第33話

文字数 4,636文字

【邂逅】

 翌9月30日。金曜日の朝がおとずれた。
 夢は見なかった。
 まどろみから目の覚めた泉が遮光カーテンを少しめくって外をのぞくと、薄雲のかかった空は青白かった。
 計画を脳に呼び起こす。まず葉月と合流し、やるべきことをして、それから光四郎と風荷に合流する。
 光四郎は問題ないだろう。風荷はきっとうまくやる。計画どおりに進めば、午前のうちに目的地へ到着する。
 スマートフォンを手に取り、充電がフルになっていることを確認した。時刻を見る。異変を知らせる連絡はなし。
 泉はていねいに深呼吸すると、身支度のためベッドを下りた。

 約三十分後、ランドセルを背負った葉月は母親の見送りを受け普段どおりの時間に玄関を出た。
 葉月は何食わぬ顔で、うつむきがちに通学路を歩き始めたが、集団登校のための待ち合わせ場所には行かず途中で道をはずれた。
 はずれた先で、同じく通学姿の泉が目立たない位置に立って待っていた。横型のカバンはランドセルではなく学生カバンと呼ぶほうがしっくりくる。縦型のデザインに惹かれなかった六年前の泉が、自分の好みを押しとおし、自分で選んだ。銀色に近い明るいグレー。
 規則正しい葉月と遅刻常習者の泉は普段、一緒に登校しない。だから不自然に映らないよう、あえて別々に家を出て合流する約束になっていた。
 「泉」
 「おはよ、はーくん。平気だった?」
 「うん。泉は?」
 「ばっちり。行こう」
 ふたりは急いで来た道を迂回して引き返した。泉の家の裏まで戻ると、からっぽのガレージからそっと玄関へ回り、泉が鍵をあけた。母親も義父も朝のラッシュを避けるため早めに仕事へ出かける。そして夜まで帰らない。
 泉の部屋にふたりぶんのランドセルを置いた。そして持ち物を替え、身軽になって階下へ来ると、ふたりはそれぞれの担任教師へスマートフォンから電話をかけた。熱があるのできょうは学校を休むこと。親は仕事があるので、もし何か連絡があればこの番号にかけてほしいこと。そうしたら自分が出るので……。どちらの担任もふたりのウソを疑わなかった。来週の月曜日に元気で登校できるよう、ゆっくり休んでほしいとのこと。似たような電話を、すでにもういくつか受け取ったあとのような口ぶりだった。葉月も泉も、きのう、学校ではわざと具合の悪いふりをして過ごしていた。
 電話が済むと、ふたりは泉の家を出た。最寄りのバス停まで足早に歩き、列に並んで駅前行きのバスを待った。通勤通学の時間帯なので、さほど待たされない。
 車内は混んでいた。おかげでふたりは目立たず立っていられた。
 到着のやや手前で光四郎からメッセージが来た。
 『今、着いた。待ってる』
 数分後、風荷も送ってきた。
 『歩いてる。もうちょっとで着く』
 「よかった」
 揺れに耐えながら、葉月が言った。
 ふたりの乗るバスは終点となる駅前ロータリーに進入し、既定の位置で止まった。下車していく人々に交じって改札ではなく別のバス停へ向かう。
 先に着いた光四郎が柱にもたれて立っていた。その奥から風荷が小走りに近づいてくるのが見える。
 平日の朝早くにこうして四人そろうことが、彼らを特別な感覚にした。全員で顔を合わせるのは日曜ぶりになる。
 「風荷、だいじょうぶだった?」
 尋ねた泉へ、風荷はそっと笑ってうなずいた。葉月と泉と光四郎の目に、一見したところ体調に問題はないようだった。
 風荷は手提げのバッグから、きれいにたたまれたウインドブレーカーを出した。
 「光四郎くん。これ、ありがとう」
 「あ。うん。……」
 受け取った光四郎はちょっと迷う顔つきをし、広げてはおった。くだもののようないい匂いがして一瞬、おどろく。
 「貸してたの?」
 泉。「うん」と答えた光四郎に、笑みを返す。
 駅前始発のバスが何台かロータリーに入ってきて、そのうちの一台が四人の待つ停留所で止まった。音を立て乗降ドアがひらく。
 「発車までもう少々お待ちください……」
 市の中心を抜け、郊外を県境へと向け国道を北上する路線バス。区間が広く、数多くの停留所をカバーするが、この便のような快速は日に数本しか運行していないので貴重だった。
 四人のほかに、始発から利用する客はいないようだった。ドライバーの男性は彼らを見ても顔色を変えず、淡々とあいさつした。「はい、おはようございます」……。
 短くない乗車時間になる。泉と風荷はしっかり酔い止めを飲んで備えていた。そして揺られている際はスマートフォンの画面を見ない。景色を見ること。後方の席は避けること。四人はふたりがけの席に、ぜいたくにひとりずつ座った。それぞれにややかたい表情で、緊張しているのがお互い分かる。
 目的の降車場所は「姫神トンネル」の手前。そこにすでに廃業した店が建っていて、廃墟となったその店のパーキングに停留所がある。マップの機能で見たかぎり、ゆとりあるスペースに男女別の外トイレ、自動販売機もあり、休憩中らしいバイクや自動車がとまっていた。
 「僕らが降りるとき、ほかにだれか一緒に降りる人がいると思う?」
 泉が座席に膝をのせ、後ろの席にいる光四郎へささやく。
 窓際から光四郎は泉を見上げ、「さあ」と首をかしげた。
 「いないと思う。降りても、なんもないし」
 「だよね。ま、いっか。急いで降りちゃえば」
 「あとで親が来るとか、訊かれたら適当に言えばいいよ」
 「賛成」
 ドライバーに不審がられても、多少は仕方ない。パーキングの利用者が今もいるなら、どうとでも理由は作れる。
 ドアが閉まった。バスは定刻どおり発車し、ロータリーを出た。

 数十分ほどかけて市街地を抜け、川を過ぎ、郊外へ出たあたりで周囲の雰囲気は変わった。
 田畑が増え、住宅に密接して緑が広がり、山が近づく。空は曇りがちだが日差しは透けて、ほの明るく木々を照らしている。
 紅葉にはまだ早く、大半は色づいていなかった。この先に数ヵ所、県下でも有名な紅葉狩りのスポットがあるが、ハイシーズンは11月ごろらしく、もう今からそのための客寄せを狙ったあざやかな広告が車内に張ってある。
 駅前を出発してから、いくらか客が乗ってきていた。が、市街地にいるうちにひとり降り、ふたり降り、あとは山へと入っていく直前にある、小さな町の病院で降りた。中づり広告にある、紅葉をウリにした古い町だった。
 バスは坂をのぼりきり、トンネルへ入った。
 四人はめったにしゃべらなかった。
 快速とうたっているが、光四郎にはとてもそう思えなかった。鈴掛をおとずれたとき、行き帰りのバスでも彼は何度も思ったが、バスは安全運転すぎる。スピードは出さないし、そういう規定なのか無人の停留所でもいちいち止まってドアを開閉する、バスだから当然なのだが――しかし待つ人がいないなら、その停留所はスルーして通りすぎてしまえば少しは早く進むのに、あまりのんびりのろのろしているから、じれったい。車重があるからのぼり坂での速度は落ちるし、全長があるからどのカーブを曲がるにもひと苦労する。市街地にいたときはまだマシだったが、これだけ左右にひらけた田舎のドライブコースでこういう走行をされると、ほかの自動車との速度差が目立って、もうちょっとスムーズに行けないものかと彼としては気が急いてくる。着くころには日が暮れるのではないかと不安にさえなってくる、ただでさえ日が短くなっているのに。
 ほかの三人と同じように窓から外を見ながら、自分で運転できたらいいのにと光四郎は思っていた。そうしたら面倒な路線図や時刻表は要らない、自由にどこへでも行ける。
 大型のトラックや業務用車、普通の軽や乗用車に交じって時折、対面からハチロクやロードスターが軽快に駆けすぎていくのを目にすると、光四郎は余計にそう思った。さっきはポルシェが一台、通った。さっきのハチロクは新型だった……。
 景色を眺めるのに飽きると、母親や妹とちがって乗り物酔いをしない光四郎は、スマートフォンであらためて自分たちの目的地を調べた。日曜からきょうまでにひととおりは知ったつもりで、その復習だった。それから、美春にメッセージを返した。「遊ぼうよ」ときのう、学校で誘われていたのをことわっていた。
 そのうち、新たに建設しているという「新姫神トンネル」の工期日程を記した看板が見えた。座席の隙間から泉が顔をのぞかせ、光四郎と目が合う。この「新姫神トンネル」が完成すれば、姫神の名を冠したトンネルは明治30年に開通したという「旧姫神トンネル」と、昭和35年に竣工した現在、主に使われている「姫神トンネル」を含め全部でみっつにもなる。それだけ重要な通路なのだろう。確かに、もしこれらのトンネルがなかったら、それより北へ行くための目ぼしいルートは登山道をのぞいてほかになく、乗り物での山越えができなくなる。とんでもない大回りをする必要が出てきて、日々の通行者にとっては死活問題になってしまう。
 その「新姫神トンネル」の建設車両らしきトラックが、平日というのもあってか多く走っていた。通行規制にともなう迂回路への案内があり、少々のルート変更をしてバスは進む。蛇行が増え、傾斜も深くなっている。
 泉は脳内に刻まれているマップから、すでに分かっていた。
 のぼっている。このカーブのあと。
 そろそろ。
 アナウンスが響いた。
 「お降りの方は……」
 通路をはさみ、光四郎の反対の席に座っていた葉月が腰を上げ、ボタンを押した。車内には自分たちしかいない。
 「次、とまります」
 即座にアナウンスが答えた。同じことを運転手も言った。
 泉が通路へ身を乗り出し、小声に風荷へ尋ねたのが光四郎に聞こえた。
 「具合、どう?」
 風荷の返答は聞こえなかった。だが席へ戻った泉を見るかぎり、平気なようだった。
 カーブを曲がり、木々を横目に坂をのぼった先で、バスはウインカーを出して停止する。電光掲示の向こう、「姫神トンネル」を出てくる対面からの自動車の列が切れるのを待っている。
 四人の視界に目的の降車地が見えていた。出発して一時間以上は乗ったが、外は午前の明るさをうしなっていない。
 色あせたピンク色の小さな店。切妻型の屋根は経年するに任せてあるが、まだしっかりしている。こちらを向いたその平屋建てのシャッターは全部閉じており、それらの上部にやはり色あせた赤字で宣伝がある。

 『姫神パーキング』
 『おみやげ』
 『餅・立喰いそば』

 ところどころ塗装が剝げ、白くなっていた。
 廃業前にはみやげもの屋と、軽食の提供を兼ねていたらしい。そのための横長の窓が残っているが、縦に格子がはまって、なかは見えない。
 駐車スペースはすべて空いていた。だがタイミングの問題で、休憩の自動車やバイクが出たり入ったりしているはずだった。店の前のスペースになぜかタイヤが四つ五つねかせてあり、わざとなのか不法投棄なのか分からない。今年の春に撮影されたという、マップの機能であらかじめ見ていたここの画像にもそれらはあった。
 バスは右折してパーキングへ入ると、自動販売機のそばに立つバス停のサインの前に停車した。
 『姫神パーキング前』とある。時刻表も張りつけてある。
 ここで合っている。
 四人は立ち上がった。光四郎は素早く風荷の顔色を確認したが、特に異変はない。
 運転手に礼を言いながら順に降りた。運転手は彼らに何も訊かず、「はいどうも」と四回、応じただけだった。
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