デトックスのような日々・・・

文字数 1,730文字

 インターネットは予想通りほとんど使用できなかった。一応回線はあるのだが非常に接続が遅く、たまにヤフージャパンを見れる時もあったが、殆どはつなぐ度にタイムアップになってしまった。接続を早くしてもらうよう一度タニアにお願いをした事があったがあまり事態は好転せず、また事前の申請と許可が面倒な事もあり、ほとんど見なくなった。日本にいる時はほぼ毎日見ていたインターネットだが、目の前の異国の人々や街並みの方が興味深かったので、なければないで暮らす事が出来た。。その代わりにサルキアのテレビをつけ、語学の勉強ついでにニュースやドラマなどをぼんやりと眺める癖がついた。
国際電話は比較的普通にかける事が出来た。一番初めにかけたのは両親だった。長い交信音の後に、久々に聞く日本の呼び出し音が聞こえた。
「はい、景浦です」母親が電話に出た。
「あ、もしもし、裕太ですけど」と僕は言った。
「あら!裕太!あなた、ぜんぜん連絡しないで、ちゃんと着いたの?今どこからかけてるの?」母の声が大きく受話器に響いた。
「ごめんごめん、ちゃんと着いて暮らしてるよ。今そっちは何時?」
「もう夜の10時よ。そっちは?」
「こっちはまだ夕方の4時ぐらい。6時間ぐらい違うんだな」
「ご飯はちゃんと食べてるの?」
「食堂があるからちゃんと規則正しく食べてるよ」
「おなかは壊してない?水とか、大丈夫なのかしら」
「大丈夫だよ。元気にやってます。今のところ毎日語学の勉強だけど、順調だよ」ここまで話して少し雑音がひどくなってきた。「あれ、うるさいな。切れちゃうかもしれない」僕がそう言うとあわてて母親が言った。
「ちょっと待って、切らないでね、あなた!裕太から電話よ!」
少し間があって、電話が父親に代わった。
「もしもし、あれ、なんか変な音がするな」と父が言った。
「そう、雑音がするんだ」と僕は言った。
「元気か」
「元気だよ。そっちは、何か変わりない?」
「日本はいたって平和だ。俺もお母さんも、紀子も、風太も、みんな元気だ。この電話はどっからかけてるんだ」
「こっちの携帯から」
「結構高いんだろ、国際電話だから」
「1分で1000円ぐらいかな」
「1分1000円!そんな高いのか。じゃあもういいぞ、とりあえず元気でやって、仕事頑張れよ」
「分かった。そっちも体に気をつけて」
「はいはい、元気でな。くれぐれも体に気をつけろよ」
 丁度更に雑音が大きくなったところで電話が切れた。久々に家族の声を聞いた後に見る宿舎の風景は、妙に現実感がなく感じた。それから上本にも電話をかけ、同じような会話を交わした。少し話すと日本語で話すのが楽しくなり、他にも誰かにかけようかと考えてみたが、考えてみれば海外からわざわざ肉声で話す相手はそうそういなかった。また電話代の高さも少し気になったので、電話をかける回数は自然と減っていった

 そうしてしばらくは語学勉強中心の生活が続いた。そのリズムに少し慣れてくると僕は時間を持て余すようになり、トレーニングを始めた。中庭を10週、腕立て伏せと腹筋を50回ずつ。日本にいた時には考えられなかった習慣である。やり始めた次の日は早速筋肉痛になったが(先生は筋肉痛のサルキア語を教えてくれた)1週間も続けると体が慣れ、むしろ筋肉が、久々に動かしてくれてありがとうと喜んでいるように感じた。
 不思議なのは毎晩日本の夢を見ることだった。特に自分では日本が恋しいとか、淋しいといった感情はないはずだったが、決まって毎日日本が夢に出てきた。家族や上本、昔の彼女はもちろん、小学校の時以来あっていない幼馴染や、部活の仲間、クラスメイト、殆ど話した事のない会社の同僚まで出てきた。考えてみれば夢の元となる脳の記憶は99%日本のことなので、夢の舞台が日本であることは当然なのだが、起きる度に不思議な気分に襲われた。目が覚めて、自分がサルキアにいることに気づかない事もしばしばであった。
 
 デトックスのような日々を経て僕は無事サルキア語検定の初級を獲得した。ダフネ先生いわく、ロシア人を除けばこのペースはなかなか悪くないということだった。その事をタニアに報告すると、約束どおり次の週末にカスミア見学に連れて行ってくれることになった。
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