第1話

文字数 3,983文字

飴玉は要らない 金平糖は要らない
早く 裂けているのはこの首 みにくいのはこの首
私の



【序章】

 カウントダウンのあと、午後七時半にはじめの一発が打ち上がり、それから三十分間続いた花火が終わっても河川敷はいまだ見物人でいっぱいだった。七月最後の夜空にはうっすらと白煙がたなびき、あざやかな爆発の余韻をわずかにとどめていた。ねっとりとまとわりつくような熱が、こんなときでなくてはだれも来ないような草むらのすみずみまで満たしていた。川は立ち入り禁止だった。代わりにちらほら露店が出ていた。どこからやってくるのか、このあたりの人間ではない老若男女の店主の頭上にいろいろなことが書いてある、ベビーカステラ、焼きイカ、焼き鳥、トルネードポテト。それらすべての混ざった匂いがあたり一帯に立ちこめている。若者の浴衣姿は意外と少ない。市内中心部の大規模な花火大会と比べると、こちらはだいぶ内輪の、地元住民が主だって取り仕切る小さな祭りだった。年端のゆかないよちよち歩きの幼児とともに、高齢者や家族連れが多かった。
 連なる提灯のそばで風鈴が鳴っている。打ち上げのあいだ活躍していたアナウンスはお役御免でやんでいる。
 雑多ににぎわう河川敷から、ふいに少年少女が集団で抜け出してきた。ざっと数えて十数名ほどだろうか。小学生くらいのようだがその大半には上背があり、高学年らしい身体つきをしている。
 道路沿いの露店を物色するのかと思いきや、彼らはどの店の前も通りすぎた。しかし途中幾度か、売られている商品へとスマートフォンを向け、何か大げさなリアクションをして笑っていたが買い求めはしなかった。
 彼らは次第にひと気を離れ、祭りの喧騒をはずれた山手の奥の道へと移動していった。集団は保たれているが列は縦に長く、あるいはばらばらで、ひとり黙々と歩く少年がいれば、ふたりひそひそとささやき合っている少女たちがいる。彼らは事前に約束していたり、互いに誘ったり誘われたりして今夜を迎えていたが、なかには河川敷から飛び入り参加をした者もいた。
 「では、これからお寺のほうに行ってみたいと思いまーす。はい……まあこれはね、肝試しも兼ねてるから。どんな感じか楽しみですね、はい……」
 先頭から二番目の位置を陣取り、先ほどからスマートフォンを向けたままの少年が軽い口調で言っている。画面を向けた先にはもうひとり少年がいて、画面のほうを振り向きつつあえて気だるそうに応じている。やや声を張り、「いや正直、そこまでじゃないでしょ? ……」
 彼らは動画撮影をしているのだった。ライブ配信で、スマートフォンの画面には現在、視聴者からのコメントがリアルタイムで現れては消えている。チャットのようにその流れは速い。視聴者の多くは彼ら自身の友人であったり知人であったり、もちろんそうではないまったくの他人もいたが、大抵は彼らと同世代の子供だった。昨年ごろから小学生のあいだではやっている、ライブ配信アプリのひとつだった。「きみの冒険をみんなへ。きみの鼓動を世界へ」というゲームのようなキャッチフレーズがウリで、事実それはウケていた。
 山道へ入って間もなく、石階段に山門が見えた。灯りがないため周囲には闇が広がっている。日中であれば単なる田舎の古寺といったぱっとしない風情だが、夜ともなるとさすが夏の戦慄にふさわしい怪談じみた雰囲気がただよっている。
 彼らが山門をくぐったとき、こんなコメントが流れた。
 『なんか鳴ってない?』
 撮影している少年が即座に反応した。
 「なんか鳴ってる? ――あ、ほんとだ。なんだろ?」
 「風鈴だよ」
 先頭の少年が振り向いて言った。彼は自身のスマートフォンをこの友人へ託して撮影してもらい、彼がこの動画の主、つまり投稿者だった。今夜の企画を考えたのも投稿者である彼だった。
 ちりちりと夜風にあおられ鳴っているのは確かに風鈴だった。山門のそばにいくつも飾られているのは今夜の祭りのためで、この地域では手づくりの風鈴飾りが夏の風物詩であり、呼び物にもなっていた。
 「じゃあ、奥に入っていきまーす。後ろのみんな、オッケー?」
 撮影者の少年が身体ごと画面を背後へ向けると、あとに続いていた少年少女が映りこむ。最後尾の少年がちょうど山門をくぐったところだった。返事やうなずきの波には加わらず風鈴の列へちらと目をやり、一見おとなしそうな少年だった。
 境内にはだれの姿もない。鐘撞き堂と、落ち葉などを処理する焼却炉を過ぎる。前方には黒々とした高木が迫りくる壁のような山を作っている。
 奥は墓地になっていた。スマートフォンの電灯機能と、暗がりに慣れた彼らの夜目で、建っている墓石の数々がぼんやり分かる。盆には早かったが、足しげく通う地域住民が多いのか思いのほか供え物が目立った。人の出入りの気配があるだけ、さほど恐怖はあおられてこない。
 十数人はかたまったり離れたりしながら、さらに奥へ進んだ。ほとんどの肝試しと変わらず、特別なことは何も起こらない。風鈴が時折揺れるすずしげな音が断続的に聞こえるだけ。さっき、虫におどろいたらしい少女のだれかが小さな悲鳴を上げたきり異常はない。彼らは皆、市街地からバスで一時間以上かけてここまでやってきており、日常ではこんな古寺にも山や森にも行かないばかりか、虫に触れる機会も少なかった。
 木々が近づき、風鈴に交じって梢が鳴り始める。彼らの背後にはこじんまりした本堂の側面が見え、スマートフォンの画面はそこを起点に山門、鐘撞き堂をめぐり、四方の墓石へと戻る。
 本堂の裏には深いため池があるのだとひとりが言った。だがだいぶ奥まった箇所にあり、境内を出て少し歩くのだという。山中なのでここより不気味だろう、しかし帰り道を失しては大変なことになる。そちらへ行くかどうか数人が相談するあいだ、なにげなくあたりの墓石を撮影している少年の目に気になるコメントが入った。
 『おいしそう~』
 画面を見ながら少年が言う。
 「え? おいしそう? 何が?」
 そしてすぐ、それがとある墓石に供えられている、市販の菓子をさしているのだと気づいた。
 『それ、おいしいよね。ママがよく買ってくる』
 『食べ始めると止まらないやつ』
 『カロリーは見ちゃだめ~』
 『これ最近、リニューアルしなかった?』
 反応したコメントが次々流れている。意外なほど盛り上がっている。
 画面を向けている少年が笑い出した。ズームし、菓子のパッケージを映す。夜の墓地には不釣り合いかもしれない、ポップでかわいらしいビジュアル。
 『中身、入ってるのかな』
 『あけてみて~』
 笑いながら少年が言った。
 「あけてみて~、だって」
 それから彼らは、正確には彼らのうち数人が、まずパッケージをあけて個包装の中身を取り出した。それから止まらなくなった。コメントはさらに盛り上がりを見せ、食べてよ、という。供えたきり食べられずに捨てられるなら、食べてあげなきゃもったいないよな。そうだよ、食べ物は大切に。食レポ待ってる。墓地と画面に笑いが広がる。
 彼らは供え物の菓子や果物、缶入りやパックの飲み物を勝手にあけていく。
 ひとりが口に入れた瞬間から、はじけたようなエスカレーションが起きた。だがもちろん、その場の全員がこの行為に賛成しているわけではなかった。何人かは立ち尽くし怯えたようすに見守っていたり、あきらかに嫌そうにしたり、不快な視線を投げかけたりしている。まずいと悟ってか自分だけ帰ろうと一歩あとずさる姿もあった。
 「やめろよ……やばいって」
 そのうち、見かねたひとりの少年が割って入って止めようとした。日に焼けた、手足の長いすらりとした少年だったが、事態はさほど変わらない。この少年に加勢する子供もいなかった。彼らは皆が皆、友人同士というわけではなく、なかには今夜限りの初対面の関係さえあって、そのせいか遠慮して強く出られないらしい。企画人の少年が動画の盛り上がりに満足したふうに、渡された飴を嚙みながらなめている。
 賛否は画面上でも同様だった。炎上とまではいかずとも、異様な熱を帯びていた。
 『だいじょうぶなの? これはさすがに……』
 『食べたゴミは持ち帰りましょう』
 『あーあ。呪われる』
 『アホすぎ。でも楽しそうだな』
 さざ波のように流れていくコメントが視聴者の数を語っていた。そのとき一基の墓石から、混乱に乗じたかのようにぽとりと落ちたものがあった。引っかかっていたのか巻かれてあったか、色あせた紐のような古い布きれで、それが落ちたことに気のついた子供はいたが、しかし状況はそれどころではなかった。画面の外に横たわったその細長い、髪飾りかリボンのようにも見えた布きれはだれにも拾われず、間もなく複数の靴に踏まれ、蹴られ、どこかへ消えた。
 「ねえ、もういいから帰ろうよ。あたし、怖い」
 ひとりの少女がやや声を荒げ主張した。その少女は先刻、やめろよと言って止めようとした少年のそばを離れずにいた。高い位置で結んだポニーテールの先がカールしている。ひどくいら立っているらしく眉根が寄っている。
 画面の向こう側にはさまざまな場所と、さまざまな表情があった。
 そのなかのだれかが、青ざめた顔でテキストボックスに急いで打ちこんだ。
 『賛成。見つかる前に帰るべき』
 冷静な助言。それを潮にしたかどうかは分からないが、まるでほんものの潮が引いていくように、興奮のさめた彼らは間もなく墓地を出た。菓子やジュースのゴミは一部をのぞいてあらかた焼却炉に放り込まれた。
 配信は続いていた。画面を意識し上機嫌に話すいくつかの声音を、ちりちりと風鈴がかき消していた。
 彼らがふたたび山門をくぐり境内を去ったあと、静まり返ったそこにはやはりだれの姿もみとめられなかった。
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