京都の山寺と安息生活・・

文字数 2,145文字

 退職から一週間後、僕は京都の山寺にいた。実際には31歳で仕事を辞めた人間が出来る事は限られている。しかし自分を切り売りしてあくせく働き、安月給をもらって安酒を飲むような生活にはもうこりごりだった。これからは自分らしい、自分しか出来ない仕事をして、自分だけの人生を歩もう。そのためにはまず、自分が今後進むべき道を定めなくてはいけない。そう決心した僕はネットで宿坊を探し、自分と向き合うチャンスを得るために京都へと向かった。
 新緑の寺には僕と似たような思いを抱える人達が何人か泊まっていた。離婚したばかりの中年の女性、株価の暴落で財産を失った中年男性、生まれてから一度も働いた事の無い、僕と同年輩の男性、他人と一言も口を利かない元ヤンキー風の女性など。その1週間、我々はひたすら心を空にする事に努めた。一日の大部分は座禅を組み、質素な三食の食事を食べ、朝には境内や本堂を掃除した。携帯も持ち込まず、PCもテレビも見ない。ただ自分だけを見つめ直す7日間だった。そんな静かで張り詰めた生活を送っていると、日ごとに景色が変わって見えるようになり、最後の日には目に映るもの全ての透明感が増し、何もかもが美しく見えるようになった。日の光も今までとは全く違った、とても優しく力強いものに見えた。毎日使っていた掃除のバケツですら、何か深遠な示唆に富んだ、かけがえのない大切なものに感じて、僕はその前に正座して祈ったほどである。バケツのために祈れば祈るほど、自分自身も浄化されていくような気分になった。
 寺を出るときには離婚の傷を抱えた中年女性も、財産を失った男性もみな心なしか来た時よりも穏やかな顔になっていた。働いた事の無い男性は、戻ったら一番にハローワークに行くと我々に約束し、ヤンキー風の女性は寺の門を出るなり泣き始めた。理由は今までの人生と別れを告げる事ができた気がするからだという。我々もその姿につられ、涙をこぼした。
 つかの間の同志たちと別れ、東京に帰る新幹線の中、僕は缶のスーパードライで一人乾杯しながら、山並みに沈む夕陽を見ていた。空は薄いレースのようなオレンジ色に染まり、暮れていく山里にはぽつんぽつんと家の明かりが浮かんでいた。山の稜線は次第におぼろげになり、オレンジ色のレースは次第にブルーの闇へとその姿を変えていった。その景色も僕の胸を強く打ち、心は久しく感じたことのない充実感に満たされていた。

 しかし幸先よく人生のリスタートが切れたと思ったのも束の間、数日後、僕は早くも一つの強烈な挫折を味わう事となった。その挫折とは、現実的にこれからの将来について、全く展望が描けないことであった。京都の山寺であれだけ尊い時間を過ごしたにも関わらず、自分が何をすべきか、何に人生を賭けるべきかという答えは降りてこなかった。確かにバケツに向かって祈りを捧げる清らかな心は得られたのだが、かといって残念ながら聖職者になる選択は僕には無かった。僕は真剣にその理由について考えた。何がいけないのか?何故、僕は、自分のしたい事が見つけられないのか?僕はその問いに対し、一つの結論を導き出した。心が、10年間のサラリーマン生活で完全に磨耗してしまったのだ。夜のカラオケで歌う古いヒットソングと、休日の接待ゴルフが僕の何かを損なってしまったのだ。自分の道を見つける瑞々しい感覚は、殻に閉ざされた、古びてしまった心の奥にある。心身ともに休め、本当の自分の感性を取り戻すことが、再び人生の目標を見つけることにつながる。つまり今の自分に必要なのは安息の日々である。

 答の前の答を得た僕は、早速自分のイメージする「安息生活」を開始した。朝は眠りたいだけ寝て、夜は寝たいときに寝る。日中は漫画喫茶に入り浸り、小さい頃に読んだ漫画を読み返した。漫画に飽きると映画館へ。当てずっぽうに一日一本、そのうちに二本ずつ見るようになり、そして見るそばからストーリーを忘れていった。たまに古い友人や前職の同僚と飲むこともあったが、僕はそれよりも一人で過ごすことを好んだ。そのうちに街に出かける事も億劫になり、僕の行動範囲はコンビニと漫画喫茶で完結するようになった。そんな生活を送るうちに、まずは時間と曜日の感覚があやふやになり、風呂に入らない日も増えた。次第に昼夜が逆転し始め、眠れない夜も訪れ始めた。眠れない夜には本を読んだ。退職と同時に読みたいと思っていた本をアマゾンで買い揃えていたので読むものには困らなかった。
 この時期に読んだのは学生時代に読み漁った外国文学である。ヴォネガット、ドストエフスキー、J・G・バラード、ウォルター・モズリイ、ロバート・マキャモン、グレゴリー・マクドナルド、ハードリー・チェイス・・・どの作品も今読むと学生時代とは違う、また新たな一面を僕に見せてくれた。まるで卒業して数年経ってから一緒に飲んだ高校の先生が意外と話せる奴だったというような具合に。深夜の読書を始めて、日にちと曜日の感覚は完全に失われた。たまに鏡を見ると少し肌が緩んだような気がした。そんな弛緩した生活を再び引き締めてくれたのは、僕の生活に現れた新たな闘いである。それは世界共通、人類の普遍的闘争。銀行の預金残高との闘いだった。
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