自己紹介・・・

文字数 3,885文字

「景浦裕太と申します。景色の景に浦島太郎の浦です。今年31歳になります。独身です。家族は両親と妹。仕事は、情報システム会社に勤めていましたが半年程前に退職しました。恋人は1年前に別れて以来いません。」
 アニヤのメモを取る手が止まった。退職か恋人と別れた理由を聞かれるのかと身構えたが、質問はなかった。「続けてください」
「出身は神奈川県横浜市。人からはいいところだと言われますが、私の家は平凡な、完全な郊外でした。チェーンのショッピングモールとファミレスとカラオケ、パチンコ屋くらいしかないところです。小学校から高校まで市内の公立校に通い、一浪して東京の私大に進学しました。専攻は民族学です」
「存じ上げております。××大学の宮田教授のゼミを取ってらしたんですね。サークルや部活動などの団体に属していましたか?」アニヤが尋ねた。
「小学校、中学校は野球をやっていましたが、自分の才能に限界を感じてやめました。高校、大学では特に部活はやりませんでした。また元々団体行動もあまり好きではないので、サークルにも入りませんでした」と僕は答えた。
「趣味は何かありますか?」
「一般的な答えですが、旅行と読書が好きです。あと野球観戦も」この答えについては適当か分からず、僕の声は少し小さくなった。
「旅行と読書について具体的に教えてください」アニヤがメモを取りながら尋ねた。僕はここがポイントと見定め、気持ち声を大きくして続けた。
「旅行は、あちこち放浪するのが好きでして、東南アジア、ヨーロッパ、アメリカをぶらぶら移動しながら滞在したことがあります。一都市にとどまって名所を観光をするよりも、それぞれの国、都市の様子を観察するのが好きなんです。特にその国の一般の人がどのような生活をしているのか垣間見るのが好きです。東南アジアはバンコクからボロブドゥールまで、ヨーロッパはベルリンからリスボンまで放浪旅行をしました。アメリカでもロスからラスベガスまで車でドライブしたことがあります。一箇所に腰を落ち着けるのも一つのスタイルですが、私は限られた時間で、様々な場所を渡り歩く事でより多くの知見を得られると考えています。一番最近ではエストニアに行きました。コミュニケーションについては、英語はまあまあ話せますし、外国人と仲良くなるのも苦手ではないので、わりと国際的な感覚はあるほうだと思います」
「分かりました。読書はいかがですか?」
 旅行の件をあっさりと切り上げられ、僕は少し拍子抜けした。
「読書は・・・海外文学が好きです」と僕は言った。
「好きな作品を3つあげてください」
少し考えてから僕は答えた。
「ヴォネガットの『母なる夜』と、ドストエフスキーの『賭博者』と、J・G・バラードの『楽園への疾走』です」僕は人から聞かれたときのために用意していた3つの作品の名前を挙げた。するとアニヤはさらに「あと3つ挙げてください」と言った。
「ええと、グレゴリー・マクドナルドの『ブレイブ』とR・マキャモンの『遥か南へ』と、ハドリー・チェイスの『プレイボーイスパイ』です」少しつっかえながらも僕は答えた。
「日本の作家はどうですか?東野圭吾とか、浅田次郎とか、村上春樹とか」
「村上春樹は少し読みますが、他は読んだことがありません」
「新聞は読みますか?」
「一応日経と、時々朝日か読売を読みます」

 そこでアニヤの質問は途切れた。果たして自分の答えがどのように受け取られているのか、僕には全く想像がつかなかった。状況からして、なるべく多く喋った方が得策と感じ、僕は自ら紹介を続けた。
「えー、性格は温厚なほうだと思います。人に対して攻撃的になることはあまりありません。身長は175cm。体重は70kg。学生時代は60kgでしたが、この10年で10kg増えました。お酒はビールを良く飲みます。タバコは普段は吸いませんが、飲み会などでたまに吸います」
 僕はここまで喋ったところでアニヤのメモを取る手がほとんど動いていない事に気づき、不安に駆られて話を続けた。
「血液型はO型。星座は天秤座。犬と猫とどちらが好きかと言えば、犬派です。結婚願望は、そんなに強くありませんが、自分の子は見てみたいです。小説だけでなく、映画や漫画も好きです。好きな映画は『アメリカンビューティ』と『ブレスレス』、『ブギーナイツ』など。ファッションにはあまりこだわりません。高いブランド品にも興味はありません。好きな食べ物は寿司とラーメン。ですが嫌いな食べ物はラーメンの中のメンマ・・・」
「分かりました。ありがとうございました」アニヤが手を振り、半ば強引に僕の話を遮った。僕は慌てて口をつぐんだ。
「ちょっとお待ちください」アニヤは再び面接のシートに何かしらの記述を加え始めた。僕は不安な心持ちでその姿を眺めた。しかめ面でペンを走らせるアニヤの表情からしても、先程の自己紹介の感触にしても、状況が自分にとって有利な方向に進んでいるという兆しは感じられなかった。アニヤは淡々とメモをとりつづけていたが、ふとバインダーから顔を上げて僕の方に向き直った。
「ここからは私が景浦さんに質問します。それぞれの質問に対して、簡潔に答えてください。なるべく簡潔に、一言でも構いません。よろしいですか?」
「はい」僕は答えた。
「まず、ここ1年間、政府関係の業務を委託されたり受注したことはありますか」
「ありません」
「ここ10年間、本籍地に変更はありますか」
「ありません」
「次に景浦さんの両親について教えてください。あなたのお父さんとお母さんはどんな方ですか?」
「両親ですか・・・普通の、普通の両親です。優しい時もあれば厳しい時もありますし・・・」
「簡潔に」アニヤの目つきが厳しくなった。
「ええと、父親は繊維メーカーのサラリーマン。最近リタイアし、関連の子会社に再就職しました。母親はパートをしている兼業主婦。一般的な価値観を持った、普通の、日本の両親です」と僕は答えた。
「お二人を尊敬していますか?」とアニヤが聞いた。
「尊敬しています」と僕は答えた。
「分かりました」
 僕は脇の下に汗が流れるのを感じた。つい最近の就職活動の感触がよみがえった。
「仕事を辞めた理由は何ですか?」とアニヤが聞いた。
「退職の理由は、仕事の内容と自分の役割に疑問を持ち、それによってモチベーションが・・・」アニヤの目がまた光った。
「自分の仕事に興味をなくしたからです」僕は素直に答えた。
「分かりました」この回答がプラスに働くのかマイナスに働くのか、これについても全く検討がつかなかった。
「今現在、あなたは人生に希望を持っていますか?」とアニヤが聞いた。
「持っていません」自分でも意外なくらい、僕は即答した。
「では、人生におけるロマンスを信じていますか?」
「ロマンス?」僕は聞き返した。
「何でもいいです。何か素敵なことが、自分に起きるのではという望みがあるかということです」
「信じています」僕は答えた。アニヤはメモを取り続けた。しばらく間を置いてから、アニヤは次の質問をした。
「あなたは自分の国を、つまり日本を愛していますか?」
今度は少し考えてから答えた
「はい、愛しています」。
アニヤは僕の答えを聞いてまたメモを取った。
「はい、これで最後です。あなたは日本のために死ねますか?」
僕はまたしばらく考えてから答えた。
「死ねません」

 アニヤは最後の記述を終え、それからしばらく考え込んだ。目の前で採点されるのも落ち着かず、僕は所在無く深呼吸をした。窓の外は大分暗くなり、森は黒いカーテンのように公園を覆っていた。池の水面には灯がいくつか揺れていた。森の奥には霞ヶ関のビル郡がそびえたっている。昔政府関係の入札があり、僕はその幾つかのビルに入ったことがあった。今の気分はなんとなくその時に似ている。ちなみにそのプレゼンの結果は×だった。アニヤが書類から目を上げ口を開いた。
「それではこれで面接は以上です。結果は後日私の方からご連絡しますのでお待ちください。連絡先はこの携帯でよろしいですか?」
「はい、090-***の携帯で結構です」僕は面接と質問が終ったことを知り、少しほっとした口調で答えた。
「何かご質問はありますか?」アニヤが書類を揃えながら言った。
「面接の結果はいつ頃出るんでしょうか」僕は訊いた。
「合格の場合のみ、一週間以内にご連絡差し上げます」とアニヤは答えた。
「応募者は僕のほかにもいるんでしょうか?」僕は訊いた。
「います」アニヤは答えた。
「あのう、何人ぐらいいるんでしょうか」僕は勇気を出して更に聞いた。
「そうですね、景浦さんを含めて30名ほどです」
 自分がリクルートされた今回の経緯を振り返り、どうしたらそれだけの応募者を集められたのかと僕は驚いた。タニアが各大学や学会のパーティにせっせと顔を出しているのか、アニヤも協力しているのか。それとも日本には僕の知らない強力なサルキア人のネットワークがあるのかもしれない。そんなことを考えているとアニヤが「他にご質問がなければこれで」といって席を立った。僕も席を立ち、個室を出た。オフィスでは先程のネオミという女性がデスクに突っ伏して寝ていたがアニヤは特に注意する事も無く、僕を玄関まで連れて行った。事務所を出る時にもう一度振り返ると、ネオミがこちらを見ていたので僕は慌てて眼をそらした。
 夜の街には公園から湿った風が吹いていた。ビルから内幸町まで歩く間、じわじわと熱気が僕の体を包んだ。飲んだビールがすぐさま汗になるような、そんな日本の夏の夜だった。
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