異国の友・・・

文字数 3,371文字

もう一つ、僕のサルキア生活が充実した理由に挙げられるのが友人の存在である。その友人とはカナダ人のクリス。建国セレモニーの時に殆ど話さなかった交流大使だ。クリスとはサンタ・ピリタのエレベーターで再会した。サンタ・ピリタのエレベーターとは、カスミア大通りの歩行者天国にある展望台である。高さは37メートル。これまたヨーロッパかぶれのカスミア政府が、第一次大戦後にパリのエッフェル塔を模して建造したということだった。現在でも一部の政府系施設を除けば、カスミア市街では最も高い建物である。入場料は25リフ(250円)と、カスミア市民にとってはかなり高額だが、休みの日はいつも見物客でにぎわっていた。
 僕がその展望台に上ったのは12月のとある週末だった。1階でチケットを買い、係員が手動の木製のドアを閉めると、エレベーターはゆっくりと上昇していった。箱は鉄格子で囲まれており、上っている間外が見えるので子供が下の景色を見ながら大きな声を上げていた。
展望台からはカスミアの市街そして、郊外とカスミア市街を隔てる壁が四方にぼんやりと見えた。僕はカスミアの伝統的なお菓子である蜂蜜と胡桃の揚げパンを売店で買って齧りながらその景色を眺めた。冬晴れのカスミアは確かに美しかったが、久々に高い位置から景色を見たのであまり現実感がなく、まるで良く出来たパノラマ画を見ているようだった。入場客はカスミア市民だけでなく、壁の外から来たと思しき農民や鉱山労働者の姿も沢山見られた。一様に汚れた帽子を被った彼らはおっかなびっくり望遠鏡を覗き、家族連れは真剣な顔で1枚5リフの有料写真を取っていた。時折カスミアの市民が彼らに冷ややかな眼差しを送るのが見えた。
 そんな中で、一目で外人と分かる顎鬚を生やした長身の欧米人が一人いて、手持ち無沙汰な様子で景色を眺めていた。それがクリスだった。僕が英語で声をかけるとびっくりした様子でこちらを見たが、交流大使である事を告げると警戒の色を解いた。それから僕らはエレベーターを下り、前にタニアが連れてきてくれた教会の前のカフェに移動した。

「他の交流大使と仲良くやってる?」サルキア語でそう聞いてきたのはクリスの方だった。僕らはテントで覆われた店内にある石油ストーブの近くに座り、バター茶をすすりながらお互いの交流大使生活について話していた。
「いや、仕事が忙しいのもあるし、あまり会わないな」ストーブの近くの割には空気がなかなか暖まらず、僕は体を震わせながら答えた。
「そうか、俺は結構時間はあるんだけど、彼らとはあまりノリが合わないんだ」クリスが欧米人らしからぬ、ボソボソとした声でそう言ったので僕は意外に感じた。「カナダ人でもそう思うんだ。実は、俺もだよ」と僕は言った。
「そうか。ユウタもそう思うか。彼ら、少し元気が良すぎるんだ」
クリスが笑ってそう言ったので、僕は気になっていた事を聞いてみた。
「欧米人同士でも、やっぱり感覚は違うの?」。
「違うね。アメリカなんか近所だけど、根本的な性格が違うと思う。まあ俺はケベックの出身で、フランスがルーツというのもあるかもしれないが」
相変わらずボソボソとした調子でクリスが答えた。
「じゃあやっぱりフランス人のドミニクとは気が合うんじゃないか」僕はもう一つ聞いてみた。
「うーん、フランス語で話せる気楽さは。あるけど、向うは本家でこっちは分家みたいな感じもあるし・・・何ともいえないな。あと、イタリア人のトッティとかのノリはすごいな」そう言ってクリスはまた苦笑を浮かべた。
「俺もそう思う」僕は素直に同意した。
「ラテン人にはかなわない。スペインとか、ブラジルとか・・・よくついていけないことがあるよ」そう言ってクリスは軽くため息をついた。やはりこの席が寒いらしく、体を少し震わせている。
「全くだ。日本人も一般的にはノリが悪いから、ついていけない」僕がそう言うと不意にクリスが手を差し出してきた。
「ノリが悪い者同士、サルキアで仲良くやろうぜ」学校に遅刻した学生が、もう一人遅刻した生徒を見つけたときのような笑顔だった。
「オーケイ。仲良くやろう」僕はその手を握った。

 その夜、僕らはクリスが紹介してくれた中華料理屋に入り、久しぶりのサルキア料理以外の食事に舌鼓を打った。この店の店長は中国人だったが、テーブルに出てくる事はなく、黙々と厨房で料理を作り続けていた。ある者いわく、店長はかつて天安門事件に参加した経歴があり、ウイグルを経てサルキアに亡命したとのことで、今も中国公安の目から隠れるために滅多に人前に出ないのだと、クリスが真顔で教えてくれた。
「まあサルキアでもキリバスでもよかったんだけど、どこか知らないところに行ってみたかったんだ」とクリスが鶏肉のチャーハンをレンゲで取りながら言った。クリスは大学院を卒業後、定職に就かずNPOの手伝いをしたり、中国人移民相手に英語教師をやりながら食いつないでいるところでサルキア行きの話を持ちかけられたという事だった。
「ユウタは何か、サルキアと関係があったのか?」とクリスが言った。
「いや、全然、たまたま母校の大学のパーティで、タニアさんに声かけられて、あちっ!」僕は小龍包の口の中で転がしながら答えた。
「俺、実は失業中でさ」僕はやっとのことで小龍包を食べ終えてから言った。「毎日アパートにいたんだよ。貯金がないどころか、借金して暮らしてて、本当に困っていたんだ」
僕がそう言うとクリスは驚いたような表情を浮かべた。
「日本人でもそんな奴がいるのか。普通の日本人の大人はみんなちゃんとスーツ着てオフィスに勤めて、仕事と貯金を生きがいに暮らしているのかと、俺は思ってたよ」
「最近はそうでもないんだ」僕はチャーハンをかき集めながら言った。「俺みたいな人間も、珍しくないと思うよ」
「ふうん」クリスはそれでも不思議なものを見るような顔で僕を見てから、僕から皿を取り、残りのチャーハンを皿ごとかきこんだ。

 この日から僕とクリスは頻繁に連絡を取るようになり、食事や飲みの席を共にすることが増えた。我々を近づけた直接的なきっかけはお互いのノリの悪さであったが、実際のところ僕らは話し相手に飢えていたのだ。僕らの仲がただの話し相手から、親しい友人となった一番の要因は小説と映画の趣味が会ったことである。なんと僕がアニヤに面接の時語った作品のうち、いくつかがクリスのお気に入りでもあったのだ。お互い祖国で得られなかった小説と映画の友を得て、僕らは思春期のバンド少年のようにお互いの作品に対する思い入れを語り合うようになった。

「アメリカンビューティの中でさ、ケビン・スペイシーの娘を隣の男の子が盗撮している場面あっただろう。あのシーン不思議だと思わないか」その日何杯目かのビールを飲みながらクリスが言った。
「確かに。それまで彼を避けていたのに、何故かあの子、自分から服を脱いだんだよね」僕もビールを飲みながら答えた。
「あれ、見られてるってわかってて脱いだんだろうか?」クリスが真面目な顔で言った。
「当然だよ、彼女もまんざらじゃなかったんだ、きっと」僕が言った。
「とにかくあの映画はラストシーンは美しい。ケビン・スペイシーが奥さんの昔の写真とか見て、『なんて可愛い』とかいうところなんて、たまらなかったよ。でもラストシーンなら、ブレスレスもよかったな」
「確かに。あのリチャード・ギアの最後のダンスは最高。『明日に向かって撃て』のラストに少し似てるけど、俺はロバート・レッドフォードよりリチャード・ギアの方がかっこいいと思うな。涙が出そうになったよ。リメイクって意味では『勝手にしやがれ』より全然面白く見れたな」僕が答えた。
「俺はリチャード・ギアが裸でシャワー室の前で踊った時に涙が出そうになったよ」とクリスが言った。
「いや、そこは、俺は爆笑したけど」と僕は言った。
「なんで?一番象徴的なシーンじゃないか。ジェシーがテレビで指名手配されて、お先真っ暗な時に、全ての感情をフランス女への愛に置き換えて。自分の憂いを吹っ切った瞬間だよ。最高だぜ。爆笑だなんて、ジェシーに失礼だ」クリスが怒ったように言った。
「いや、俺は爆笑した」僕がそう言うとクリスはまた怒って「失礼な!」と繰り返した。
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