第16話

文字数 4,261文字

 山道に入ると、空は晴れているのに薄暗くなった。高木にさえぎられて日陰が増えた。路面は整備されたアスファルトだが、山からくだってきた水で一部が濡れ、その上に折れた枝や草木が落ちている。
 少しのぼったところに寺の山門へと続く石階段が見えたのは、記憶のとおりだった。夜だったあの際には目につかなかったが、階段の手前に石碑があった。寺の名が刻まれている。
 その名をみとめたとき、前方のカーブの向こうから車の走ってくる音がしたので、光四郎は目を上げた。すぐにグリーンのつやめくスポーツカーが姿を現し、勢いよくカーブを曲がりきって光四郎の横を過ぎ、その先の一時停止から通りのほうへと去っていった。山道を走ってきたのだろう。彼はそれが「ロータス」という英国メーカーの車だと、ひと目見て分かった。
 階段の下から、光四郎は山門へと視線を移す。自分のこの行動が正解なのかどうかは分からない。だが行動しないかぎり状況は悪くなる一方と知っている。ほんとうならば先週のこの日に来たかったが、都合がつかなかった。田舎はバスの本数が少なすぎる。増やせないならせめて電車の一本でも近くまで通してほしい。
 一段目に足をかけたとき、坂のほうを見やった彼は、こちらへとのぼってくるふたりの少年に気づいた。足を止めると、向こうのほうが早く気づいていたらしく、ふたりは光四郎に目を据えたまま急ぐように歩いてくる。ひとりは黒いキャップに黒いズボン、もうひとりもキャップをかぶり、青と黄緑のシューズが路面に映えている。
 その青と黄緑の少年のほうに、光四郎は見覚えがあった。いや、あるような気がした。
 彼が思い出そうと考える間もなく、ふたりの少年は光四郎との距離を縮めた。青と黄緑の少年が、頬を上気させ開口一番、「やっぱりそう……」と言った。
 「撮影のときにいた」
 そのおとなしそうな顔と控えめな物腰に、光四郎はうっすら思い出した。
 「ああ」
 と応じ、あらためて相手を見た。
 確かに撮影に参加していた少年だった。だが最初から最後まで目立たず、撮影中もほとんど黙っていて存在感がなかった。撮影隊のメンバーはなんだかんだで十人を超える大所帯になっていたし、すぐには思い出せなかった。
 「分かった。あのときの……えっと……」
 光四郎は言いかけたが、名前を知らなかった。すると黒いキャップの少年が「はーくん」と呼んだ。
 「ほんとに撮影にいた子?」
 「うん。それとあのとき、ほら、こないだ――フードコートでアイス買う前に見た」
 「えっ、マジ? それ、すごい偶然。撮影にいた女子とふたり一緒だったってやつでしょ?」
 「うん」
 光四郎はうろたえ、理解が追いつかず眉を寄せた。
 「何? 俺を見たの?」
 という問いに、黒いキャップの少年が説明した。それを聞いて、どうやら自分が夏休み中に美春といたところをこのふたりに目撃されていたらしいと分かった。「はーくん」と呼ばれた少年は気づいたとき、追いかけて話しかけるか迷ったが、とっさのことで結局やめたのだという。
 「だから、すごい偶然じゃない? ――ね。ここでまた会うなんて」
 この黒キャップの少年に、光四郎はなんとも言えない違和感を抱いた。男子なのか女子なのか分からないようなしゃべり方に、服装は男子っぽいが雰囲気はそうでもない。細身の長身は光四郎とほぼ変わらなかった。男子ということはまちがいなさそうだが、自分とは何かが全然ちがうという直感を光四郎は得た。
 「僕は泉。藤ヶ(ふじがおか)小の六年。こっちははーくん……」
 「葉月。僕も泉と同じ、藤ヶ丘の五年」
 「そっちは?」
 泉がうながした。
 「はーくんから、撮影のとき、きみは明光第一の子としゃべってたって聞いたけど。もしかして」
 「そうだよ」
 光四郎は答えた。
 「俺は光四郎。明光第一の六年。あの撮影には、クラスの友達に誘われて行った。そっちが一緒にいるのを見たっていう女子と、あいつ……あの動画を企画した……どっちもクラスメイトなんだけど」
 聞いたとたん、葉月と泉の表情が興奮にかすかに動いた。
 「すごい。だったら話が早いよ。光四郎。――あ、僕のことは『泉』でいい」
 泉が真顔に言った。
 「今ここにいるってことは、お互い状況は分かってるよね。僕らと、僕らの周りで何が起きてるか。ひょっとして聞いてるかもしれないけど、藤ヶ丘では始業式の日に事件が起きた。休み中、そっちであったことも少しだけ聞いてる。どう考えてもこのままじゃまずい。でも大人は頼りにならない。僕たちも頼りにしたくない。あの人を怒らせたくない」
 「分かってる。それは俺も思うし、こっちでもみんなそう思ってる」
 「よかった」
 「始業式のことは知ってる。体育館でだれかがあの人を見て、生徒が逃げたって。そっちも……泉と葉月も逃げた? それとも実際に見た」
 「いや、僕は逃げたけど見てない。はーくんはその日は休んでて、式にはいなかった。熱が出てたの……ねえ、まずちょっとだけ話さない? はーくんも座ろ」
 日陰になっている段を選んで泉が腰かけると、葉月はその隣に、泉からやや距離を置いて光四郎も座った。葉月と泉の目に、あらためて近くにする光四郎は日に焼け、手足がすらりと伸び、疲れた顔をしているがまなざしはするどく澄んでいた。立てた膝に腕をかけた気だるい仕草で、本人は意識していないらしいが、その大人びた都会的なオーラは藤ヶ丘ではあまり感じないものだった。
 「訊きたいことがあるの」
 横から光四郎をうかがい、泉が切りだした。
 「例の動画がとっくに削除されてるのは知ってるよね? たぶん投稿した子が自分で消したんでしょ?」
 「そうだよ」
 「だけど、僕たちはできればもう一回あの動画を見たいと思ってる。映像をちゃんと確認したいから。それで考えたんだけど、あれの元データって――」
 「もうないよ」
 光四郎はきっぱり答えた。
 「半月くらい前に病院行って、あいつに直接訊いた。そしたらそう言ってた。元データも全部消した、って」
 「マジ? そっかあ……残念。まああんまり期待してなかったけど。その子と連絡取ってない?」
 「取ってない。ていうか取れない。返事来ないし、あれから面会謝絶になってる。あいつ……病室で話したとき思ったけど、頭おかしくなってる」
 「精神病ってこと?」
 「たぶん。親とか先生は黙ってるけど、俺はそう思った」
 「そっか……なるほどね。あの人の影響か」
 「ていうかさ、なんであの動画をまた見たいの?」
 光四郎が横目に尋ねると、泉はわざとらしく笑んだ。
 「そっちこそ、なんで? わざわざお見舞い行ってあの子に訊いたなら、光四郎もあの動画をもう一度見たいと思ったってことでしょ?」
 「俺は……最初は単に、動画に何かあると思ったから。いろいろおかしくなり始めたのは、あの撮影のあとからだったし。けど今はさがしてる。あの人の――チョーカーをさがしてる」
 光四郎はにらむように泉を見返した。
 「夢であの人に頼まれた。だからどこにあるのかすごい考えて、最近やっと思い出した。そういえば肝試しのとき、何か落ちた。布みたいなやつが確か落ちた気がする。それでさがしに来た。まだあるとは思ってないけど、でも」
 「一緒だ。僕たちと。ねえ、はーくん」
 「うん」
 葉月は瞳を大きくして身を乗り出し、光四郎へ向け強くうなずいた。
 「光四郎も見てたんだ。ほかにも見た子がいたんだ。……そう、何か落ちたよね? あのときお墓のどれかから、ひらひらって、布みたいなものが」
 「じゃあ葉月も」
 「うん。僕も見た。僕たちもそのことを思い出して、ここに来たんだよ。けど泉はライブ配信の視聴者だったから、きっと落ちたものは見てない。でも僕が見たって言ったから、さがすのを手伝ってくれてる」
 「そういうこと。つまり僕たち三人は、同じ目的でここにいるんだね。同じことを考えてる仲間ができたってだけでも、うれしい」
 泉がかみしめるように言った。
 「だから、せっかくだから僕たち、協力しない? 光四郎」
 「協力……?」
 「そう。どう? はーくん。光四郎は明光第一の六年で、動画の企画人とクラスメイト、しかも撮影隊のメンバーだった。そして『チョーカー』のことを僕たちと同じように考えて、さがそうとしてる。最高の助っ人じゃない?」
 「うん。僕もそう思う。光四郎、僕たちも一緒にさがしていい?」
 「僕もはーくんも、現象を止めたいの。これ以上、あの人にやられる子が出る前に。あの人の力はどんどん強くなってる。もう夢だけの存在じゃなくなってる。はーくんだって、起きてるときにあの人を見て、熱が出て大変だった。早く現象を止めたいのは、きみだって同じでしょ? 一緒に頑張れば、どうにかなるはず」
 光四郎は少しためらった。彼はひとりでやるつもりでいて、相手はふたりとも他校だし、話をしたのもはじめてで、この提案は思いがけないものだった。しかし泉の言うことは、確かにそのとおりだった。めちゃくちゃになった日常を、今よりもめちゃくちゃにさせないためには。
 「分かった。いいよ」
 光四郎はうなずいた。
 「協力する」
 「決まり。ありがと」
 泉が笑った。目の下のクマに、ほんのりと血色が戻った。

 「じゃ、仲間が増えたところで、行こっか」
 三人は階段をのぼり始めた。のぼりながら、光四郎の背後から葉月が尋ねた。
 「光四郎はどうやってここまで来たの? バスじゃなかったの」
 葉月と泉の乗ったバスに光四郎はいなかった。だが今ほどの時刻に市街地から鈴掛に到着するには、さっきの便を使うしかない。
 「車で来た」
 光四郎は振り向かず言った。
 「そっちはバスだった?」
 「うん」
 「そうなんだ。途中でバスを一台追い抜いたけど、あれに乗ってたかな」
 「だれかに送ってもらったの?」
 「そう。知り合いの人に」
 すると泉が意外そうに、
 「へえ。よくこんなとこまで乗せてくれたね? 遠いじゃん」
 「ついでだから、って。その人、俺と同じマンションに住んでるんだけど、きょう、こっちのほうでキャンプするから」
 その若い男性はサッカーの社会人チームでプレーしていて、週末の練習ではよく光四郎と顔を合わせた。マンションの廊下でもたまに見かけた。古いランドクルーザーが愛車で、バスは面倒だと思っていた光四郎が「乗ってみたい」と言ったら、こころよく行きの足を引き受けてくれた。
 「だから、帰りはバス」
 山門が近づくと、風鈴の音がわずかに聞こえた。
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