第28話

文字数 4,590文字

【危急】

 『……また男の供述によれば被害者の氏名は穂坂優子。当時、鈴掛地区に在住していた女性だという。警察によると優子さんは二年前、一九八二年七月三十一日に自宅を出たきりゆくえが分からなくなっており、家族が本紙「尋ね人欄」にてその所在をさがしたが見つからず、以来、失踪状態となっていた。優子さんは出かける直前、ボーイフレンドからドライブに誘われたと自身の兄へ話していた』

 その記事の掲載から三日後、1984年7月10日付け、火曜、同紙夕刊の三面。

 『井戸底の白骨遺体 身元を特定
 行方不明の女性と一致』

 『七月六日、旧姫神トンネル付近の井戸底より引き上げられた女性の白骨遺体の身元が特定された。遺体は二年前より行方不明となっていた穂坂優子さん(失踪当時二十一歳)。遺体にわずかに残っていた肉片その他の鑑定結果から判明した。死因の特定は困難というが、殺人および死体遺棄容疑により再逮捕された優子さんの当時の恋人、松原計(まつばらけい)容疑者(二十八)の供述によると、容疑者は優子さんとドライブに行った先の山中にて優子さんを縄で絞めて殺害。遺体を自身の自動車から降ろし、証拠となる所持品ごとそばの古井戸へ投げて遺棄したのち、逃走したという。
 殺害の動機について松原容疑者は、「優子さんの存在が邪魔になっていた。結婚の約束をしていたが、別れ話を持ち出したところ拒否され、関係がほかの恋人たちにも露見しそうになり困った」と供述しているという。容疑者は当時、優子さんのほかにも複数の女性と関係を結んでいたが、そのことを優子さんには隠していたとされる。
 松原容疑者は別件の麻薬所持および詐欺未遂容疑においても逮捕・起訴されており、今回の殺人および死体遺棄容疑を受け、警察はほかの余罪の可能性も視野に、取り調べを慎重に進めている』

 7月7日から10日のあいだに、全国紙にもこのふたつと似かよった内容の短い記事が上がっていた。
 閉館のアナウンスを無視して四人は大急ぎでそれらの記事を見つけ、目を通した。禁止かどうか分からなかったが全員一致の了解で泉はひそかにスマートフォンでひとつずつ記事を撮影し、しっかり保存した。
 超特急で閲覧台のファイルを片づけ小走りにエスカレーターを下り、階下の職員たちの視線を感じながら四人がやっと図書館を出たのは閉館5分前。ギリギリだった。開館から閉館まで、ぶっとおしで滞在していたことになる。
 外はとっぷり日が暮れている。一階の出入り口のガラス戸の向こうが真っ暗で、高い吹き抜けも電灯によって照らされて、日曜だからかフリースペースに人はもうほとんどいない。コーヒースタンドも閉まっている。
 四人ともそれぞれにウソをついて「遅くなる」と親に連絡してあったが、それでも心配するメッセージが何通か届いていた。風荷と葉月は電話したが、泉は何もせず、光四郎は追加で返信をしただけで済んだ。
 葉月が画面に耳を当てたまま、
 「泉。夜の自転車は危ないから、駅まで迎えに行くってお父さんが。泉も乗っていきなさいって」
 「そう? いいの?」
 「うん。自転車はあした取りに来ればいいって」
 「じゃ、そうしよっかな。ありがとうって言ってね」
 「うん」
 「光四郎はどうすんの? チャリ?」
 「俺は、うん。そうする。家までそんな遠くないし」
 「風荷は――」
 泉が風荷を見る。まだ通話中で、「いいよ。来ないで。だってまだみんなと――いいの、ひとりで帰れるよ」と困ったように言っている。
 泉は光四郎に目顔を送った。
 ほら――。
 光四郎はちょっとむっとしたように泉を見た。分かってるというそぶりで向き直ると、風荷を呼んだ。
 「俺と帰ろ。ふたりならいいでしょ?」
 それから皆、思い出したかのような疲労に襲われ大きく息をついた。だが得られた収穫はそのため息よりずっと大きい。ほんとうに大きい。
 疲れに混じり、遅れてふいの空腹がやってきた。食べることを忘れていた。そして達成感が押し寄せる。だがそれも、まだ半分。
 肝心の目的は達していない。
 泉は撮影した記事の画像を表示させた。画面越しに三人ものぞきこむ。
 しばしじっと見入ったあと、光四郎が言った。
 「――で、次はどうする?」
 全員がそのことを考えていた。成果をよろこんでいる余裕はあまりない。これだけでは終わらない。これだけでは、現象はストップしない。「彼女」は満足しない。
 けれども「彼女」の正体は分かった。紆余曲折を経たが、なんとかここまで来られた。

 「彼女」の名は穂坂優子。1982年7月31日、松原計という当時の恋人に殺害され、旧姫神トンネル付近の井戸に遺棄された――その日付は奇しくも、すべてのきっかけとなったあの花火大会での彼らの肝試し、そのライブ配信と同じ日付だった。それから約二年後の1984年の7月、別件で逮捕されていた松原計が穂坂優子の殺害および死体遺棄を自供。遺体が発見され、事件があきらかになった。
 穂坂優子は事件当時、鈴掛に自宅があり、おそらく家族とともに住んでいた。井戸底から引き上げられた遺体は鈴掛のあの寺、風鈴の鳴る、風荷が調査したあの墓地に建つ「穂坂家」の墓に、現在でも埋葬されている……。

 そこまでは分かった。
 では次は? つまり――次はどうやって穂坂優子の望むチョーカーを見つける?
 「そのトンネルに行きたい。優子さんが殺されたところ」
 きっぱりと葉月が言った。
 「行って、そのトンネルと井戸を見る。そしたら」
 「いや、でも葉月……見るのはいいけどさ」
 いぶかる目つきの光四郎。座っている椅子の背もたれに寄りかかり、にわかには信じがたいといった調子で言う。
 「そこに行って、ほんとに見つかる? 殺された場所を見るのはいいけど、そこにチョーカーがあるとは思えない。だって四十年も前の事件じゃん。そんなに時間が経ってたら普通、何も残らないよ。あるわけない。その井戸が見つかるかどうかも俺は微妙だと思う。記事の時点で『古井戸』って言ってるんだから。それって今からしたらめちゃくちゃ古い」
 至極もっともな意見。向かいの椅子できちんと背筋を伸ばした風荷はうなずき、
 「そうだね。山のなかだったら植物が伸びて隠しちゃってるかもしれないし、優子さんのことがあって、もうそんな事件が起きないようにって埋めたり、取り壊されたり、立ち入り禁止にしたり……」
 泉も考えこみながら、
 「そうだよね。遺体を引き上げたとき警察がいろいろ調べたはずだし……犯人は証拠隠滅のために『所持品ごと』優子さんを遺棄したんだよね。だったら、現場にチョーカーが落ちてたなら、警察が遺留品として回収するよね」
 「でもそれなら、その回収した物は優子さんの家族に返されたんじゃ……?」
 と風荷。
 「なんとなくの想像だけど。でも今のニュースを見てても、よくそんなふうに返されてる気がするから」
 泉は同調し、
 「僕もそう思う。でも、だったら……ううん。僕たちって、そもそもなんで優子さんがチョーカーをそんなにさがしてるのか、そういうことは分かってないから」
 「大切なんじゃないの? そのチョーカーが」
 「や、光四郎。そりゃ大切じゃなかったら『さがして』なんて頼まない気がするけど……ようはなんでそんなに大切なのかってことだよ。思い入れとかさ。そういうことは分かってないじゃん? ……」
 と腕組みし、四人は沈思黙考。名前が判明し、当たり前のように「優子さん」と呼ぶようになっているが、現象の影響を受けている小学生のうち「彼女」を「穂坂優子」と認識しているのは現在、ほぼまちがいなく彼らだけだろう。「チョーカー」というタブー視されているワードについても、それを現実に存在するアクセサリーと考えている子供はいったい何人いるのか。
 「あのさ……」
 やおら泉が切りだした。
 「さっき上で、光四郎には見られちゃったんだけど。これ――この首」
 と、シャツのボタンをはずすと泉は首の五つの斑点をあらわにした。
 「言ってなかったけど僕、きのうの夜中にあの人――ううん、優子さんにやられかけて。間一髪で助かったけど」
 言葉の響きがおかしくなったか泉は苦笑いし、昨晩の接触について、ところどころ詳細ははぶきながら手短に話した。三人は黙って聞いていた。もうおどろくことにも恐怖を覚えることにも慣れてしまっていた。
 泉はボタンを留め直すと、
 「だから僕ね、思ったんだけど……きょう、僕たちが優子さんの記事を見つけられたのって、たぶん奇跡だった。僕、もしかして優子さんが手伝ってくれたのかなって。だってそうでもなかったら、ほんとは見つかるはずなかったと思わない? まず光四郎があの『尋ね人欄』の、あんなちっちゃな記事に目を留めたことがもう奇跡。普通だったら見のがすし、僕も正直、途中からは疲れて流し読んでた」
 少し間をあけ、光四郎が言った。
 「俺も正直、ちょっと適当に読んでた。だから自分でもびっくりした。なんであれに気づけたんだろうって。だから、泉の言うこと、たぶん当たってる。あの人……優子さんがあのときの俺に、何かしてたとしか思えない」
 「みんなが葉月くんみたいに、ずっと集中できるわけじゃないもんね」
 風荷。
 「私もそう。ほんとは、少しあきらめかけてた。きっと見つからないって。だから時たま葉月くんのほう見て、頑張らなきゃって何度も思った」
 ほんのり笑って、葉月を見る。
 「僕は……そんなことないよ。僕だって……」
 葉月は照れたように目を伏せ、
 「僕も不安だったんだよ。信じてたけど、不安だった」
 「でも見つかった」
 泉はテーブルに両ひじをつき、身を乗り出して言った。
 「だから僕、はーくんの言うとおり行ってみればいいと思う。旧姫神トンネル。だれか通ったことある? 夢のなかじゃなくて、現実に」
 三人はかぶりを振った。泉は続けて、
 「僕も一回もない。だから行って、そこがどんなところか確認してみる。また、きょうみたいな奇跡が起きるかは分かんない。でも行ってみなきゃ何も分からないままだよ。もしかしたら何かあるかもしれない。新しく気づくこともあるかもしれない。どう?」
 「いいよ。行くなら、いつ?」
 光四郎が言った。いさぎよいトーンで、行かないという選択肢は捨てたようだった。
 「どう行くかも決めなきゃ。バスがあれば……あるかな」
 と、風荷が自分のスマートフォンを取り上げる。泉はマップを表示させ、おおよその距離と所要時間を測る。
 葉月は泉の首もとを心配そうに見つめていた。何も訊かず、しかし訊きたそうだった。泉は視線に気づき、「だいじょうぶ」とほほえむ。
 あすは朝から学校だった。話し合いを続けたかったが時刻を考え、葉月と泉の迎えが来るのを待たず光四郎と風荷は先に帰ることになった。
 泉は椅子から手を振り、
 「光四郎、またメッセージか電話で」
 「うん」
 「何かあったら教えてね、学校とか」
 「そっちも」
 「りょーかい。帰り、気をつけてね。風荷をよろしく」
 次に葉月が、
 「光四郎、またね。風荷も、またあした学校でね。ちゃんと休んで」
 「うん。葉月くんも」
 うなずいて、別れた。
 あまりに濃い週末が終わろうとしていた。秋分の日を入れると三連休。あっという間だった。
 時刻は午後八時過ぎ。
 9月の夜は長い。
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