貴族のお嬢さん・・・

文字数 2,353文字

 その頃僕らは暇があると繁華街の広場から路地を少し入った、運河沿いのクラブ「スミット」に入り浸り、夜な夜なこんな話ばかりをしていた。スミットは食事と酒と音楽の他に、少しチップを弾むと店員の女の子が席に加わり、話の相手をしてくれる店だった。そんなわけで行けば誰かしら交流大使の面子がいて、お気に入りの子を相手に覚えたてのサルキア語を披露する姿が見られた。(一番よく見たのはアメリカ人のサムとフランス人のドミニクのコンビ。サムの声が大きいのですぐ分かった。シンガポール人のスティーブンも一度一人で来ているところを目撃したことがあるが、声をかけると「あくまでも音楽が聞きたかったのだ」とムキになって主張した。イタリア人のトッティは店でガールフレンドを作ったらしく、宿舎に帰らずもっぱらスミットで寝泊りしているらしいという噂であった。)当然僕とクリスもその例に漏れず、映画や小説の話に飽きると、誰かしら女の子を誘い、サルキア語の更なる習得に努めた。
 スミットは基本的に外国人相手のクラブだったが、中にはサルキア人の客も少なからずいた。先進国と変わらない身なりの若者達も多く、彼らは決まって奥のVIP席の紺色のソファに陣取り、普段決して店頭では見ないシーバスリーガルやブーブクリコなどを飲んでいた。一般のカスミア市民にとっては決して安い店ではないので、不思議に思い後日タニアに聞くと、皆政府や軍関係の子女だという事だった。一度などはネオミが友達といるところにばったり出くわしてしまったこともあった。ネオミは我々の姿を認めるとわざわざVIPシートからこちらのテーブルに挨拶に来てくれたので、僕はクリスを紹介した。
「初めまして。ネオミ・ハイアートと申します」
ネオミは両手を胸の前に合わせ、軽くお辞儀をした。僕はネオミのそんなお辞儀を見るのも、フルネームを聞くのも初めてだった。
「初めまして。クリス・ヴァルマンです。カスミア貴族の令嬢にお目にかかれて光栄です」
クリスも大きく腰を折り、馬鹿丁寧に挨拶をした。それから我々は友好のしるしとして、サルキア流に3人で1杯ずつウォッカを飲んだ。ネオミは僕よりも遥かに上手に英語を話し、僕はいつものように途中から話についていけなくなった。カナダについての話、最近の交流大使の話題、サルキアやカスミアの感想など・・・一しきりそんな話題が一巡したようで、話が切れたところでネオミが「それではお二人様、失礼します」とまたお辞儀をして仲間達が待つVIP席に戻っていった。
 クリスはネオミが席を立つやいなや「彼女、ユウタの世話役なのか?」と聞いてきた。世話役はタニアで、ネオミはただの研修生だと答えると、クリスは「なるほど、そりゃそうだ。貴族のお嬢さんが世話役なんかやるわけないな」と一人納得した。
「なんでネオミさんが貴族だってわかったんだ?」僕はウェイターを呼んでビールを二本頼んだ。
「名前が2つしかないだろう。ネオミ・ハイアートって。一般のサルキア人は3つあるから」クリスが説明してくれた。確かに、タニアの名前はタニア・グルニカ・ハンセルである。他のサルキア人もはっきりとは覚えていないが、たいてい父方の姓、母方の姓、そして自分の名前の3つの名前を持っていた。貴族だけが父方の性と自分の名前を名乗るのだというクリスの説明を聞いて、僕は意外とクリスもサルキアについて勉強している事に驚いた。
「しかし、気品のある子だったな」クリスが新しいビール瓶を揺らしながら言った。「そうか?」普段のネオミの様子を知る僕は同調しかねた。
「どちらかって言ったら、タニアさんの方が貴族っぽいぜ。この前会っただろう、空軍の慰問交流会で」と僕は言った。
「タニア?・・・ああ、あの髪の黒い子か。確かに、彼女も美人だったな。悪くない」とクリスが言った。
「だろう」クリスもタニアを誉めたので僕は少し嬉しくなった。

 それからしばらくして我々は店を出た。帰り際にVIP席を覗き込み、ネオミと他のメンバーに「マクシミセス」と声を掛けた。ほかの女性達は軽く会釈をしてくれたが、奥に座った男性グループ達は無言でこちらを見ているだけだった。当然ながらネオミが僕達にお別れのキスをすることもなかった。
「サルキア人は外人が嫌いなのかな。あまりウェルカムな感じがしない」帰りのタクシーで僕はクリスに言った。
「確かに保守的というか、閉鎖的だよな。外人を避けている感じがある」クリスは僕の意見に同意した。「多分、あまり外国人と接触しないように教育されてるんじゃないかな」
「何のために?」僕は聞いた。
「分からないけど、ビザのややこしさや、外人の少なさから考えて、フリーに外国の人間を受け入れているとは思えない。外国の資本が流入する事を制限するように、人や文化についてもバリアを設けているように感じる。逆に、だからわざわざ俺達みたいな交流大使が来て、公式に接触の機会を設けてるんだろう」とクリスが言った。
「なるほど」僕はその説明に納得した。
 サルキア生活が充実していく一方、カスミアの街は僕が来た時よりも少し雰囲気が変ったように感じた。まず街に軍服を着た将校が以前よりも増え、それに比例しカスミア防衛隊の兵士に尋問される機会も増えた。交流大使証明を見せれば何も問題はないのだが、銃を背負った兵士に呼び止められるのはなかなか慣れない経験だった。彼らの多くは星が一つだけの若い兵士達だった。彼らは僕がIDを見せると途端に長靴の踵をカチンと合わせて敬礼をするので、街中では度々気恥ずかしい思いをした。また勉強の為に見ていたテレビの娯楽番組やドラマの数が減り、代わりに政府ニュースや「明日のサルキア」といった広報番組が増え、大統領の姿を見る機会が増えた。
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