カスミア見学・・・

文字数 5,197文字

 僕がカスミアの街に出たのは、夏の終わりを知らせる雨が1週間降り続いた後、突然空気が冷たくなり、抜けるような青空が見え始めた頃だった。9月に入った途端、それまで街に被さるように浮かんでいた厚い雲が一気に高くなり、空が広くなったように感じた。
「カスミアの秋は『黄金の秋』と呼ばれています」
市内をぐるりと一周する路面電車の中でタニアが教えてくれた。
「サルキアは冬と夏が長いんです。夏は5月から9月まで、冬は10月の終わりから3月まで。秋と春は1ヶ月ずつしかありません。しかも春はすぐに暑くなってしまうから、殆ど夏と一緒。だからカスミアの人は一年で秋が一番大好きです。ね、ネオミさん」
 タニアが隣に座るネオミに話しかけた。ネオミはあまり関心が無さそうに「そうですね」と答えた。てっきり今回の観光はタニアと二人きりと思っていたので、ネオミがタニアと一緒に表れた時は少し拍子抜けした。

 城壁で囲まれたカスミアの街は、路面電車に乗って1時間ほどすれば大体周る事が出来た。路面電車の路線は、東の城門から西の城門を直線で結ぶ一号線と、城壁に沿って街を一周する二号線の二本だけである。電車の窓から見える街路樹や公園の木々は紅葉し、まさに文字通り「黄金の秋」を迎えていているようだった。車内には乗客はあまり多くなかったが、みなアニヤやタニアのように、アジア人の血が混じった白人の顔をしていた。一人の男の子がじっとこちらを見ていた。
「僕はアジア人だから目立つのかな?やっぱり日本人ってすぐ分かる?」小さい声で僕はタニアに尋ねた。
「どうでしょう、日本人を見た事が無い人が殆どですから。でも中国人と韓国人はいますね。中華料理屋もあります」とタニアが答えた。
 途中乗客が増えて、僕らの前にも何人かの人が立った。壁の外で見たようなひどい身なりの人は少なかったが、どちらかというと安そうな服を着ている人が多かった。皆顔立ちはきれいに整っているがゆえに、服装とのギャップが際立ち、一種の異国感を生み出していた。そしてさっきの少年と同様、一様に僕らに向けて好奇の視線を投げていた。
「この国には外人はほとんどいないの?」と僕はタニアに聞いた。
「一応いますよ。多くはないですが」とタニアは答えた。
「ビジネスマンとか?」
「いえ、エンジニアの人が多いですね。みんな郊外の研究所で働いているから、我々との接点は少ないです」
「なるほど・・・なんか、更に見られてる気がするんだけど。僕の格好がおかしいのかな」
「いえ、私達が日本語で喋っているからでしょう」
「あ、そうか。サルキア語にしたほうがいいかな」そう僕が言うとタニアは笑って「余計目立つからやめましょう」と言った。

 そのうち路面電車はとてつもなく広い通りに合流し、片側10車線はあろうかという大通りの真ん中を走った。道の広さに反して車が少ないので、まるで巨大な駐車場を走っているような感覚を覚えた。しばらくその大通りを進むと、両脇にこれまた巨大な石畳の広場と、荘厳な博物館のような建築物が見えてきた。「ここが『国民広場』です」とタニアが言った。
「この広場は別名『カスミアの庭』と呼ばれており、政府のセレモニーや軍のパレードなどに使用されます」サッカー場ぐらいの広さのある石畳の広場にはサルキアの国旗と歴史上の英雄らしき人物の銅像が見え、観光客や家族連れ、カップルが散歩したり写真を撮っていた。大きな通りをはさんだ向かいの政府庁舎はゴシック様式の立派な建物で、裏には小さな湖と森が見えた。門の前には馬に乗った兵士がいた。広場の入り口で電車が止まり、大勢の乗客が降りていった。
「向かいの建物は政府庁舎です。昔の王宮をそのまま利用しています」とタニアが言った。
「すごい建物だね。見学とか出来るのかな」と僕は聞いた。
「一般人は無理ですが、景浦さんは来週中に入れますよ」
「なんで?」僕は驚いて聞き返した。
「あそこで交流大使のパーティがありますから」
「そうなんだ、すごいところでやるんだね」
 電車が広場を通り過ぎると、今度は湖と森が見えてきた。
「あの湖は何?何か、なんか奥にお城みたいのが見えたけど」僕は尋ねた。
「あれは以前の皇帝の別荘です。今は大統領官邸になっています」タニアが答えた。
「なるほど、だから兵隊さんがいたんだね。あれは、サルキア軍の人なの?」
「いえ、カスミア防衛隊の兵士です。この市街地は殆ど一つの国として独立しているので」
「なんか思ったんだけど、カスミアって軍の人多いよね。今日ここに来るまでにも何人か見たし、この電車の中にもいるもんね」
「そうですね、カスミアで偉いのは、政府関係者、そして軍部の人間です。ネオミさんのお父さんは陸軍の高級幹部なんですよ。ね、ネオミさん」とタニアは言った。
ネオミは小さな声で「はい」とだけ答え、窓の外を見ていた。その表情を見て僕は上本といった日光のドライブを思い出した。
「次の西の城門駅で環状線に乗り換えましょう。東京で言えば、新宿駅で中央線から山手線に乗り換えるようなものです」タニアがそう言ってまもなく電車が止まった。ホームに降りるとまぶしい光が我々の上に降り注ぎ、僕は目を細めた。タニアもネオミも北国の秋の陽に照らされ、日本にいるときよりも随分と白く見えた。

 環状線を南に下るとちょっとした繁華街に入り、路面電車を降りた。ここはデパートやブティック、土産物屋などが立ち並ぶ歩行者天国があり、歩道にはカフェもいくつかあった。街の雰囲気で言えば、コペンハーゲンの街並みに似ている気がした。人出も今まで見てきたエリアよりも多く、アメリカ風ファッションの若者のグループも見られた。ロシア人らしき観光客の姿も確認できた。ただ違うのは、街に全く外国の企業の看板が無いことと、万国共通のファストフードやカフェチェーンの店が無い事だった。
「初めてマクドナルドの無い街を見たよ」
 繁華街の中心にあるギリシア正教の教会に面した広場のカフェで、カスミアの名物というバター茶を飲みながら僕は言った。「あと、トヨタとかフォルクスワーゲンの車が走ってない街も」僕がこの日見た車は質素なサルキアの国産車か、ロシアや東欧で生産されていたと思しき旧型の車、後はブランドも不確かな軍用のジープだけだった。
「昔はマクドナルドもケンタッキーもあったんですよ」タニアもバター茶を飲みながら答えた。
「昔っていつ頃?」僕が尋ねた。
「20世紀の終わりぐらいですね。1998年とか、99年とか、ソ連解体後、西側の資本が一気に流れ込みましたから。もちろんメルセデスベンツやトヨタの車を持つ事がステイタスだったこともあります。」とタニアは言った。
「当然社会主義の後に資本主義が来たらみな大喜びです。先進国の製品は誰もが欲しがるものですから」タニアが続けた。「でもそういう流れを受け入れていると、国はダメになってしまいます・・・」
 タニアの話の途中で破れた服を着た一人の男性が近づいてきて、サルキア語の書かれたボードと小銭の入った空き缶を持って我々の前に止まった。しばらくの間タニアとネオミに何かを話しかけていたが、ネオミが何事かを伝えると、お辞儀だか謝罪だかをしてすぐに立ち去った。
「今の人は?」僕はタニアに尋ねた。
「乞食ですよ。壁の外から来た」タニアが答えた。
「何て言っていたの?」
「自分の母親が病気になったが、村に帰るお金が無いので恵んでくださいとか、そういうことです。でも景浦さんダメですよ、ああいう人にお金を上げては。どうせウソなんですから」
「ウソなんだ」僕はその乞食が色んなテーブルを廻っているのを見た。確かに誰もお金を上げている人はいなかったが、既にそのみすぼらしさだけで小銭を貰うに値しているような気もした。
ウェイターがやって来てバター茶のお代わりを我々のカップに注いだ。タニアがミシャラクと言った。ネオミが煙草を取り出して火を点けた。大柄なネオミが足を組んで煙草を吹かす様はなかなか様になっていた。ネオミは決してタニアのような美人ではないものの、軍の幹部の娘と言うだけあって着ている物や立ち振る舞いに、やはり一般のカスミア市民とは違う何かを感じさせるものがあった。
「ところでさっき言っていたダメになってしまうって?」僕はタニアに聞いた。
「ダメになってしまう?」タニアが聞き返した。
「先進国の製品を受け入れるとダメになっちゃうって言ってたでしょう」僕は聞いた。
「はい、そうなのです。そうすると、サルキアもカスミアもなくなってしまいます。そこには先進国の一つのマーケットが残るだけです」タニアが続けた。「冷戦終了後、東欧や中欧の国がどのような運命を辿ったかご存知ですか?」
「資本主義が導入されて自由になったんじゃないの?」僕は答えた。
「その通り、経済的に自由になりましたが、同時に貧困の自由も手に入れました。ソ連頼みの計画経済をやっていた幼子が突然都会の雑踏に放り出されました。農産物も自動車も電気製品も、西側諸国の製品に太刀打ちできません。その結果いくつかの国内の産業が壊滅し、皆西側に出稼ぎに行きます。そうなると何が起こるかわかりますか?」とタニアが言った。
「子供と暮らせない親、親と暮らせない子供が増えます。つい先月ルーマニアでは12歳の子供が首を吊りました。母親と離れる事に耐えられなかった、というのがその理由です。もちろんそういうことを世界の潮流と、仕方ないと割り切る事も出来ます。また一部の人、医者など特殊技術を持った人は国外で職を得てもっと良い暮らしをしています」タニアは続けた。
「サルキアも同じです。先日景浦さんがご覧になったように、農民の出稼ぎが増えています。実のところは亡命も多く、政府も人口流出に頭を悩ませています。さっきのような乞食が増えました。厳しい暮らしが続いて、国に尽くすという事を忘れてしまったのかもしれません」タニアは一瞬本気で国を憂う表情になりそうになったが、顔を上げて毅然と続けた。
「だからこそ、サルキアは普通の人々の生活を守る事を選びました。21世紀に入り、サルキア政府は保護政策に転換しました。国内生産、国内消費。レアメタルの輸出。この3点がポイントです。生産も消費も国内。現在ではロシアなど一部の友好国の製品を除き、輸入品の関税は原則として500%です」
「500%、それはすごい」僕は驚いた。「それじゃあ誰も外国製品なんて買わないし、国内生産だから雇用も守られるわけだ」
「確かに一般庶民や、農民の所得は低いです。でも、一応働く場所はあります。それに人件費がもし壁の中と同じになってしまったら、商品が値上がりし、誰も国産の物を買わなくなってしまいます」タニアは続けた。
「基本的にサルキアの国民は多少不便でも、多少格好悪くても、我々は国産の製品を使います。我々の国のレストランに行きますし、サルキア製の車に乗り、サルキアの煙草を吸います」そう言ってふとタニアは目を細め、遠くを見やった。視線の先には教会の塔しか見えなかった。実際にその塔を見ていたのかもしれない。
「でも、僕は経済に詳しくないからわからないんだけど、そういうビジネスモデルはうまく行くのかな?」僕はタニアに尋ねた。「その、全部国内で生産と商品をするというやり方が」
「私も経済には詳しくないのですが」そう言ってタニアは久々に笑顔を見せた。「政府機関やエコノミストや国のために導き出した方針です。私たちはそれを信じて付いていくしかありません。確かにルイヴィトンやアイフォーンはもてないけれど、それで生活が出来なくなるわけではないですから。」
「なるほどね。たしかに、それはそうだ」僕は相槌を打った。

 秋の陽が落ち始め、教会の長い影が広場を覆いはじめた。時折秋とは思えない鋭く冷たい風が吹いた。秋の退場を今かと待ち受けているサルキアの冬が、舞台の袖からいたずらに我々に吐息を吹きかけているようだった。
「そろそろ食事にでも行きましょうか」タニアが言った。「大分風も出てきましたから」
3人で並んで大通りを歩いていると、不意にレクサスのセダンが僕らのすぐ目の前を通り過ぎた。
「タニアさん、今の車は?」僕は驚いて尋ねた。
「あれは、軍の車です」タニアが答えた。
「あれ、軍の人は外車に乗るの?」
「軍の人はお金持ちですから」タニアは少し気まずそうに答えた。僕はネオミの方も見てみたが、特に気にする表情ではなく、この国では数少ない携帯をいじっていた。しかも僕の旧式のモトローラとは全く違う、大きな液晶のスマートフォンだった。今度は我々のすぐ傍を馬車が通り過ぎていった。乗り合いらしく、中に座りきれなかった家族が後ろの荷台に腰を下ろしていた。また鋭い風が吹き、僕は肩をすくめてポケットに手を突っ込んだ。
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