日本学・・・

文字数 6,491文字

 建国セレモニーの翌週から「日本学」の講師の仕事が始まった。この講師の仕事は交流大使の本職とも言うべき仕事で、サルキアの学会関係者や、政府関係者に日本に関する様々な事象を紹介するというものだった。
「あの、教材とかは用意されてるんでしょうか。僕の方では何も準備していませんが」僕は直前になって改めてアニヤに確認した。
「大丈夫だよ。基本的に受講者からの質問形式で行われるから、君はそれに答えてくれればいい」とアニヤが答えた。
「僕は特に教師の資格とか無いんですが、大丈夫ですかね」なおも言い訳がましく僕は確認した。
「大丈夫だって言っているだろう。君の知ってる日本を、そのまま紹介してくれ」少し怒った口調でアニヤは面接の時と同じ言葉を言った。
「僕の知っている日本、ですか」僕も面接の時と同じ言葉を返した。

 日本学の講義は以前路面電車から見た大統領官邸に隣接したカスミア首都大学にて行われた。その日僕とタニアとネオミの3人が馬車で乗りつけたので、出迎えに出ていた大学生が驚いた顔を見せた。最初は車で送ってもらう予定だったが、僕が乗ってみたかったので、街の流しの馬車を拾ったのだ。御手の老人は普段と違う客層に戸惑いを見せ、乗車拒否の雰囲気すらあったが、ネオミが「カスミア大学まで」と言うと素直に従った。馬車の速度は車よりも大分遅い。速度にして10kmくらいだろうか。僕達は2頭の馬に引かれ、冬に入り始めたサルキアの街をコトコトと進んだ。午前の弱い陽に照らされ、霧がかった馬の茶色い背中がぼんやりと光っていた。

 大統領官邸の裏手に当たる森の一角がカスミア大学の敷地だった。守衛所で受付を済ませて正門をくぐると広い並木道があり、それは真っ直ぐ大学の構内へと続いていた。敷地内にはいくつかの校舎のほか、広々とした中庭や雑木林も見え、ちょっとした湖まで見つける事が出来た。大学生が先導で歩き、続いて僕とタニアが並んで歩き、ネオミは少し後ろを歩いた。
「すごい立派な学校だね」と僕はタニアに言った。「日本の大学と大分イメージが違うよ。タニアさん覚えてるかな、僕の学校にも正門から綺麗な欅の並木があったんだ。こんなに大きくないけど」
「覚えていますよ。きれいなところでしたね」とタニアは言った。構内には人も少なく、一人掃除婦と思しき女性が黙々と枯葉を集めていた。僕たちはその脇を通って順路を進んだ。
「サルキアでは大学にいく人は多いの?」僕はタニアに聞いてみた。
「サルキアの義務教育は15歳までで、その後は一般的には就職します。進学する人は、高校、大学と進みますが、大学まで行くのは全体の2%ぐらいでしょうか」タニアが答えた。
「2%!そんなに少ないの。ていうか、15歳で殆ど就職するって、それもすごいね。昔の日本みたいだ」
「日本にもそんな時代があったんですか」タニアが驚いたように言った。
「うん、僕の父親や母親の世代は、結構多かったみたいだよ。今はお金さえあれば、誰でも大学行けるようになったけど」と僕は言った。
「ここは私の母校です」タニアが少し誇らしげに言った。
「すごいね、さすがタニアさん、優秀だ」そう言うとタニアが少し照れた。「ここで日本語を学んだのです」
「ネオミさんも、同じ大学?」少し声を潜めてタニアにたずねた。
「いえいえ、ネオミさんは貴族の出身だから、大学は行きません」
「貴族?何それ?」僕は聞き返した。
 タニアが後ろのネオミを気にする様子で、「また今度ご説明します」と言った。それから我々はしばらく黙って歩いた。広い敷地なので、なかなか校舎にたどり着けなかった。道沿いには草の生い茂る小川が流れていて、冬の淡い光を受けてキラキラと輝いていた。
「そう言えばこの前の景浦さんは本当に素敵でした」歩きながらタニアが言った。
「え、なんのこと?」僕は聞き返した。
「交流大使のパーティです。みんなの前で堂々と国歌を歌って、かっこよかったです」とタニアが言った。
「なんだ、タニアさんあの時いたの?声かけてくれればよかったのに」と僕は言った。
「そう、ネオミさんと二人で見ていましたよ。私も景浦さんに会いたかったけど、景浦さんが自力で友人を作るようにって、アニヤさんに会うのを禁止されていたのです」タニアは少し照れたように言った。
「でも素敵でした。他の西洋人達に負けずに自分の国の歌を歌って聞かせて、景浦さんの日本人としての誇りを感じました」タニアが妙にうっとりするような口調で言うで今度は僕が照れる番だった。
「いや誇りというか・・・単純に、他に芸がなかっただけなんだけど。」
「素敵でした」タニアは僕の声が聞こえていないのか、賞賛を繰り返した。我々はようやく校舎の並ぶエリアにたどり着いた。大学生がそのうちの一つの古めかしい建物に指し示し、一緒に入るようタニアに伝えた。

 教室にいた生徒は15人ほどで、果たしてこれが多いのか少ないのかは判断がつきかねた。ユーラシア大陸の中央に位置するこの異国の地で、殆ど交流のない極東の島国について学ぼうとする人が15人いるだけでも多いのかもしれない。顔ぶれは大学生風の男女から、はげ頭にひげを蓄えた初老の男性までそれぞれだった。教室は他のサルキアの建物と同様、スチームが効きすぎていてセーター一枚でも暑いぐらいだった。ガラス窓が白く曇り、向うに白んだ空気が見えた。タニアが通訳を務め、ネオミは後ろに座って質疑応答の記録を担当した。
 冒頭でタニアが「景浦さん、挨拶お願いします」と言うのでとりあえず交流パーティの時のようにサルキア語で挨拶をした。今度はわりととつかえずにいえたので拍手でもあるかと思いきや、全く無反応だったので拍子抜けした。それでは早速始めましょう、というような事をタニアが言うやいなや、生徒達の質問が始まった。一人目は若い学生風の男だった。
「カゲウラさんは、祖国のために死ねますか?」
 一発目から深い質問が出て、僕は一瞬言葉を飲んだ。面接のときにアニヤに聞かれた質問と同じじゃないか。
「これって、どう答えたらいいのかな」僕は思わずタニアに助けを求めた。
「景浦さんの、思うままでいいです」
「思うまま、ね」僕は一度咳払いをしてから答えた。
「初めに、それは、とても難しい質問です。何故なら、日本は現在戦争をしない国なので、あまり国のために死ぬとか、そういうことを考える機会が僕には、というか今の日本人にはありません。それは、何かあったら国を守りたいという気持ちは当然ありますが、死ねるかどうかというと・・・」
「景浦さん、ちょっと待ってください。少しずつ訳しますから」タニアに制され、僕は慌てて口をつぐんだ。タニアが早口のサルキア語で僕の答えを訳している間、なぜか僕の胸は高鳴っていた。この前の君が代を歌った時にも似た感覚だった。先程までの言葉を訳し終えたタニアが「どうぞ続けてください」と言った。僕は咳払いをして続けた。
「ええと、国を守りたい気持ちは、一般的な日本人なら誰でもあると思います。同時に、自分の命を捧げられるかと言われれば、答えるのは難しいです」
「私の調べたところによると」若い学生風の男は自分のノートを見ながら言った。「第二次世界大戦では、日本は現在のイスラム過激派の自爆テロのように、人命を懸けた攻撃を行ったといいます。兵士達は誇りを持ってその作戦に参加したと聞きました。そのメンタリティは、戦後の長い時間を経て変質したのでしょうか」
 タニアの通訳を聞きながら、ある程度予想していた質問が来たなと感じた。僕は一回目の質問と比べると、落ち着いた声で回答をした。
「まず教育の理念が180度違います。当時は、国のために死ぬ事は素晴しいと教えられていました。ですから、本心はどうあれ、兵士達は進んで自らの命を捧げる事が当然、と本人達も、周りの人たちも考えていました。しかし今はその反対です。そのような考えは、恐ろしいものだと教えられています。私も、そのように教育されて育ちました。ですから、もちろん国に尽くしたいとか、守りたいという気持ちはありますが、生命を捧げられるかどうかというのは、また別の問題です」何とか自分の考えがまとまり、やや満足感を覚えながら僕は言い終えた。「つまり、国のために自らの命を捨てるということは、現代の日本にとって必ずしも美徳ではない、といことです」
「なるほど」学生風の男は今度は僕のほうを見て言った。「それではカゲウラさんは国のためには死ねないということですね」
「そう、ですね・・・」同じ質問を繰り返されて、僕はやや狼狽した。学生風の男はじっと僕の答えを待っている。他の生徒達も僕を見ている。その視線の圧力から逃れるように僕は何とか答えた。
「死ねない・・・かもしれません」
 そう答えると生徒達が一様にノートにメモを取り出した。学生風の男はやや失望した顔でノートに何か書き込んだ。僕は脇の下から腹に汗が伝うのを感じていた。暖房が相変わらず効き過ぎていた。次の質問まではしばらく間があった。やや遠慮がちに手を挙げたのは少し年配の女性だった。
「日本には桜の花を見る活動があると聞いていますが、その活動の目的は何ですか?」
再び予想外の質問が出て、僕はまたも言葉に詰まったがタニアに助けを求めてもどうにもならないことは分かったので、今度は自力でゆっくりと答えた。
「春の花見のことですね。ええと目的は、花を見て楽しむことと、それにかこつけて、ピクニックや散歩を楽しむ事です」
「かこつけて?」タニアが聞いた。
「えっと、それを口実に、ってことだね」口実に、ですねと答えてタニアが訳した。受講生の反応を見るに、少し意味が間違って伝わっている気がした。僕は続けた。
「桜の季節はみな心が楽しくなります。家族連れや友達同士でも花見に行きますし、会社では新入社員が上司の指示で昼間から大きなスペースを確保する事もあります。はっきりした数字は分からないけど、日本中で何千万人って人が花見に出かけるんじゃないかな。一つの、国民的行事です」
質問者の女性はタニアの通訳を聞いてしばらく考え込んでいたが、それから質問を重ねた。
「花が咲くのはきれいなことですが、それを見る事が、そんなに楽しいのでしょうか?」
 僕は再び答えに詰まった、その表情から何かを感じ取ったか、質問者の女性は質問の意味を補足してくれた。
「もちろん、私達の国にも花は咲きます。春には水仙が咲くし、夏には百合が咲きます。でもそれを個人単位で楽しむことはあっても、国民的な行事として行うことはないです・・・」女性はそう言い、少し考えてから、角度を変えて更なる質問を投げた。「つまり、その活動に参加しないと、国家から何らかのペナルティが与えられるのでしょうか」
 ペナルティ・・・なんで?花見とペナルティ、どうしたら結びつくんだ?僕はバラバラになりそうな思考をなんとかつなぎあわせ、記憶と知識を拾い出すようにして、ゆっくりと回答した。
「えー、日本人にとって、桜は特別な木であり、花です。色も白だかピンクだか微妙で控えめなところが、我々の国民性合っているのかもしれません。またぱっと咲いてぱっと散るというところも、我々日本人を惹きつけるのです。何故ならそういう様に美しさを感じる価値観もあるので」そう言って僕は先ほどの戦争の話と関連付けられそうで、慌てて話を変えた。
「まあそれはさておき、つまり、日本人は桜を見るとハッピーになるのです。また日本の年度は会社も学校も3月に終わり、4月に始まります。日本人が好きな野球も同じですね。高校野球の全国大会も、プロリーグの開幕も3月です。桜はちょうどその間に咲くので、つまり終わりや始まりの時に咲いているので、印象的なのです。他の花とは全く違うのです。だから、桜の季節になると条件反射的にみんなで見に行って楽しんだり、ご飯を食べたり、お酒を飲みたくなるのです。というか、これも我々日本人の一つの伝統ですから。こんな答えで、よいでしょうか?」
 女性はわりと納得した様子でメモを取っていた。他の生徒も続いてメモを取った。僕は生徒達に気づかれないように大きく息をついた。少し休憩を取りたい気分だったが、すぐさま眼鏡をかけた真面目そうな女子大生風の女の子が「質問よろしいでしょうか」と手を上げた。どうぞ、とタニアが言った。
「日本人は何故写真を撮るときにチャーチルのVサインを模倣するのですか?」
 最初意味が分からずタニアに聞き返したが、ピースのことだと分かった。
「イギリスが第二次大戦に勝利したように、日本は戦争には負けたが復興を成し遂げ、今は先進国になったことを国家的な勝利ととらえ、国民は皆誇りに思っているのでしょうか」女子大生は真剣な顔でそう言った。
「いや、そこまで深い意味はないと思うのですが・・・」僕は少しつかえながら答えた。「まあ、他にポーズが思いつかないんだと思いますよ。小さい時からやってるし、まあとりあえず、ピースしておけばなんとかなるというか・・・」
「何が、なんとかなるのですか?」今度はタニアに聞き返され、僕は言葉に詰まった。
「何と言うか、絵的におさまりがいいというか・・・」
「絵?おさまり?何がおさまるのですか?」タニアの口調も心持ち詰問調になっている気がした。
「・・・おさまりは忘れてください。ええと、ピースは、写真を撮る事が嬉しい、という心の表れです。その喜びを表現したくて、Vサインを作るのです」僕はそこまで説明して言葉を切ったが、もう一言付け足した「また、少なくともこのポーズをすれば、その場を楽しんでいる振りができるのです」
 女子大生は僕の答えに少し納得がいかない様子だったが、これ以上の答えが出てこないと判断したらしく、せっせと答えをノートに書き始めた。他の生徒も他の質問同様に熱心にメモを取った。
 質問はこのような調子でしばらく続いた。普段僕が考えた事も無いことばかりだった。日本人はアメリカと中国どちらが好きか、何故あまり年が変わらない若者同士でも、年長者を上官のように敬うのか、日本には優れた自動車が沢山あるのに、成功者は外車を好むのか・・・等々。アニヤの言うとおり、歴史や経済の専門的な質問は無く、すべて日本の「一般的な」事象や、考え方に関するものであった。

「それでは時間ですので、今日はここまでにしましょう」タニアがそう言った時、教室の時計を初めて見た。開始から1時間半が過ぎていた。
「もう、いいのかな?」
「はい、終わりです」
 あれだけ熱心に質問を投げてきた生徒達だが、みなあっさりと教室を出て行った。最後の生徒が退室してから、僕は席を立った。
「僕の授業、これでよかったのかな?」と僕は言った。
「ええ、素晴らしかったです。景浦さんは以前日本語教師などやっていましたか?」とタニアは言った。
「いやいや、まったくないです。外国人の日本を説明するなんて今日が初めてだよ」
「お見事でした。私も大変ためになりました」
「あそう、ならよかったけど」
 愛国のくだりで歯切れの悪い説明をしたため、タニアにひそかに失望されたのではと心配していたがひとまずは合格だったようだ。 

 僕らは再びキャンパスを抜けて校門に向かった。陽が大分落ちており、夕方の風が吹き始めていた。時折パタゴニアのダウンジャケットを突き抜けるような冷気を感じ、僕は体を強張らせた。校門には既に迎えの車がついていた。車の暖房を期待したがほとんど効いておらず、後部座席で僕は何度か身震いをした。
 タニア達と別れて宿舎に戻ると、今頃緊張感が解けたのか一気に疲れが押し寄せてきた。サルキアに来て一番疲れたと感じた、日本に電話する元気も無かった。腹だけは減っていたので、食堂のご飯をかきこみ、再び部屋に戻るとシャワーを浴びる気力も無く、ダウンジャケットを脱いでセーターのままベッドに突っ伏して眠った。眠りに落ちる瞬間、本当に遠い国に来たんだなと感じた。いろんな意味で、本当に遠い国に。
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