第36話
文字数 4,599文字
茂っている草木は山林へ近づくほど高く、伸び放題に伸びている。道沿いのほうはさほどでもないが、それでも大人の腰丈はあるだろうか。夏を過ぎて成長したのか、もとからこうなのか。
新聞記事に書かれていた松原計の供述によれば、松原計は穂坂優子を殺害後、その遺体を車内から降ろし、証拠隠滅のため所持品ごと「そばの」古井戸に投げて遺棄した。その記述にあやまりがなく、そして葉月の感覚が正しければ、松原計が穂坂優子を投げ入れた井戸というのは現在、四人が立っているこの位置からそう離れていない位置になければおかしい。女性とはいえ絶命した人間ひとりをかかえて夜の暗闇を長く移動するのは容易ではなく、もたもたしているうちにだれかに目撃されるリスクもある。松原計としても早いところ遺体を捨て、その場を立ち去りたかっただろう。
四人は草むらに分け入った。周囲を見わたす視界は十分ある。振り返ればトンネルを出てすぐの道が映り、遊歩道をたどる先の山林が背後に広がる。
さがし始めてほどなく、それは見つかった。道をはずれて数メートルもないが、トンネルへ向けやや奥まった段差のそば――茂みのなか。
「あれだよね?」
と泉。自身の膝より高い草むらを蹴りながら、即席の道を作っていた光四郎が、
「井戸……で、合ってる? これ。井戸?」
「ちがう? 僕にはそう見える……」
急いで近づく。確かに井戸だろう形状をした円形の突出物がある、が……周囲にはそれ全体を覆うように鉄網がめぐらされ、井戸そのものにも鉄網がかぶせられていた。すっかり赤茶け錆びており、経年がうかがえる。
周囲をかこった網に、板が無造作に巻きつけられていた。
『危』
と、真っ赤なひと文字。手書きではなく印字。いつのものか不明だが、これも相当に古い。
「あのときは、なかったのに……」
ぽつりと葉月がつぶやいたので、三人は青くなって彼を見た。
「葉月……」
光四郎の肩をつかみ、無言に泉が制する。ふたりはささやきを交わしたが、内容は風荷に聞こえなかった。
ある程度に予期してはいたが、やはり立ち入り禁止にされている。穂坂優子の件が影響したのか、単に事故を防ぐためか。井戸があっただけよかったが、これでは内部をのぞくこともできない。光四郎は鉄網に触れてみたが、特殊な道具がないかぎり自力でこれを破るのはとても無理そうだった。
仕方なく、網の向こうの井戸を見つめる。大きさはどれほどだろうか。石造りで、先刻のトンネルと質感のようすが似ている。高さは四人の腰より低そうだが、直径がある。ドラム缶やマンホールより大きい。だが井戸と聞いて連想するような、水をくみ上げるための桶や滑車のたぐいはなく、吹きっさらしに屋根もないので人目につかない。
使われなくなって、どれくらい経っているのか。確かにあのなかに落とされては、なすすべがないという気がする。あえてのぞこうとする人がいるとも思えないし、地元住民ならまだしもたまの登山者や通行人では、そもそもが存在に気づけそうにない。
「深いのかな」
風荷の問い。
「深いよ」
葉月が答えた。
「どうする?」
光四郎が重ねた。
四角いケージに閉じこめられている井戸。近づこうにも近づけない。
光四郎が網に指をかけた。
「のぼる」
「え、やめなよ。無理だよ。――え、ほんとに?」
泉が止めたが、すでに光四郎は右足を上げている。蹴りだすように網へ押しつけ、その足を軸に力を入れ……
「あ、だめだ」
網目が小さく、うまく手足がかからない。腰を浮かしたものの足を下ろした光四郎は、おもむろに網から下がって距離を取る。草むらを踏み助走をつけ、その勢いで思いきり――がしゃん! 派手な音とともに網を駆けのぼる。
三人が不安げに見守るなか、少々強引に飛び乗った光四郎はそのまま網づたいに井戸の真上に行った。指がしびれていたが、知らない。付着した錆を払う。鉄の匂い。
「どう?」
泉が尋ねた。
「うーん……分かんない。ふた、されてて、なんも見えない」
真上まで来ても、網で閉じられている井戸の内部は目視では確認できなかった。光四郎は目を凝らしたが、隙間に見えるのは黒々とした闇だけ。深さも何も分からない。
光四郎はため息をついた。余計なことするなよと、バリケードを設置しただれかに文句を言いたくなる。
時の経過が、今さらこんなことをしても無駄だと自分たちを笑っているようだった。
冷静に考えれば、求めているチョーカーが見つかる確率はあまりに低い。それはとっくに分かっている。
穂坂優子がこの井戸に遺棄された1982年7月31日から現在まで、数十年以上が経っている。その間、どれだけの人間がここへ来たか。どれだけの景色の変化があったか。ひと気のない山中の野ざらしに、当時の遺留品が今もなお自分たちの手の届く範囲に現存して残っている可能性はあるのか。あるいはたとえそれらが遺族のもとに返され保管されていたとしても、経年による傷みは避けられない。いつかの時点で紛失したり、破棄されていたりしてもなんらおかしくない。
記事によると、井戸底から引き上げられた穂坂優子の遺体は白骨化し、肉片がわずかに残るのみだったという。発見が遺棄から二年後で、その二年のあいだずっと井戸水に浸かっていたのだから当然と思われる。しかし肉体がそんな状態だったのであれば、身に着けていた衣服や装身具などは発見時にはほとんど腐敗して原形をとどめていなかったのではないか。チョーカーが穂坂優子とともに井戸底に眠っていたかどうかは分からない。だがそれさえも不明の状況で、アクセサリーとしての穂坂優子のチョーカーが、その材質がなんであれ果たしてほんとうにこの世にきょうも存在しているのか。
途方に暮れ、光四郎は網上に腰を落とした。
気が遠くなった。
最後まであきらめるな、とサッカーではよく言われる。実際、何度も言われた。勝負は最後まで分からない……アディショナル・タイムのラスト一秒まで気を抜いてはいけない。その一秒のゆるみが取り返しのつかない失点を生む……だがやるべきことが分かっているサッカーと、どうしていいか分からないチョーカーの捜索は比較にならない。ボールを奪ってゴールを決め、それでチョーカーが見つかってくれるなら、いくらでもハードワークする。
頭上は曇り空だった。
葉月は網越しに、閉ざされた井戸を見つめていた。だがふいにその目を下げると、落ちているものがないか、足もとからさがし始めた。
泉と風荷が、当惑した表情を見合わせた。
「はーくん。……」
「さがすの? 葉月くん」
「うん」
葉月は目を上げず、茂みに集中しているようだった。
「でも……」
言いにくそうに風荷は口をひらいたが、思い直したように黙った。そして決心した顔で横を向くと、葉月とは別の草むらへ分け入り、あらため始めた。
「マジ……?」
光四郎は思わずこぼした。
泉と目が合った。無言の交信。光四郎はメッセージを送る。
『見つかるわけない。どう考えても』
『僕もそう思う』
『だったら……』
だが泉はあきらめたように肩をすくめた。
「さがそ。光四郎。もう、それしかないよ」
と苦笑し、葉月と風荷に加わった。
光四郎は立ち上がり、物言いたげな顔で三人を見下ろしていた。だが、あきらめた。網から飛び下りて着地し、無理に決まってると内心何度も思いながら、それでも三人とは別の茂みに狙いを定めた。
泉はたまに時計を見た。バスの時刻が頭を去らないように。一本や二本なら、のがしてもかまわなかった。
なかば捨て鉢な気持ちでさがし始めたのだが、見つかる気配がないほど、投げやりになるどころかふしぎと真剣になった。希望的予測がはたらいて、足が動く。次へ、次へと草むらを進んでいく。
光四郎も、さぼることなく慎重にさがしていた。しゃがむと茂みに姿が見えなくなり、立ち上がると分かる。それを飽きず何度も繰り返して、がさがさと邪魔そうに草を蹴ったりどかしたりする音が時折響く。
夏だったらいろんな虫がいたかもしれず、また蒸し暑さにやられたかもしれず、その点はよかった。わずかでも標高が上がると体感がちがう。トンネルのなかのようなつめたさはないが、すずしい微風が絶え間なく木々を揺らしている。
ほうぼうに散らばり、四人はさがした。井戸を中心に、そこから徐々に捜索範囲を広げる。
チョーカーが奇跡的に落ちていることを願っている。
明確なイメージがあるわけではなかった。どんなチョーカーか、知らない。色も形もサイズも質感も分からない。
幾度か、人工物が見つかった。すべて投棄されたゴミで、空き缶、空き瓶、からのペットボトル。ラベルを見ると、そう昔の商品ではない感じがした。
なぜかテニスボールが落ちているのを、光四郎は拾った。軟式用。空気が抜けてぶよぶよだった。
彼はそれをきつく握り、山林へ向かって勢いよく投げた。
正午を過ぎ、それらのほかは何も見つからず、いったん井戸のそばまで戻る。
葉月が息切れしていた。それが酸素が足りていないような呼吸なので、「もうやめよう」と泉が言ったのをきっかけに、光四郎とふたり説得をこころみた。きょうじゃなくても、また来ればいい。それか、たぶんここにはない。あるとしてもほかの場所。風荷は何も言えず黙ってふたりを聞き、つらそうに目を伏せる。
だが葉月はかぶりを振った。懸命に呼吸を落ち着かせようと、胸に手を当てていた。
「はーくん、お願い。たまには折れてよ」
泉が言う。
「ここじゃないよ。やっぱり時間が経ちすぎてる。今は優子さんが殺された次の日とかじゃないんだよ」
「分かってる、泉。でも……」
ふう、と葉月は鉄網に寄りかかる。そして申し訳なさそうに三人をうかがって、
「でも僕、ここにいないとだめな気がする。すごく、すごくそんな気がしてて」
少しの間。
泉が応じた。
「チョーカーが、ここにあるってこと?」
「分からない……でも、そういうことじゃなくて……分からない。でも、どうしてもここにいないと」
「はーくん」
「分からない。でもここにいて、このまま……ここにいないと。ここにいないと……」
葉月は同じことを繰り返しうったえた。
「僕はだいじょうぶ。ほんとだよ。だいじょうぶだから……ここにいないと……ここに」
堂々めぐり。泉が軽いため息をつく。
「分かったよ、葉月」
とうとう光四郎が言った。ひらき直ったように鼻を鳴らし、スマートフォンで時刻を見た。
「だったら、次のバスに間に合うようにしよう。それが限界。もう昼過ぎてるし、どっちみちそれには乗っとかないと遅くなる」
泉が時刻表を確認し、あとを継いだ。
「さっき一本のがしてる。次の便に確実に間に合うようにするとして、ここにいられるのはあと一時間半ってところ。――どう? はーくん。それまでは本気で頑張る。だめなら、きょうはあきらめる」
「分かった」
「風荷は、どう? それでいい?」
泉が尋ねる。
風荷は三人を見つめ、大きくひとつうなずいた。
「私はなんでも」
髪を耳にかける。夏からまた伸びて、今では肩の下まであった。
葉月が寄りかかっていた身を起こした。
空模様が少々怪しくなってきていた。薄曇りではあったが、先ほどまでの晴れ間は消えていた。
新聞記事に書かれていた松原計の供述によれば、松原計は穂坂優子を殺害後、その遺体を車内から降ろし、証拠隠滅のため所持品ごと「そばの」古井戸に投げて遺棄した。その記述にあやまりがなく、そして葉月の感覚が正しければ、松原計が穂坂優子を投げ入れた井戸というのは現在、四人が立っているこの位置からそう離れていない位置になければおかしい。女性とはいえ絶命した人間ひとりをかかえて夜の暗闇を長く移動するのは容易ではなく、もたもたしているうちにだれかに目撃されるリスクもある。松原計としても早いところ遺体を捨て、その場を立ち去りたかっただろう。
四人は草むらに分け入った。周囲を見わたす視界は十分ある。振り返ればトンネルを出てすぐの道が映り、遊歩道をたどる先の山林が背後に広がる。
さがし始めてほどなく、それは見つかった。道をはずれて数メートルもないが、トンネルへ向けやや奥まった段差のそば――茂みのなか。
「あれだよね?」
と泉。自身の膝より高い草むらを蹴りながら、即席の道を作っていた光四郎が、
「井戸……で、合ってる? これ。井戸?」
「ちがう? 僕にはそう見える……」
急いで近づく。確かに井戸だろう形状をした円形の突出物がある、が……周囲にはそれ全体を覆うように鉄網がめぐらされ、井戸そのものにも鉄網がかぶせられていた。すっかり赤茶け錆びており、経年がうかがえる。
周囲をかこった網に、板が無造作に巻きつけられていた。
『危』
と、真っ赤なひと文字。手書きではなく印字。いつのものか不明だが、これも相当に古い。
「あのときは、なかったのに……」
ぽつりと葉月がつぶやいたので、三人は青くなって彼を見た。
「葉月……」
光四郎の肩をつかみ、無言に泉が制する。ふたりはささやきを交わしたが、内容は風荷に聞こえなかった。
ある程度に予期してはいたが、やはり立ち入り禁止にされている。穂坂優子の件が影響したのか、単に事故を防ぐためか。井戸があっただけよかったが、これでは内部をのぞくこともできない。光四郎は鉄網に触れてみたが、特殊な道具がないかぎり自力でこれを破るのはとても無理そうだった。
仕方なく、網の向こうの井戸を見つめる。大きさはどれほどだろうか。石造りで、先刻のトンネルと質感のようすが似ている。高さは四人の腰より低そうだが、直径がある。ドラム缶やマンホールより大きい。だが井戸と聞いて連想するような、水をくみ上げるための桶や滑車のたぐいはなく、吹きっさらしに屋根もないので人目につかない。
使われなくなって、どれくらい経っているのか。確かにあのなかに落とされては、なすすべがないという気がする。あえてのぞこうとする人がいるとも思えないし、地元住民ならまだしもたまの登山者や通行人では、そもそもが存在に気づけそうにない。
「深いのかな」
風荷の問い。
「深いよ」
葉月が答えた。
「どうする?」
光四郎が重ねた。
四角いケージに閉じこめられている井戸。近づこうにも近づけない。
光四郎が網に指をかけた。
「のぼる」
「え、やめなよ。無理だよ。――え、ほんとに?」
泉が止めたが、すでに光四郎は右足を上げている。蹴りだすように網へ押しつけ、その足を軸に力を入れ……
「あ、だめだ」
網目が小さく、うまく手足がかからない。腰を浮かしたものの足を下ろした光四郎は、おもむろに網から下がって距離を取る。草むらを踏み助走をつけ、その勢いで思いきり――がしゃん! 派手な音とともに網を駆けのぼる。
三人が不安げに見守るなか、少々強引に飛び乗った光四郎はそのまま網づたいに井戸の真上に行った。指がしびれていたが、知らない。付着した錆を払う。鉄の匂い。
「どう?」
泉が尋ねた。
「うーん……分かんない。ふた、されてて、なんも見えない」
真上まで来ても、網で閉じられている井戸の内部は目視では確認できなかった。光四郎は目を凝らしたが、隙間に見えるのは黒々とした闇だけ。深さも何も分からない。
光四郎はため息をついた。余計なことするなよと、バリケードを設置しただれかに文句を言いたくなる。
時の経過が、今さらこんなことをしても無駄だと自分たちを笑っているようだった。
冷静に考えれば、求めているチョーカーが見つかる確率はあまりに低い。それはとっくに分かっている。
穂坂優子がこの井戸に遺棄された1982年7月31日から現在まで、数十年以上が経っている。その間、どれだけの人間がここへ来たか。どれだけの景色の変化があったか。ひと気のない山中の野ざらしに、当時の遺留品が今もなお自分たちの手の届く範囲に現存して残っている可能性はあるのか。あるいはたとえそれらが遺族のもとに返され保管されていたとしても、経年による傷みは避けられない。いつかの時点で紛失したり、破棄されていたりしてもなんらおかしくない。
記事によると、井戸底から引き上げられた穂坂優子の遺体は白骨化し、肉片がわずかに残るのみだったという。発見が遺棄から二年後で、その二年のあいだずっと井戸水に浸かっていたのだから当然と思われる。しかし肉体がそんな状態だったのであれば、身に着けていた衣服や装身具などは発見時にはほとんど腐敗して原形をとどめていなかったのではないか。チョーカーが穂坂優子とともに井戸底に眠っていたかどうかは分からない。だがそれさえも不明の状況で、アクセサリーとしての穂坂優子のチョーカーが、その材質がなんであれ果たしてほんとうにこの世にきょうも存在しているのか。
途方に暮れ、光四郎は網上に腰を落とした。
気が遠くなった。
最後まであきらめるな、とサッカーではよく言われる。実際、何度も言われた。勝負は最後まで分からない……アディショナル・タイムのラスト一秒まで気を抜いてはいけない。その一秒のゆるみが取り返しのつかない失点を生む……だがやるべきことが分かっているサッカーと、どうしていいか分からないチョーカーの捜索は比較にならない。ボールを奪ってゴールを決め、それでチョーカーが見つかってくれるなら、いくらでもハードワークする。
頭上は曇り空だった。
葉月は網越しに、閉ざされた井戸を見つめていた。だがふいにその目を下げると、落ちているものがないか、足もとからさがし始めた。
泉と風荷が、当惑した表情を見合わせた。
「はーくん。……」
「さがすの? 葉月くん」
「うん」
葉月は目を上げず、茂みに集中しているようだった。
「でも……」
言いにくそうに風荷は口をひらいたが、思い直したように黙った。そして決心した顔で横を向くと、葉月とは別の草むらへ分け入り、あらため始めた。
「マジ……?」
光四郎は思わずこぼした。
泉と目が合った。無言の交信。光四郎はメッセージを送る。
『見つかるわけない。どう考えても』
『僕もそう思う』
『だったら……』
だが泉はあきらめたように肩をすくめた。
「さがそ。光四郎。もう、それしかないよ」
と苦笑し、葉月と風荷に加わった。
光四郎は立ち上がり、物言いたげな顔で三人を見下ろしていた。だが、あきらめた。網から飛び下りて着地し、無理に決まってると内心何度も思いながら、それでも三人とは別の茂みに狙いを定めた。
泉はたまに時計を見た。バスの時刻が頭を去らないように。一本や二本なら、のがしてもかまわなかった。
なかば捨て鉢な気持ちでさがし始めたのだが、見つかる気配がないほど、投げやりになるどころかふしぎと真剣になった。希望的予測がはたらいて、足が動く。次へ、次へと草むらを進んでいく。
光四郎も、さぼることなく慎重にさがしていた。しゃがむと茂みに姿が見えなくなり、立ち上がると分かる。それを飽きず何度も繰り返して、がさがさと邪魔そうに草を蹴ったりどかしたりする音が時折響く。
夏だったらいろんな虫がいたかもしれず、また蒸し暑さにやられたかもしれず、その点はよかった。わずかでも標高が上がると体感がちがう。トンネルのなかのようなつめたさはないが、すずしい微風が絶え間なく木々を揺らしている。
ほうぼうに散らばり、四人はさがした。井戸を中心に、そこから徐々に捜索範囲を広げる。
チョーカーが奇跡的に落ちていることを願っている。
明確なイメージがあるわけではなかった。どんなチョーカーか、知らない。色も形もサイズも質感も分からない。
幾度か、人工物が見つかった。すべて投棄されたゴミで、空き缶、空き瓶、からのペットボトル。ラベルを見ると、そう昔の商品ではない感じがした。
なぜかテニスボールが落ちているのを、光四郎は拾った。軟式用。空気が抜けてぶよぶよだった。
彼はそれをきつく握り、山林へ向かって勢いよく投げた。
正午を過ぎ、それらのほかは何も見つからず、いったん井戸のそばまで戻る。
葉月が息切れしていた。それが酸素が足りていないような呼吸なので、「もうやめよう」と泉が言ったのをきっかけに、光四郎とふたり説得をこころみた。きょうじゃなくても、また来ればいい。それか、たぶんここにはない。あるとしてもほかの場所。風荷は何も言えず黙ってふたりを聞き、つらそうに目を伏せる。
だが葉月はかぶりを振った。懸命に呼吸を落ち着かせようと、胸に手を当てていた。
「はーくん、お願い。たまには折れてよ」
泉が言う。
「ここじゃないよ。やっぱり時間が経ちすぎてる。今は優子さんが殺された次の日とかじゃないんだよ」
「分かってる、泉。でも……」
ふう、と葉月は鉄網に寄りかかる。そして申し訳なさそうに三人をうかがって、
「でも僕、ここにいないとだめな気がする。すごく、すごくそんな気がしてて」
少しの間。
泉が応じた。
「チョーカーが、ここにあるってこと?」
「分からない……でも、そういうことじゃなくて……分からない。でも、どうしてもここにいないと」
「はーくん」
「分からない。でもここにいて、このまま……ここにいないと。ここにいないと……」
葉月は同じことを繰り返しうったえた。
「僕はだいじょうぶ。ほんとだよ。だいじょうぶだから……ここにいないと……ここに」
堂々めぐり。泉が軽いため息をつく。
「分かったよ、葉月」
とうとう光四郎が言った。ひらき直ったように鼻を鳴らし、スマートフォンで時刻を見た。
「だったら、次のバスに間に合うようにしよう。それが限界。もう昼過ぎてるし、どっちみちそれには乗っとかないと遅くなる」
泉が時刻表を確認し、あとを継いだ。
「さっき一本のがしてる。次の便に確実に間に合うようにするとして、ここにいられるのはあと一時間半ってところ。――どう? はーくん。それまでは本気で頑張る。だめなら、きょうはあきらめる」
「分かった」
「風荷は、どう? それでいい?」
泉が尋ねる。
風荷は三人を見つめ、大きくひとつうなずいた。
「私はなんでも」
髪を耳にかける。夏からまた伸びて、今では肩の下まであった。
葉月が寄りかかっていた身を起こした。
空模様が少々怪しくなってきていた。薄曇りではあったが、先ほどまでの晴れ間は消えていた。