて」
 葉月は口を閉じた。ややあって泉は「ごめん」とつぶやき、いら立ったように継いだ。
 「こんなのバカみたい」
 砂場から明るい声が響いていた。待ち合わせていたのかもうひとり幼児が母親と現れ、その声は二重になって聞こえた。母親同士の楽しげな会話が切れぎれにふたりの耳へ届くが、彼らと自分たちとでは今いる世界がまるでちがっているようにふたりは感じた。でなければあんなに平和そうに笑うことはできない。
 ふたりは互いに考えこみ、地面に足をついてブランコを前後に揺らしていた。よほどそうしていたが、しばらくして葉月が言った。
 「確かなのは……」
 彼はここで言葉を止め、深く呼吸した。
 「僕たちはチョーカーをさがさなくちゃいけない、ってことだよ。泉」
 「はーくん、そればっかり」
 言下に泉が答えた。うんざりした声だった。
 「本気で言ってるの? そりゃあの人は夢でそう訊いてきたよ、ウザいくらい何度も。チョーカーはどこだ、って。けどチョーカーっていったって、それだけじゃ全然分からない」
 「どうして? 泉はチョーカーが何か最初から知ってたよ」
 「そういう問題じゃないの。僕が言いたいのは、チョーカーがどういうものかは分かるけど、じゃあたとえば僕がなんでもいいから新しいチョーカーをどっかのお店で買ったら、あの人は満足すると思うの?」
 「思わない」
 「ほらね? そうでしょ。あの人は、さがせって言ってるからにはどれか特定の、あの人の思うチョーカーをさがしてるんだよ。チョーカーならなんでもいいわけじゃない。だったらチョーカーをさがせってただ言われたって、それがどういうチョーカーだかこっちにはさっぱりでしょ。全然分からないよ、せめてヒントくらいくれなきゃ。形とか色とかブランド名とか値段とか、なんだってあるでしょ。新品とか中古とか」
 「うん」
 「そもそもはーくんは、あの人が夢で言ってくることを本気にしてるの? だって『夢』だよ? 現実じゃない。確かに僕らは同じような最悪な夢を見始めてるけど、その夢で言われることを本気にしてどうするの。神の啓示とか、夢のお告げとか、ゲームとリアルをごっちゃにして宝さがしするくらいそれってバカげてるよ。僕たちは小学生だけど、もう何も考えられない子供じゃないんだよ」
 「うん」
 「はーくんはあの人を何者だと思ってるの。人間? 幽霊? 生霊? 怨霊?」
 「分からない」
 「だったらあの人の言うとおりチョーカーをさがすなんて、だめ。そんなのあるわけない。見つかるはずない」
 「だったら泉は、あの子たちが死んだのは何もかも偶然だったってことでいいの? 分かってるだけでも、寝ていたはずの子が急にマンションから飛び下りて、『さがしものがある』って言いながら電車にひかれた子がいて、あの動画を投稿した子が入院して、それと同じ学校に通ってた子が死んだんだよ。それが全部たまたまなの? 僕たちがあの夢を見るようになったのも、その夢がどんどんほかに広まってるのも全部、たまたま?」
 「それは……」
 「ちがうよ、泉。きっと偶然なんかじゃない。これは現実だけど、夢みたいな現実なんだよ。あの人がそうさせた。僕たちはこのことを『できれば話したくない』。夢を見た子はたぶんみんなそう、できれば黙っていたいって思ってる。すごく怖いから。だけどそれじゃだめだよ、何かしなくちゃ」
 降ってわいたかのような強い口調で葉月が言った。そのいつにない激しさにうろたえた泉は視線をそらすと、悄然と言った。
 「怖いよ、はーくん。なんでそんなに真剣なの? 取りつかれてるみたい」
 「そうだよ」
 葉月は即答した。きいっとブランコが鳴り、葉月は地面から目を上げた。時間が経って、園内には少しずつ人が入ったり出たりするようになっていた。
 そのようすを無表情に見守りながら、葉月は言った。
 「もう取りつかれてるんだよ、僕たち」
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