第11話

文字数 3,938文字

 翌午前中、朝から明光第一小の体育館に、校長に教頭、担当教員その他六学年の生徒とその保護者たちが続々と集まり、用意されたパイプ椅子に列を作って腰かけた。窓という窓をあけ放ち、巨大な扇風機が何台も回っていたが、ないよりはまだマシという程度のじっとりとしたすずしさだった。明光第一は市内のうちでもかなり生徒数の多い大所帯の小学校だったので、ひと学年のみの関係者でもそれなりの規模だった。
 席はクラスごと分けられていた。光四郎は母親と前列の端のほうに座ったが、美春は来ておらず、ほかにもちらほら姿のないクラスメイトがいた。全体に、本来の数よりあきらかに生徒が少ないのが見てとれたし、また来ている生徒たちも、各々の保護者がそばにいるということを差し引いても静かだった。ほとんど会話らしい会話はなく、冗談交じりに騒ぐグループもなく、押し黙って、その暗い雰囲気だけは説明会の主旨と合っていた。
 長ったらしい教頭のあいさつのあとマイクは学年主任へと移り、彼女の口から自宅で亡くなった同級生について話が進められた。だが内容はその死の詳細ではなく、むしろそれに関する事実の大半は生徒たちには伏せられたまま、彼女が主に語ったのは「今後の学校生活の送り方」や「心身の健康の保ち方」だった。
 「みんな――お願いします。どうか自分のなかだけに閉じこめておかないで」
 落ち着き払った声をかすかに震わせ、懇願するふうに主任は言った。
 光四郎は非常に居心地が悪かった。どうせ聞かされるなら死んだときの状況を詳しく知りたかった。でなければ一刻も早くこの場を出たかったが、ふと視線が合った隣席の友人もしょぼくれた目に疲れを含ませ同じようにうったえていた。
 「みんなは来年、中学生です。こうして一年ごと元気に成長し、無事に小学校を卒業する、それがどれだけありがたく、そして立派なことか、それを心にいつも留めてください。私たちはみんなの味方です。生きていると必ず、困難はやってきます。だれでもそうです。私たち先生も、みんなのお父さんもお母さんも、一度は困難を経験しているはずです……」
 これでは「自殺はやめましょう」と暗にぶちまけているようなものだった。的外れもいいところだった。
 光四郎は壁の時計を見た。きょうは近所の祖父母の家に行っている妹が心配だった。すすめたのは光四郎で、家にひとりでいるよりは安全だろうと思っての提案だったが、不安はぬぐいきれない。
 「みんな。つらいこと、不安なことがあれば、どんなにささいなことでもいいんです。相談してください。ひとりでかかえこまないで、私たち大人にもみんなの悩みを背負わせてください。私たちは必ず聞きます。一緒に悩んで一緒に考えます。そのために私たちがそばにいることを、どうか忘れないで――」
 聞く気がうせ、それ以降、光四郎はうわの空だった。ただ、その大人の口からひと言もあの夢の話やそれにまつわる異変の話題が出ないことを考えると、現時点で大人を頼って相談した子供は自分も含めいないのだと理解した。当然だと思った。
 会が引け、だれからともなく席を離れ始めると、あいさつをしてくるから待っているよう母親に言われた。残された光四郎は席に座ったまま、動かされてがたがたと鳴るパイプ椅子の音をぼんやり聞いていたが、そのうちクラスメイトの何人かが連れ立って彼のそばへ来た。先刻、目の合った隣席の友人も交じっていた。光四郎とのあいだに微妙な視線のやりとりがあった。
 「久しぶり……」
 光四郎は力なく笑ったが、彼らの反応もまた弱々しかった。
 どこから漏れたのか、彼らは光四郎が記念病院へ見舞いに行ったことを知っていた。そして入院中の彼がどんな状態だったか尋ねた。心配しているというより、何かをひどく恐れる口調だった。
 「死んじゃうかな。そう思った?」
 「さあ。分かんない」
 光四郎は答えた。
 「死ななきゃいいけど」
 「何、話したの? なんか話した?」
 「あんまり。なんにも……」
 「なんか言ってなかった? ほら……」
 友人は言葉を切ったが、もどかしげに「ほら」と光四郎をうながした。自分では言いたくないようだった。
 「あれのこととか……あれ……光四郎は知らない? 見てないの?」
 「見たよ」
 「やっぱり。じゃあ分かるじゃん。あれ……あの――」
 そのとき、がたんと派手なノイズと同時に椅子の倒れる音が体育館じゅうに響いた。一瞬の静寂のあと、どよめきが広がった。
 「救急車、救急車」
 だれかが連呼するのに合わせて駆け寄る足音の大半が、機材の片づけや雑談でその場に残っていた教員たちのものだった。保護者らしい女性が取り乱した声を上げ、倒れた椅子のそばにかがみこんで何かしている。
 意識をうしなったのは他クラスの生徒だった。光四郎からは顔が見えずだれかはっきりしないが、椅子の位置がそうだった。
 「熱中症だと思います、先生、熱中症」
 「早く早く、だれかつめたいタオルを――」
 倒れた生徒の周りに出来た人だかりは騒然としてひとつにかたまっていたが、それは教員や保護者によって作られた人だかりで、あせっているのはどうやら大人だけのようだった。彼らは懸命に介抱していた。
 光四郎は表情の抜けた顔でその光景を眺めていた。すると隣に立っていた友人が小さく舌打ちした。光四郎が思っていたのとまったく同じことをつぶやいた。
 「熱中症なわけないじゃん」
 背の高い扇風機が勢いよく回っていた。確かに暑いが、死ぬほど暑いわけじゃない。体育の授業のほうが、これよりずっと蒸し暑い。
 しばしの間のあと、光四郎の近くで、耐えかねたふうにだれかが訊いた。
 「殺されたの?」
 小声だったが光四郎にはよく聞こえた。倒れた生徒にかかりきりになっている大人たちを尻目に、ささやきがほうぼうで交わされ始めた。
 また死んだ……殺された。まだ分からない。ほんとうに熱中症かもしれないし……何言ってるの? ちがうよ。夢で見なかったの?
 チョーカーだよ。
 そう。チョーカー。
 「しいっ!」
 色をなくして唇に指を押しつけ、沈黙を求める声があった。チョーカーと聞いた全生徒の四方で空気がつかの間、凍りついた。それは彼らにとって今や口にしてはならない単語であり、タブーだった。
 「言っちゃだめだよ。言ったらだめ。言わないで」
 「あーあ、知らない。またやられるよ」
 「怖い。怖いよ、言わないでよ」
 呪い殺される。静かにして……。だれもが顔いっぱいに緊張と恐怖をみなぎらせていた。倒れた生徒が担架にのせられているが、そちらを見やる同級生はいない。
 大人に聞かれたら殺されるよ。怒るよ、あの人。
 あの人? あの女の?
 そうだよ、呪われるんだよ。あいつに――あの人。
 次はだれが死ぬのかな。
 光四郎は止めていた息をはっと吐き出した。友人たちと無言に顔を見合わせ、椅子を立った。これ以上、ここにいる気力はなかった。担架は首尾よく運び出された。母親を待たずひとり渡り廊下から外へ出て、妹のようすを聞こうと祖父母の家に電話をしようとして新着メッセージに気づいた。美春。
 『説明会、終わった? 会えない?』
 既読になるとすかさず、『会おうよ』。
 『お願い!』
 光四郎は捨て鉢な気持ちになった。ぴんと張りつめていた神経が、強くはじかれた痛みだった。顔色を変えず衝動で返信した。
 『いいよ』
 その夜、零時を過ぎたころ、妹の寝顔を確認してきたあとで自室の机に突っ伏してまどろんでいるさなか、光四郎は短い夢を見た。
 美春が、きょうの午後に会ったときと同じ服装ですぐ横に座っていた。狭い場所にふたりで閉じこめられていて、暗く、光四郎は早く出たいのだが美春は気にも留めずに笑っている。彼女は光四郎が知る美春と変わらないが、そのポニーテールがなぜかきょうの午後よりずいぶん伸びていて長いこと、彼女の口調が昔のアニメに出てくるキャラクターのように芝居じみていて古くさいことに光四郎は困惑している。
 「これを見て」
 美春は自身の首を指差す。
 「それ、何?」
 「チョーカーよ」
 かわいいでしょう? 美春はしとやかな笑みを広げる。光四郎は戸惑い、なんと答えるべきか迷いながら美春の首にあるチョーカーを見つめるが、それは霧のようにかすみ、ぼやけていた。いくら目を凝らしても、その色や形や太さを認識できない。光四郎はだんだんじれてくるが、美春は笑みを保っている。
 そのうち美春はチョーカーをはずした。光四郎にすり寄ると、はずしたそれを彼の首に巻きつけ、あらわになった自身の首もとをもう一度指差して示した。その指を光四郎の背に回すと、まとわりつけ、抱きついて、身動きの取れなくなった彼の耳へささやいた。
 「ねえ?」
 光四郎はびっくりした。知らない感覚だった。息をするとぬくもりがあり、焼けるような熱が体内を侵食していく。
 「さがして」
 全身が圧迫されていた。じっとり濡れた地面に手をついた光四郎の指が、いつかぴくりと動いた。
 「さがして。私の」
 机から顔を上げたとき、汗をかいていた光四郎は冷静だった。美春の姿をしていたから恐ろしいという感覚はなかったが、これもあの夢。あの夢の別のかたち、そしてあの人の別のかたちだと思った。
 彼は口内で繰り返しつぶやく。ささやかれたことを何度も復唱する。
 「かわいい……チョーカー……私の……さがして……チョーカー……チョーカー」
 光四郎のなかで、「チョーカー」と「さがせ」のふたつがリンクした。彼にとっては新しい情報、はじめてのつながりだった。
 チョーカーをさがせ。
 光四郎は目をあけ、考え始めた。その目はするどく、言うに尽くせない使命に燃えていた。
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