サルキア生活の始まり・・・

文字数 3,531文字

 翌日からサルキア生活のスタートとも言えるサルキア語のレッスンが始まった。教室は宿舎内の小会議室。日本語のテキストはないので、英語版のテキストを用いて授業は進められた。教師は昔東ベルリンに住んだことのあるという、ダフネさんという初老の女性だった。金髪のショートヘアに黒ぶち眼鏡というスタイルで、日本人のような発音の英語を話した。
一番最初の授業は挨拶の基本から始まった。マクシミセスは知っているが、ハローとサンキューが分からないというと、ダフネ先生は「シャバル」。それから続けて「ミシャラク」と言った。
「カゲウラさん、何の意味か分かりますか?」ダフネ先生が僕に聞いた。
「それが、ハローとサンキュー、ですか?」と僕は答えた。
「その通り。シャバル、ミシャラク、マクシミセス。こんにちは、ありがとう、さようなら。この3つが話せればサルキアの日常生活の半分は困りません。」ダフネ先生は自信を持ってそう言い切った。
「でもこれだけでは買物とかできませんよ」と僕は言った。
「その通り。ではゆっくりもう半分の言葉を勉強していきましょう」
そう言ってダフネ先生は笑った。眼鏡の奥の小さな目も笑っていて、僕もつられて笑った。

 午前中は発音の基礎と文法の成り立ちを学び、午後はひたすら実践会話文を繰り返した。こんにちは、私の名前はカゲウラ・ユウタです。これはいくらですか、これは何ですか、私はお腹がすいています、明日私のお父さんは兵隊です・・・等々。30を過ぎてから新たな語学を学ぶ事に不安はあったが、日本での諸々の不安から解放され、一度リセットされた僕の頭は驚くほどの柔らかさを回復しており、次々とサルキア語のボキャブラリーを増やしていった。サルキア語に英語のTHの発音や、RとLの違いが無いことも日本人の僕にとっては好都合だったし、また先生が日本語を一言も喋れず、英語も少し怪しいと言う点も進歩を早めた要因の一つだった。朝起きて食堂の朝飯を食べ、それから授業が行われる会議室へ。昼飯もダフネ先生と一緒に取り、3時に授業が終わるとすぐに復習と宿題が課せられ、自分の部屋に戻りこなしているとあっという間に夜になる。また食堂で夕食を食べ、部屋でシャワーを済ませると猛烈な睡魔に襲われ、大体9時前に寝てしまった。

 サルキアに着いて1週間ほど経ったある日、シャワーを浴びた後に鏡を見た時に、気のせいか自分の顔が日本にいる時よりも若返ったように感じた。それも有り得る話だ。サルキア語の勉強と、早寝早起き、規則正しい食事。職探しの心配も、生活費の心配もない生活。自分の仕事に対する不満も将来への漠とした不安もないし、深夜の食事や深酒もない。ただひたすらに、サルキア語というマイナーな言語の習得に努めるだけの日々。よく水だけを飲んで体内をきれいにするという療法を聞くが、僕の場合は精神的に同じようなことをしていたのだと思う。朝起きる。朝食を食べる。授業を受ける。昼食を食べる。午後の授業を受ける。復習をする。宿題をする。夕食を食べる。予習をする。シャワーを浴びる。ベッドに入る。その繰り返し。
別に僕自身、学生時代に勉強が好きなタイプだったわけではない。ただ今は「やるべき事」と「ゴール」が規定され、ただそれに向かって進む日々が心地よかった。文字通り心に溜まった垢やら澱やら淀みやらが流されていく気分だった。まるで再び京都の山寺で修行をしているかのように。
 語学以外の生活についても触れると、まず食事については大方予想通りのメニューで、パンや肉、乳製品といった献立が多かった。とりたてて美食というわけではなかったが、料理僕自身がグルメでないことはこの場合も役に立った。(野菜や海の魚が少ないのには参ったが)例の無愛想なおばさんとは顔馴染みになるにつれ、一言二言交わすようになったが、殆どヒアリングが出来ず、今ひとつ交流は進まなかった。そのことをダフネ先生に話すと「それは気にしなくていいですよ。あの人は壁の外の人だから発音が正しくないのです」と説明してくれた。
「壁の外の人って?」と僕は聞いた。
「カスミアの人じゃないってことです」とダフネ先生が答えた。
「先生はカスミアの人ですか?」僕がそう聞くとダフネ先生は少し怒ったような調子で「もちろんです」と言った。
「カスミア以外の人がサルキア語を教えられるものですか」ダフネ先生の眼鏡の奥の目が少し鋭くなったように見えた。

 授業が終わると時々宿舎を出て辺りの通りを散歩した。言葉が分からないうちは路面電車やタクシー、そして馬車等を使用することは禁止されていたので、とにかくぐるぐると歩き回り、周辺の地理を覚えていった。小さな商店の並ぶ近所の通りや、路面電車が走り白樺の並木が続く大通り、運河へと抜ける入り組んだ路地裏の小路・・・異国の街の地理を覚えていくのは予想以上に楽しい作業だった。昼の暑さは予想以上に厳しかったため、出歩くのはもっぱら夜だったが、それでも昼間の太陽の熱が街を包んでいて、少し歩くだけで汗だくになった。
 微かに涼しさを感じる運河沿いの風歩道には夕涼みをしているカスミア市民の姿が見られた。中には食べ物を家から持ってきて夕食をとっている家族連れもいた。その他にもラジオを聴いている人、デート中と思われる若い男女、一人でベンチにたたずむ老人などが、思い思いの夏の夜を過ごしていた。ダフネ先生言うところの「壁の外」で見たような農民や鉱山の労働者はほとんど目にしなかった。一方軍服姿の軍人はやたらと目に付き、中には僕の顔を露骨にじろじろと見てくる若い兵士もいた。
 僕は散歩を終えると大抵宿舎から一番近い商店でビールや煙草、夜食のパンなどを買って帰った。一回の買物で使うお金は大体10リフ程度。日本円にして約100円。食事と住居は無料なので、普通に暮らしていれば7000リフで充分にお釣りが来る計算である。店の名前は「バルフラ便利店」。店主のバルフラ氏は初老の口髭の男性で、何度目かの買い物で僕の顔を覚え、挨拶をしてくれるようになった。宿舎には運動場を兼ねた広い中庭があったので、寝る前によくベンチに座った。中庭の向こうには一本の運河が広がり、並木の向こうでかすかに水面が揺れるのが見えた。そんな景色を見ながら僕はビールを飲み、煙草を吹かした。

 時折タニアが宿舎に顔を見せる事もあった。僕が食堂で彼女を見かけて「シャバル!」と声をかけると、タニアも「シャバル!」と返し、僕の隣の席に座った。
「景浦さん、サルキア語の発音いいですね」とタニアが言った。
「ミシャラク!」僕はお礼を言った。
「順調みたいですね。何よりです。」
 サルキアで見るタニアの表情は日本のときよりも大分柔らかくなっていた。日本では外資系企業の女性マネージャーのような緊迫感があったが、サルキアではガールスカウトの女性リーダーぐらいの親しみがあった。服も黒づくめではなく、夏らしい薄い色のワンピースを着ていた。日本では真っ黒に見えた髪も、窓から差し込むサルキアの夏の日差しの下では少し明るく見えた。
「タニアさんは忙しいの?」僕は尋ねた。
「そろそろ景浦さんの交流大使のお仕事が始まるので、色々調整があって」とタニアは答えた。
「調整って?」
「行事の出席とか、文化交流講座のプログラム決めとか、そういったことです」
「そういうの、タニアさんがやってくれてるんだ。ミシャラク、ミシャラク」僕は礼を言った。
「それが私の仕事ですから。逆に、他にも必要なことがあれば言ってくださいね。何か、ありますか?」
「そうだな」タニアに聞かれて僕は少し考えた。それから少し調子に乗ってこう言った。「タニアさんが、もうちょっと頻繁に来てくれると嬉しいんだけど。何しろずっと英語とサルキア語だから疲れちゃって」
「それは、ダメなんです」とタニアが言った。
「なんでですか?」と僕は聞いた。
「景浦さんが日本語を話すとサルキア語をその分忘れちゃうから」タニアは笑ってそう答えた。「景浦さんには、早くサルキアに馴染んでもらわないといけないですから」
「だったら今度観光に連れて行ってください。この国をこの目でしっかりと見てみたい」僕は言った。
「もうすぐですよ。私がちゃんと案内しますからご心配なく」
僕達は羊肉と豆の煮込みとパンの食事を終えた。タニアはハンカチで口を拭い、トレイを持って立ち上がった。
「またすぐ来ますから、マクシミセス」
「楽しみに待ってます。マクシミセス」
 この時もサルキア式にお別れのキスがあるのかと少し期待したが、タニアは笑顔で颯爽と食堂を去っていった。その姿は本当にガールスカウトの優秀なリーダーのように見えた。
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