第27話

文字数 7,264文字

 四人は閲覧台をかこみ、各々に地域紙の三面を追うことに熱中した。6日の夕刊から、7日、8日、9日、10日、その後……しかし、出てこない。8月の中旬を過ぎて下旬になってもそのような殺人事件の見出しはなく、また一方でこの女性らしき人物が発見されたという情報もない。「尋ね人欄」まで含めてさらっても、ない。女性に関する情報は更新されていない。
 9月に入っても状況に変化がないので、とうとう泉は見ていた紙面から身を起こすと、
 「僕たち、何かまちがえてる?」
 と沈黙を破った。視線を落とし、腕組みした。
 「なんで、ないの? ハズレってこと? もし当たりなら、この人ははーくんが言ったみたいに殺されたはず……」
 考えこみ、だれにともなくつぶやき始める。それはひとり言のように台上で響く。
 「落ち着け。考えろ、僕……女性は7月31日に出かけたきり行方不明。8月6日になって居場所を訊く記事が親から出された。その後、一ヵ月近く経った9月になっても進展がない。途絶えてる。考えられるのは……?
 ハズレだったら、この人は殺されてない。普通に生きていてまだ失踪してるか、単に無事で帰ってきたから情報がない。そりゃそうだよね、無事ならもう新聞には出てこない。さっきまでの一致は奇跡の偶然で、あの人とは無関係。そうは思いたくないけど……。
 反対に正解だったら、この人は殺されてる。82年に21歳で殺された。男に絞殺された。
 けど実際問題、失踪からひと月が過ぎてもそれっぽい事件の報道は新聞にない。しかも僕は82年度に起きたメジャーな殺人案件をきのう一覧で見て、そのときには該当なしって判断をしてる。でも、もし……もし正解だったら、この人は殺されたはずなのに……殺人ではあったけど、ネットのリストに載せるほどのメジャーな事件ではなかったってこと? 信ぴょう性もないフリーサイトだし、編集した人の載せ忘れ? 僕の見落とし? それか……すぐには殺されなかった?」
 「そうかも」
 風荷が答えた。全員が泉のつぶやきを真剣に聞いていた。
 「もしこの人が当たりなら、何かの理由で、まだ失踪中のまま殺されてないのかも。誘拐とか。それか本人が望んで連絡を絶ってる。家出みたいに。だから葉月くんの見た内容、その事件が起きたのはこの人が失踪してだいぶ経ってからで……」
 「や、でもそれじゃおかしい、気がする」
 今度は光四郎。頭をフル回転させているらしい。
 「この人が当たりなら、結局は82年に死んでなきゃおかしい。だって墓碑にそう刻まれてたんだから。享年21っていう年齢とセットで、没年は82年って。刻んだ側がそれを知っていたってことは、82年に死んだことが確定できたからで」
 「そう。そうだよね……そう」
 泉が急いで引き取った。
 「お墓にそれを刻んだ人たち、家族とか、だれでもいいけど、その人たちは没年を知ってた。82年だって分かってた。だったら、この人が当たりで、はーくんの言う事件に巻き込まれて死んだとして、その事件はやっぱり明るみになってないとだめ。ずっと失踪中のままとか、あきらめて死んだものとしたとか、それじゃはっきり没年を刻めない。刻もうとしないはず……だからこそ、82年に発行された三面に、この人が当たりなら、その事件が報道されていないとつじつまが合わない。そうじゃないと82年に死んだことにならないし、そもそも死んだかどうかさえ分からないままになる。でもまだ9月だから。このまま調べていけば、もしかしたら83年になる前のどこかで――でなきゃ、やっぱりハズレに――」
 「あっ!」
 そのときだった。葉月が小さく叫んだ。
 「そうだよ!」
 びっくりした三人がいっせいに顔を向けると、葉月は放心したようにその場に立っていた。そして空中のどこか一点を熱っぽい瞳で見つめ、「時間差だよ」と言った。
 「時間差だったんだよ。みんな。どうしてすぐ思いつかなかったんだろ? 僕は」
 言葉を切り、うつむいて間をおく。
 「葉月くん?」
 「風荷。泉、光四郎……僕、落ちたんだよ。夢で、トンネルを抜けて落ちたんだ。暗くて狭いところ。深い穴みたいなところ。ねえ泉、僕、あのとき言ったよね? 『投げて隠した』。犯人はあの人を殺したあと、死体を投げて隠した。だから時間差なんだよ、ねえみんな。
 あの人は82年の夏に殺された。愛した人に殺された。でも死体が見つかったのは、もっともっとあとだったんだ。犯人があの人の死体を穴に投げて隠したせいで、あの人は行方不明のまま、ずっと見つけてもらえなかったんだ――!」
 三人ははっと硬直した。泉の脳裏を、昨夜ネットで見たケースのいくつかが光線のごとくよぎった。
 殺害された死体は、すぐに発見されるとはかぎらない。時には長く失踪したきり、日数を重ねて、その失踪さえ忘れられかけたころになってようやく見つかることがある。
 きのう泉が精査したリストのなかにも、そんなケースがあった。確かにあった。急に姿を消した女性が、数年後になって発見された。死体は白骨化しており死因は特定できなかったが――。
 「彼女」もそうだったのか? 殺されたのが82年でも、死体が別の年に遅れて発見されたなら、殺人事件として報道されるのは実際に殺害が起きた82年ではなく死体が見つかったその時、その年になる。死体が出てこないかぎり「彼女」はあくまで失踪者であって、その生死は不明。仮に82年が丸々その状態であったなら……確かに「殺人事件」として当時の新聞が大々的に取り上げたはずはない。殺人かどうか分からないのだから。
 葉月の言うように、犯人の男は「彼女」を絞め殺したあとその死体を「投げて隠した」。つまり犯行を隠ぺいした? 82年にそれが起き、日数が経過した未来のどこかの時点で「彼女」の死体は発見された……とすればなぜ発見に至ったか? 偶然か、だれかの捜索の結果か、犯人の自供か……分からないがとにかく、もし葉月の言葉が正しければ、たとえ82年のあいだに「彼女」の件について続報がなかったとしても納得はいく。殺された彼女はまだ失踪者のまま、少なくとも自分たちが調べた期間内には見つかっていない……?
 「でもそれじゃ……それじゃ、さ」
 なだれのような思考が四人を襲ったあと、恐ろしいことに気づいてしまったという顔で光四郎が言った。
 「それじゃ俺たち、この人が当たりなら、この人の死体が発見されたって記事が出てくるまで、ずっと調べ続けなきゃいけないってこと? でもさ……」
 彼は頬を引きつらせ、
 「それって、いつになるか分かんないじゃん。まだ82年の9月までしか調べてなくて、もしその死体の発見が5年後とか10年後とか15年後とか――そんな感じだったらどうすんの? 絶対そんなの、きょうじゅうに終わるわけ……」
 そのとおりだった。失踪したというこの女性が「彼女」だったとして、そして82年の時点で殺害されていたとして、しかしその死体が発見されたのがいつなのかという点についてはこちらには何の手がかりもない。ひたすらあとの記事を追いかけ、この女性がのちに死体となって発見されたと分かる続報が――あると信じて――作業を続けていくしかない。
 数十秒ほど、だれも何も言わなかった。考えただけで気が遠のくような感覚。四人は閲覧台にひらきっぱなしになっている数々のファイルを、そこにぎっしり並んだスクラップを無言に見つめていたが、「もうやめよう」とはだれも口にしない。
 代わりに思っていた。
 ここでやめたらどうなる?
 答えは明白だった。
 そのうち「彼女」にやられる。これは時間の問題。そして「彼女」の力が暴走する。さらなる死。
 あとは?
 「彼女」の正体を突きとめることは、チョーカーを発見するための大切な土台になる。できなければ、何も分からず「彼女」に屈するだけ。
 さらに数十秒後、泉が言った。
 「やろうよ」
 昨晩深夜、彼は危うく屈するところだった。「彼女」は好きなときこちらを殺し、そして生かしもすると分かった。
 首のあざは「彼女」の指の跡。それが確かな証拠。
 「僕はやる」
 すると風荷も続いた。
 「私もやる」
 葉月の答えは聞かずとも全員にあきらかだった。だが彼は力をこめて言った。
 「見つかるまで、やるよ。あの人と約束した」
 三つの視線が光四郎へ集まった。さぐるような、そして不安そうな。
 光四郎は三人を順に見て、ちょっと目を伏せた。ため息を我慢していた。
 「光四郎」
 泉がうながす。
 「分かってるでしょ? 今さら引けない。ここまで来たら――」
 「分かってるよ」
 伏せた目をぐっと上げ、なかばひらき直った声で光四郎は言った。
 「やるよ。俺もやる。最後まで」
 三人に安堵の色が浮かんだ。「よかった」と葉月。笑っている。
 風荷も同じだった。うれしい、とさえ思った。胸をなで下ろし、提案した。
 「『尋ね人欄』に記事があった三つの地域紙に絞って、手分けしたらどうかな。全国紙は見ないで」
 「いい案。賛成」
 泉。四人は急いで方針を定めた。
 女性が行方不明になり、居場所を問う「尋ね人欄」に記事の掲載があったのは県下で発行されていた三種の地域紙。自宅は「鈴掛」と記事に言及があった以上、少なくとも女性の家族は当時県内に在住していたと思われ、そうなると、失踪した女性について新たな情報があれば、それもおそらく「尋ね人欄」で利用されたのと同じ発行元がまず最初に報じようとしただろう。その続報の内容次第では全国紙にも記事が上がったかもしれないが、そうでなかった場合を考慮すると、記事のオーバーラップに期待してそちらに労力を割くのはもったいない。
 つまりやるべきことは、光四郎が記事を発見して以降、先刻までと変わらない。
 求めている続報が見つかる可能性が高いのは、「尋ね人欄」に掲載のあった三つの新聞社から発行されていた地域紙。そう考えるのが妥当だろう。
 82年の9月に入ったあたりで中断しているそれらの三面。そのチェックを続行する――。
 泉と風荷はパソコンの電源をオフにした。閲覧台へ戻る。時計を見る。
 追加のファイルの山がそれぞれの台上に出来ると、保管室はふたたび静寂に戻った。

 以降、四人は一心不乱に三紙の見出しを追いかけた。熱中するあまり時の経過が途中から分からなくなった。
 一時間、二時間。だれもひと言も発さないまま過ぎ、保管室へと入ってくるほかの利用者も皆無で、空間には四人の立てるわずかな物音のみ響いていた。
 三時間。82年が終わった。求めている内容の記事はない。女性が「彼女」なら、その死体はまだ発見されていないという判断になる。風荷がトイレに行ったのをきっかけに寸暇の休憩。フロア内での飲食は禁止だが、喉が渇いて仕方がなかった。どうせだれも来ないと、泉と光四郎は持参のペットボトルを出す。
 葉月には休憩という概念がないようだった。ふたりからやや離れた台を貸し切って、神経衰弱でもするような、異様な集中力を保ち続けて顔さえ上げない。
 光四郎は人生ではじめて首と肩の痛みを覚えた。はあと椅子に倒れこみ、ぐったりと息をつくと疲労がぱんと弾け、やばいと思って立ち上がった。ここで充電を切らすわけにはいかなかった。
 背後に泉の気配があった。光四郎が振り返ると、暑いのかシャツのボタンをはずしている。
 その首を見て光四郎はおどろいた。思わず小声に尋ねた。
 「それ、どうしたの?」
 「あ、これ……?」
 泉は首にまだ残っている五つの斑点をさっと隠そうとしたが、もういいやという表情になってやめた。葉月のほうをいちべつし、秘密、と息を吐くように言った。
 「きのう、出来たの。何だと思う?」
 「怪我? ぶつけたの?」
 「こんなとこ、ぶつけないよ。あとは想像に任すよ。今、頑張らないときみにも出来るかも……」
 光四郎はなんとなく察した。詳しく知りたくもなった。だが言いたくないという気持ちはきょうまでに身に染みて分かっている。だから静かに尋ねた。
 「痛くない?」
 「平気」
 「消えるよ、そのうち」
 「うん」
 「隠さないでいいし」
 「ありがと。……」
 風荷が戻り、ふたりは黙った。
 いつの間にか午後3時を過ぎ、すでに夕方に差しかかっていた。閉館時刻は午後8時。あす、月曜は休館日。
 ひと気の絶えた室内は、階下で起きている利用客の出入りを四人に忘れさせた。窓に近づけば眼下の駅前が見えるが、だれも行こうとしない。
 彼らにとって今は1983年だった。現在にいても頭のなかはそうだった。手もとに広げる紙面の発行日とともに時間が動き、見出しが変わり写真が変わり、一日一日が着実に過ぎていく。
 ファイルのページをめくり、それをあけたり閉じたり、書架と閲覧台を交互に行き来したり、単調な物音がその後、長いあいだ続いていた。根を上げたような弱音はだれからもないが、はげまし合う言葉もなかった。
 無言のまま、ただ時間が経過していく。83年の夏が終わり、秋が来る。ちょうど今の時期と重なる。
 発見はない。
 四時を回り五時へ近づき、空の色は次第に変わってきていた。薄雲がいくつもの筋となって浮かぶ向こうに、やわらかな夕焼け。間もなく茜色の光がガラスを照らし始めたが、彼らはそちらに目を向けようともしない。
 秋が終わり冬が来て、しかし何の進展もないまま、83という年はついに明けた。
 全員へとへとだったが、彼らはそれぞれのタイミングで壁の時計をちらと見たきり、やはり何も言わない。
 必死だった。ハズレだったら、という可能性は頭から消していた。求める記事の内容のほかは何も考えず、ひたすらに目の前の紙面を追いかける。
 84年の春だった。積み直されたファイルの山、移り変わる三面記事の数々はいっそすがすがしいほど分かりやすく当時を語っている。はじめは見慣れなかった漢字や表現にも慣れ、文字というより記号として認識するように、内容を片っ端から理解していく。そしてまた判断する。これもちがう……これもちがう。
 日の落ちた窓外はもう暗かった。駅前のビルやマンションや商業施設のあかりが、それなりの夜景を作っている。空に代わって窓ガラスに移りこむのは、白熱球のもと高熱に侵されているかのような四人の姿。
 だがタイムリミットが近づいていた。閉館時刻の三十分前になるとアナウンスが始まり、退館をうながされる。見回りも来るかもしれない。
 84年の4月が終わり、5月、6月。この地方も入梅する。夏のおとずれが迫る。
 同時にタイムリミットもいよいよ迫っていた。午後七時過ぎ。五分、十分、十五分……そのとき。
 「あっ――!」
 数時間以上ぶりにだれかの声がした。
 「あった! ねえ――」
 葉月だった。三人の目がいっせいに彼を向いた。
 「これだよ! これ……みんな……みんな」
 興奮のためか疲労のためか、その呼びかけはかわいそうなほどうわずっていた。
 「見て――!」
 がたっと椅子の倒れかかる音。「いたっ!」とうめいたのは光四郎。
 電光石火のような速さで、若干足もとをふらつかせながらも三人は葉月のもとへ駆け寄った。
 葉月は三人へ何か言おうとするが声が出ない。ゆでだこのように頬を上気させている。
 泉は肩で息をしていた。メイクしていることを忘れてか、手の甲で汗をぬぐう。
 光四郎はもはやTシャツ一枚でも暑いらしい。両袖を肩までまくっていた。
 駆けつけたはずみにずり落ちた眼鏡を、風荷は慌てて戻す。
 葉月が懸命に指で示すその記事――それは1984年7月7日付け、土曜、七夕の日に発行された朝刊の三面。光四郎が最初に「尋ね人欄」に記事を発見した地域紙だった。

 『井戸底より女性の遺体引き上げ 死後数年が経過か
 遺棄したとみられる男を再逮捕』

 『去る七月六日、旧姫神(きゅう ひめがみ)トンネル付近の井戸底から女性の遺体が引き上げられた。遺体の存在を警察へ自供したのは麻薬所持および詐欺未遂容疑により逮捕・留置されていた男(二十八)で、男によると遺体は数年前に殺害した自身の愛人に当たる女性(当時二十一)であり、男は女性を殺害後、当該の井戸へ遺棄、そのまま自動車で逃走したという。
 警察は男の余罪を捜査し、容疑が固まり次第あらためて起訴する方針を示すとともに遺体の特定を進めている。遺体は大半が白骨化しており詳細な鑑定には数日を要すると思われるが、性別は女性、また男の供述によれば被害者の氏名は……』

 「この人だよ……」
 葉月が熱っぽく言った。確信があるようだった。
 「この人……この人だよ……まちがいない。旧姫神トンネルは、僕も候補に挙げてた。あのとき、夢で僕が走ったトンネル……この人だよ。絶対にこの人……」
 言い聞かせるように繰り返す。その声はかすかに震えている。
 「やっと……やっと見つけた……やっと」
 保護シート越しに、葉月は指で記事に触れた。
 一方、立ち尽くし、泉と光四郎のふたりは放心していた。何も言わず、互いにそれぞれの想いにふけってそこを凝視していた。
 思い出す。どちらともなく汗がつたい、肌をくすぐる。
 「彼女」はこの人。この人は「彼女」。
 夢に見る、幻覚に見る、そして現実に見る「彼女」。
 「さがしたよ」
 と葉月。呼びかけている。
 「いっぱい、さがした」
 風荷は何かしら力が抜け、その場にへたりこみそうになった。
 あなたが……? と心で呼んでみる。
 どの息づかいも長距離走のあとのようだった。四つの視線は記事の続きで止まっている。目が離せない。

 『男の供述によれば被害者の氏名は……』

 その名前。
 それは風荷のリストとぴたり一致していた。
 享年21。名前は――
 「あなただったんだ。あなたがチョーカーをさがしてる。僕に夢で頼んだ、あなたが……そうだよね?」
 葉月が呼んだ。
 「優子(ゆうこ)さん。穂坂(ほさか)――優子さん」
 閉館を伝えるアナウンスが、ゆるやかな曲に乗せスピーカーから流れ始めた。
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