第5話

文字数 4,247文字

 リニューアルオープンしたばかりの駅前のショッピングビルは、週末にもかかわらず人出はさほどもなく落ち着いたにぎわいだった。それまで長らく入っていた古きよき百貨店が惜しまれながら撤退し、残されたビルには都会志向の改装が加えられ、各フロアに並ぶショップは若年層をターゲットに大きく変わっていた。
 泉はそこへ何度目かの足をきょう、ひとり運んでいた。さんさんとそそぐ日差しをいっぱいに受け、駅のホームやプロムナードは灼熱だったが、エントランスの二重のガラスドアをくぐるとその熱はすぐに引いた。
 彼はチョーカーを見に来ていた。巷に流行のスイーツやら雑貨やらが売られているエリアはひとまずスルーし、エスカレーターで上階に向かう。主に女性向けのファッションフロアに、彼ほどの年齢の男子がひとり私服で歩いている姿はなかった。店頭にビビッドなカラーの展示がなされたファストファッションのブランドに少々惹かれたが、まずは目的のアクセサリーショップを前に足を止めた。学校では着けられないさまざまな装身具がずらりひしめいている。ピアスやイヤーカフやネックレス。チョーカーと呼べるデザインの首飾りもちゃんと置いてある。
 彼は自分の気に入るものがないか、陳列棚をざっとさがした。もしも買うなら、普通のネックレスと区別のつく、いかにもチョーカーという感じの首輪めいたデザインがいいと思っていた。ある程度の太さがあって、あまり華奢ではないもの。そのほうが現物を着けて葉月に見せたとき「これが実際のチョーカーだよ」と説明しやすいし、葉月にも分かりやすいだろうと思っていた。葉月はアクセサリーショップなんてまず来ないだろう。いや葉月にかぎらず、同級生やクラスメイトの男子も大概来ないだろう……泉は目についた黒いチョーカーを手に取ったが、そのとき背後に声をかけられた。
 「あれ? 泉くん?」
 振り向くと、顔見知りがひとりで立っていた。クラスメイトの女子。教室の比較的はなやかな位置にいて、男女問わずそばには常に友達を絶やさない。クラス内ではしかし、席が遠く委員会もかぶらず、泉はほとんど話さない。
 「あ、こんにちは」
 泉が言うと、彼女は笑って尋ねた。
 「泉くん、やっぱ普段そういうの着けるんだ?」
 視線は彼の手もとのチョーカー。彼は答えをにごしてチョーカーを棚へ戻し、ここで何してるのと無難に返した。
 「ママの迎え、待ってる」
 彼女は答えた。
 「ピアノ、行った帰りなの」
 持っているトートバッグに楽譜らしきものが数冊、彼に見えた。
 「習ってるの?」
 「うん。五歳からずっと。秋にコンクールあるから、今めっちゃ練習してる」
 「へえ」
 「泉くんは? 買い物?」
 「うん」
 「ひとりで?」
 「そうだよ」
 「そっかあ。

、あと三十分くらいヒマなんだけど、どうしよっかなって思ってて。道が混んでてママ、遅れるんだって。だからひとりで何してようかなって……」
 彼女はスマートフォンから目を上げた。その目の言わんとしていることが、泉にはもう読めた気がした。
 「泉くん、ちょっとだけ一緒にどっか行かない? りあ、まだあんまり泉くんと話したことないし、どっかで話そ」
 彼の返答を待たず彼女はスマートフォンをしまうと、いたずらっぽく継いだ。
 「ていうか、メイクしてるの。はじめて見た。びっくり」
 泉は肩をすくめるしかなかった。隠しているわけではなかったが。
 一階のコーヒーショップが混雑気味だったのを来がけに見ていたので、彼が提案して、ふたりはさらに上階の別の店へ行った。そこはだいぶすいていた。書店に併設されていてどちらも真新しい。全国でも数店舗目だというそのコーヒーショップは、ハリネズミを模したロゴにポップなフォントの英字の店名だった。
 「えー、やったあ。ここね、早く来てみたかったの。ママの友達がみんな写真上げてた。ハワイが最初なんだって」
 「本店がハワイってこと?」
 「うん」
 彼女はメニュー看板を見ながらうなずいた。一階のほうは有名なコーヒーチェーンで中高生に人気だが、ここまで上がってくるのがおっくうなのか惹かれるポイントがちがうのか、あるいは商品価格の問題か、隣には本屋があって便利なことだしもっと混んでいてもよさそうな雰囲気だが、ティーンはこちらに流れてこないようだった。それなら今後はこっちでいいと注文を決めながら泉は思った。横で彼女が迷うのにしばし付き合ってから一緒にカウンターで頼み、書店とは逆側の隅のふたりがけに座る。小学生と思われるのは店内に彼と彼女だけだった。
 時刻を見ながら、泉は対面の彼女へ言った。
 「ねえ、三十分じゃすぐだよ? 迎えが来るまで、あと十五分くらい……」
 泉としてはそれで好都合だったのだが、すると彼女はこれから母親へメッセージを送ってあと一時間ほど迎えを延ばしてもらうという。そしてほんとうにそうしてしまったので、早々に単独行動に戻ることを彼はあきらめた。
 「ね、泉くん、メイク似合ってるよ」
 彼女は早速、興味津々の顔つきになって言った。レモンイエローのノースリーブに、彼女もうっすらとシャドウやアイライナーで目もとに夏めいた色を付けている。外見や服装に気を遣っているのがよく分かる。
 「りあ、もしかしてレアな泉くん見てる? なんとなくみんな言ってたけど、泉くんってやっぱそういうの好きなの? 学校で見るのと全然ちがう。なんか韓国の人みたい。それか動画でたまに見る人たち。ピンヒール履いた男の人たち。ね、いるよね?」
 なんとも答えづらく、泉は口ごもるように笑った。オネエだとかゲイだとか、この数年間そんな単語を陰で聞いたこともあったので今さらこの程度で動揺はしない。彼女の言葉の調子に悪意はなさそうだったが、彼は自然、校内の同級生に対しては内向きな態度を取るようになっていた。無理に合わせる必要はないし、クラスでは静かにしているほうが単純に気兼ねがなくて楽だった。
 「話し方も、そうだよね?」
 彼女は続けた。
 「ほかの男子とちがうよね」
 「そうかもね。僕はどっちも好きだよ。男っぽいのも女っぽいのもね」
 彼はゆっくり答えたが、彼女とこうしてまともに会話をしたことはなかった。彼女は彼がきょう使ったコスメや、日ごろ休日に好んで着る衣服やそのブランドや、好きな動画配信者を尋ね、それらを彼女も知っていると分かると、さらに楽しそうに次々話題をふった。このごろ有名な男性インフルエンサーがエッセイを発売したばかりだとか、その彼のメイクのやり方やスキンケアの方法がとても参考になるだとか、そのおすすめのスキンケアアイテムが意外にもこのビルに売っているだとか。
 泉は半ば気圧されつつ、半ば好奇心を突かれて相づちをうっていたが、そのうちその種の話題が途切れたとき、注文したドリンクに載ったクリームをストローで混ぜながら、ふと思い出したように彼女が言った。
 「そういえばね、りあのピアノの友達、きのうすっごいヘンな夢見たんだって。きょう言ってた」
 泉の眉がぴくっと反応した。
 「夢?」
 「うん。すっごい怖い夢だったんだって。コンクールなかったらレッスン休もうと思ったくらい、って」
 「どんな夢だったか訊いた?」
 「うん。でもあんまり教えてくれなかった。なんか話したくないんだって。怖かったし、話せないって……ヘンだよね。知らない女の人が出てきたって言ってたけど、よく分かんない」
 「そう……女の人」
 「しかもね、そうそう、ほかにも怖い夢を見たって子がいてね。その子は学校の友達だけど、きのうたまたま話してたらそう言ってたの。めっちゃ怖い夢見た、どうしよう、って。夏だからかなあ? でもその子もやっぱりどんな夢だったかちゃんと話してくれないの。詳しく話すとだめ、ママとパパにも言えない、って。ヘンなの」
 「りあは見ないの?」
 「えっ?」
 「怖い夢。女の人が出てくるようなやつ」
 「りあは見ないよ? 見たことない。りあ怖がりだから、そんなの見たら次の日眠れなくなっちゃう」
 葉月と同じだ。
 泉はこのときそう思っていた。見知らぬ女の人が出てくる、しかし内容を話したくない夢という観点で彼女の言ったことと葉月から聞いたことは、似ている。
 泉は先日、葉月からかかってきた電話で「またあの夢を見た」という内容を耳にしたばかりだった。葉月の口調は重く、言葉数は普段に増してさらに少なく、泉が詳しく尋ねてもなかなか要領を得なかった。「泉だから話す……」という前置きが目立ったし、親に事情を伝えて不眠症の薬を、という泉の案は拒否した。彼らには話したくないのだという。
 葉月は言っていた、「女の人だよ」。「チョーカーをさがさなくちゃいけない」。「なるべく早く」。
 「ねえ、りあ。あのね」
 「うん?」
 「一週間くらい前に鈴掛(すずかけ)で花火大会あったでしょ」
 「すずかけ?」
 「ここから一時間くらい離れたとこ。けっこう遠いかな。そこの夏祭り」
 「そうだったの? 知らない」
 「あったの。で、そのとき会場の近くのお寺で肝試しをやるライブ配信があって――僕の友達がそれに出てたんだけど――その怖い夢を見たって子たち、その配信の視聴者だったってことはない? それかライブじゃなくても、あとからその動画を見たとか……そんな話は聞かなかった?」
 「ええ? 知らないなあ」
 彼女は眉をひそめた。
 「肝試し? ……うーん、聞いてない。りあ、企画モノの動画ってあんまり興味ないの。ママも見ちゃだめって言うし。アクエイキョウだって」
 「そう……そっか」
 「ねえねえ、それより泉くん、そのうち美容系の動画配信やったら? ジェンダーレスってよく聞くじゃん。りあ、そういう人たちの動画も好き、最近たくさん見てるもん。きっと人気出ると思うよ。りあ、そしたらすっごく応援する。それかりあも一緒に出てもいいよ」
 と身を乗り出した彼女はこともなげに話題を変え、迎えの時間が来るまで一階の化粧品コーナーを見に行こうと彼を誘った。彼はうなずいたが同時に話を戻し、もし彼女の友人のだれかが例のライブ配信を知っている、あるいは実際に視聴したという内容を少しでも耳にしたら自分にも教えてくれるよう頼み、彼女とメッセージアプリの連絡先を交換した。
 「じゃ、行こっか」
 と彼は椅子を立ったが、頭はほとんどうわの空だった。
 彼女と店を出たとき、彼はすでにチョーカーを買う気にはなれなくなっていた。
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