第15話

文字数 4,630文字

【協力】

 始業式は木曜だったので、葉月と泉はその週末には鈴掛に行くつもりでいた。だが市バスの休日ダイヤを調べると、ほとんどは車に頼るような田舎だからか、泉の予想したとおりまず本数自体が非常に少ない。親に不審がられずに行って帰ってこられる範囲の時間帯には都合のいい便がなかったので、鈴掛行きは翌週末に持ち越すことにした。隔週でダイヤが変わる仕組みだったので、その週であればなんとかなりそうだった。
 それをふたりが決めたのは始業式の翌日の金曜だったが、式を欠席した葉月にとってはその日が休みを終えてはじめての学校だった。泉とちがって、彼は早朝の集団登校にきちんと交じっていた。
 始業式での突発的な衝撃と混乱は、次の日になってもまだ相当の余韻を校内に残していたが、その多くは教員たちのもので、生徒たちのほうははた目には冷静だった。葉月のクラスは欠席者がなく、この日は全員がそろっていた。彼はクラスメイトから式での出来事を簡単に話して聞かされたが、そこで新しく彼が知ったのは、あのとき、最初に叫びだした生徒が他クラスの男子だったことで、その生徒はきょうは欠席。だれかが朝に教室まで見に行って尋ねたが、来ていないという。
 前日の騒ぎによるごたごたで、教員側が短縮日程に変更していた。葉月は、自分をあの撮影に誘い、当日も一緒に鈴掛へ行ったクラスメイトの直弥(なおや)を久しぶりで見て、その笑顔に少しほっとした。直弥は葉月と同様、市の科学館の常連で、熱帯魚よりは昆虫のたぐいに興味を示すが、葉月よりずっと明るい性質をしているのにクラス内では妙に葉月とよく話した。
 直弥はあの撮影後、八月の半分以上を旅行先の海外で過ごし、葉月とはほとんど連絡がつかなかった。帰国してからやっと周囲の友人の異変に気づき、そこではじめて、自分の見ていたおかしな夢が自分だけに起きている現象ではないと知ってびっくりしたらしい。
 「葉月。お土産。あげる」
 直弥は彼独特の短い言葉をつなげたような話し方で、葉月に小さなガラス瓶を渡した。なかには青や白や銀色の石粒がぎっしり詰まっていたが、それは石ではなく、海岸の砂を模したチョコレートだという。
 葉月は直弥に、動画を投稿した少年と撮影後に連絡を取ったことはないか尋ねた。答えはノー。そもそも直弥は葉月と同じでその少年の連絡先を知らなかった。次に葉月は尋ねた。
 「肝試しのとき、みんながお供え物を食べて遊んでたとき、お墓から何か落ちたのを見なかった?」
 直弥はこれにもうろんな顔をし、「ううん」と首を横に振った。
 「全然知らない」
 直弥はあっけらかんとしていた。一連の異変をあまり重くとらえていないらしく、怖い夢を見るのも、その夢があの撮影のあとから始まっていることも、たまに起きうる日常の偶然と思っているらしかった。現象が始まったときすでに海外という非日常にいたせいか、泉の言うように個人差の問題か、直弥の見る夢はとても抽象的で、彼は「彼女」の姿を見たこともなければ「チョーカー」とささやかれたこともまだないようだった。
 葉月はそれらのことを泉に話した。すると泉は、「ずっと思っていたんだけど……」と、あの動画の元データの存在について自分の考えを口にした。つまり、ネット上に出回っているデータは削除されているので視聴できない。だがあのとき撮影されたデータ自体は、もしかすると投稿者の少年か、あるいは撮影者の少年が、彼らのスマートフォンなりパソコンなりにまだ持っているのではないかという可能性の話だった。しかしそれを確認するにはとにかく本人たちに尋ねてみなくてはならない。撮影した少年のほうは死んでしまっているので望み薄として、投稿者の少年は生きて入院中なのだから、訪ねていって訊いてみれば教えてくれるのではないか。果たして素直に答えてくれるかどうかは別として……また仮に運よくデータが残っていても、本人が見せたがらないかもしれない。そもそもまともに会話ができる状態にあるかが分からない。
 「でも、はーくんの見たっていうお墓から落ちた何かは、画面には映ってないんでしょ?」
 「うん。そう思う」
 「だったらまあ、病院に押しかけてってあの子に直接問いただすのは、鈴掛に行って何も分からなかったときのための最終手段に取っておいたほうがいいかもね。大体、面会できるかも微妙なんだし。僕たちって、あの子にとっては完全な部外者じゃん? 友達でもなんでもないし。無理って言われたらそれまで」
 「うん」
 泉はそれから、その日に自分のクラスで起きたささいなケンカやいざこざについても口にした。休み中にりあから聞いていたとおり、すべての元凶はあの動画と動画内での炎上行為らしいといううわさは小学生のあいだにかなり広まっている。そのせいで、泉のクラスには葉月や直弥のように撮影に参加した生徒はいないが、あのライブ配信やのちに投稿された動画を見た生徒もやり玉に挙げられた。映像を見なかったのに現象に巻きこまれてつらい思いをしているクラスメイトたちは、視聴した生徒たちを彼らのせいと言って責めた。配信を見ていた泉も何やかやと言われたが、そのうち非難されていた側の女子が泣きだし、しまいにはりあがキレて、教室じゅうに響きわたる声で一発、「もうそういうのやめて!」と叫んだ。と同時に休み時間の終了を告げるチャイムが鳴った。
 泉としては「さんざんだった」という。そして葉月に、撮影隊のメンバーだった以上は気をつけたほうがいいと言った。動画を見た生徒より、当日の現場に居合わせた生徒のほうがさらに激しい攻撃の対象になりえる、と。
 「みんな、だれかをたたかないと気が済まないんだよ。なるべく静かにしといたほうが身のため」
 葉月も十分それは理解していた。実際、自責の念も感じていたし、非難されても仕方ないと思ってもいた。問題は、直弥のほうにまったくその感覚がないことだった。
 土日をはさんだ週明け半ばに、市内の端にある小学校で「またも」児童の転落があったいうニュースがかけめぐった。夏休み中の校舎でも同じ事故が起きていたため、関係者は泡を食って対応に追われているらしい。
 クラスの大半がそれをチョーカーのせいだと考えているなか、直弥はけろりとして近くの席の葉月へこう言った。
 「こんなゲームあるよね。デスゲーム。ひとりずつ減っていく。最後に残った人だけが勝者。脱出できる」
 葉月は顔色を変え、あせって周囲をうかがった。不謹慎という言葉が頭に浮かんだ。だが直弥は気に留めることなく、いたずらっぽく笑った。
 「次は僕だったりして。それかこのクラスのだれか」
 「直弥――」
 葉月はこちらにそそがれているつめたい視線をいくつか感じた。そっと目を向けると、女子たちで、そのうちふたりはやってられないというふうに顔をそむけて席を立った。ふたりとも頬が青白く、あまり眠れていないようだった。そしてもうひとり、座ったまま葉月と直弥を無表情に見つめていた女子へ言った。
 「行こ。風荷ちゃん」
 葉月は目をそらした。教室全体が、なんとなくピリピリしていた。
 薄笑みを広げているそばの直弥をうかがった。
 考えてみれば、こんなふうにひょうひょうとして真面目に取り合おうとしないのは本来、直弥らしくないのだった。茶目っ気はあるが、あえて周りを怖がらせるようなことをふざけて言うタイプではなかったのに、どうして。夏休み前の直弥はこうではなかった……。
 早く現象を止めなくちゃ。早く見つけなくちゃ。
 胸にあるのはそれだけだった。
 はやる気持ちで、葉月はカレンダーを見た。



 迎えた土曜日、朝からよく晴れていた。九月になっても暑さは引かず、じっとりとした熱気はまだ続くらしい。
 葉月と泉は駅の駐輪場に自転車をとめ、ロータリーに並ぶ停留所から鈴掛行きのバスに乗った。車内はがらがらだった。途中何度か、軽装にちょっとした手荷物を持った高齢の女性が乗っては降りをしていたが、出発から終点まで乗りとおしたのはふたりだけだった。自家用車で移動したほうが断然便利なのだから、わざわざバスに乗る人は子供と高齢者のほかはめったにいない。
 道中、ふたりの口数は少なかった。のろのろと揺られながら、窓際のふたりがけに収まっていた。泉はバスが苦手で、高確率で酔うので事前に薬を飲んでおり、そのせいで眠たいらしく、しかし寝たくないのでうとうととしかけてははっと顔を上げ、葉月を心配させていた。
 一時間と少々を過ごし、バスはようやく終点にたどり着いた。昼にはよほど間があるが、太陽はすでに高い位置から四方を照らしている。
 ウッド調の待合所にはだれもいなかった。無料の駐車場も兼ねているので、乗用車は何台かとまっていた。葉月の記憶では、花火大会のあった先々月の最終日にはここが満車になっており、臨時のパーキングへの案内看板も出ていた。あたりの光景は、しかしそのときとさほど変わっていない。河川敷に伸びている雑草がやや減ったように見えた程度だろうか。市街地と比べて山々に近く、緑の量は圧倒的に多い。
 長時間の乗車で疲れたのか、待合所のベンチに腰を下ろした泉はキャップをはずすと、「まず確認」と葉月を見た。
 「きょう、ここへ来た目的。はーくんの見た、お墓から落ちたらしい何かが、まだそのへんにあるかどうかをさがす。奇跡が起こってあった場合、それが何なのか、あの人の……チョーカーと言えるのかチェックする。合ってる?」
 「うん。合ってる。けど、それとまだ」
 自分の水筒を泉へ渡しながら、葉月は言った。
 「あそこのお墓に、どんな人が入ってるのか。名前とか、いつ死んじゃったのか、そのときの年齢、それと――」
 「性別ね? 女の人がどれくらいいるか」
 「そう。でも、おばあちゃんじゃないと思う。きっと若い。僕たちのお母さんよりもっともっと若い」
 「そうだね。僕もそんな気はしてる。チョーカーなんて言うくらいだし……まあそれは偏見か。なんでもない。別におばさんだってチョーカー着けるよね。そんなの人の勝手」
 泉は専用スペースに停車したバスを横目に、首を伸ばして椅子から背後を振り返る。通りをはずれた坂をのぼっていくと山道になり、そのさらにもう少し上へ行くと例の古寺が現れる。
 撮影隊がたどったのと同じルートなので、泉はその道順を覚えていた。だが狭くて暗い画面越しにコメントを追いながら見ていたのと、こうして明るいうちに実際に来て目にするのとでは映る光景の印象がだいぶちがった。あのときは坂の下の道路にも露店が並んでいて、人出があってにぎわいがあって、今のようなひなびた感じはなかった。
 軽トラックが一台入ってきて待合所のそばを通りすぎ、駐車場を奥のほうへと走っていった。停車中だったバスのエンジンがかかった。
 泉は立ち上がると時刻表を見た。帰りのバスがまちがいなくあることを確認してから、水筒をしまった葉月へ言った。
 「そろそろ行く?」
 「うん」
 葉月はキャップをかぶり直した。
 「行こう」
 駐車場を出て坂をのぼり、山道を目指す。傾斜はさほどではなく、坂としてはゆるやかなほうだろう。
 ふたりが山道へ差しかかろうかというとき、そちらのほうから軽快なエンジン音がした。緑色の小さな車が、虫のようなデザインをした鼻先を見せすっと停止すると、ふたりの真横を坂の下へと向け走っていった。
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