大義は個人に勝る・・・

文字数 5,030文字

「暗いままでいいかな。あまりおおっぴらな面会じゃないもので」とアニヤは言った。
「かまわないですよ」僕は暗闇の中で答えた。
「まず状況を説明しよう」アニヤは話を始めた。「結論から言うと、我が国は生き残るために鎖国を選んだということだ」
「それは、知っています」僕は答えた。
「その目的は、もちろん国を守るためだ。商売上手の先進国に搾取される事無く、下品なグローバリズムに飲み込まれる事無く、サルキアは内需完結を目指し、まっとうな世界を独自で築いていく。それが、我々の、新しいサルキアのビジョンだ」
「なるほど・・・でも、それで本当に国家が成り立つんですか。他の国と一切交流をもたないだなんて、想像できない。第一貿易はどうするんですか」僕ははやる気持ちを抑え、周辺的な質問をした。
「世界がサルキアしかなくなったと思えばいいんだ。当然物資は多少質素になるだろうけどね。幸いサルキアは農業国だし、人口もそう多くは無い。贅沢を言わなければ、国民が飢える事は無い。まあ、外貨についても全くゼロというわけではない。鎖国をしていても外貨を稼ぐ方法は、何かしらある」アニヤ僕の焦りを知ってか知らずか、ゆっくりとした口調で答えた。
「例えば、中国とロシアに資源を裏で供給するとか、ですか」僕も我慢強く質問を続けた。
「それはご想像にお任せするよ。いずれにせよ、我々は先進国の作ったルールとフィールドから抜ける事にしたんだ。トヨタとマクドナルドとアイフォーンで出来た世界とはお別れ、ってわけだ。英国風に言えば栄光ある孤立だし、日本風に言えばサコク、ということだね。まあ言ってみれば、社会主義に続く大いなる人類の実験がもう一つ始まるということだな」そこまで言ってアニヤは言葉を切った。暗闇の中でもいつものアニヤとは違う、機嫌の良さが伝わってきた。
「なるほど、わかりました。偉大な実験、うまくいくといいですね、がんばってください・・・ところで」
「分かってるよ」僕が聞く前にアニヤが答えた。
「分かってますよね、僕が聞きたいこと」
「もちろん」
暗闇でアニヤが一つ咳払いをした。
「通達を出した日から、一両日中に外務省に帰国申請を出せば出れたんだが」
「出れたんだがって、どういうことですか」僕は尋ねた。
「うん」
「ひょっとして、もう、その申請は締め切られてるんですか」
「申し訳ないが、そうなんだ」とアニヤは答えた。
「そうなんですか、え、なんていいました?締め切られてるの?」
 暗闇の中で発したその声は自分の声に聞こえなかった。まるで夢の中で話をしているみたいだった。
「おかしいですよ。僕は毎日会館の掲示板を見ているし、手紙も何も届いていなかったし。タニアさんもネオミさんも教えてくれなかったし」アニヤのシルエットに向かって僕は喋り続けた。何か言葉を発していないと時間が止まってしまうような錯覚に陥っていた。
「いつなんですか、それ。ちょっと説明してください。いつそんな通達があったんですか」
「5月の第三週の土曜日だよ」とアニヤは言った。
「えっ?」
「君が、タニアと郊外に出かけた週末だよ」
 僕はその一言に、槍で心臓を一突きされたような衝撃を覚えた。何も言葉が浮かばなかった。ただアニヤのシルエットを見ながら、そのままベッドに横になった。

「君のサルキアでの生活は保障する。一生食うには困らない。それは約束するよ」永遠に続くかと思った沈黙を破ってアニヤが言った。
「僕を、わざわざサルキアに閉じ込める狙いは、一体なんなんですか?」僕は辛うじて質問をした。アニヤは少し黙ってから言った。
「鎖国で一番弱いのは、外国人がいないことだ。経済もそうだが、人種が完全に固定される事は非常にリスクがある。だから我々は入念に準備をした。ありとあらゆる国の人間を集め、その思考回路から行動様式まで、全てデータに落とし、解析した。いや正確に言えば解析中だ。一番新しいサンプルは最近取り終わったばかりだから」
「僕達の事ですね」と僕は言った。
「そうだ。ただし我々としても鎖国した早々に国際紛争は避けたいから、強引に拉致したわけではない」アニヤは言った。
「各国の交流大使たちは、自発的に集まってきた、そういうことですね」と僕は言った。
「その通り。結局残った外国人は君と、カナダ人のクリスだけだった」とアニヤは言った。
「らしいですね。」
「他は皆帰った。アメリカ人も、フランス人も、ドイツ人も」
「シンガポール人も」と僕は言った。
「そう、シンガポール人も」とアニヤは言った。
「でも、さすがに日本人とカナダ人だけで、人種の多様性が保てるとはいえないでしょう。そもそも。拉致、じゃないですね、人材を確保するなら、科学者とか、もっと優秀な人たちが必要なんじゃないですかね」
「そのあたりはもう足りているんだ」
「足りてる?」
「既に数年前から科学、政治系の知的人材の確保は進めていた。皆政府機関に勤めてもらっている」
「じゃあ彼らも、閉じ込めたわけですか」
「その逆だな。実に自発的に、サルキアに残ってくれた。もっとも君ほど若い人間はいない。みな、自国でリタイアした人々だ。しかも、現役中に陽の目を浴びることの無かった人達ばかりだから、逆に自分達の知識や技術が評価され、存分に腕がふるえることを、大変喜んでいる」
「その人達はともかく・・・僕を閉じ込めて、一体何の得があるんですか。こんな、ただの日本の一般市民を」僕は尋ねた。
「君に関しては唯一、鎖国経験のある国の人間だ。鎖国が将来的に、その子孫にどういう影響を与えるのか、これは我が国にとって非常に重要なテーマだ。そういう意味でも、君の存在価値は高い」とアニヤは言ってから、もう一言続けた。「もう一つ。君は、祖国や秩序に命を捧げる国の国民だ」
「僕は、それは出来ないと、面接の時に言いましたよね」僕は言った。アニヤは少し間を置いてから言葉を続けた。
「災害が起きて暴動を起こさないのは日本人だけだ。君はその理由を知っているか」
「さあ、わからないですけど」僕は答えた。
「その理由は、もちろん礼儀正しく、和を重んじるからだ。君達日本人はどんな状況でも他人を思いやり、トラブルを起こさない忍耐力を備えている。でもそれだけではない。そもそも君達は、暴動を起こさないように遺伝子から、幼児期の教育から、プログラミングされているからだ。長い歴史で市民革命がないのは言わずもがな、先祖代々個を集合の一要素と考え、その集合がうまくいくことを第一としてきた。それは武家統治でも天皇統治でも変わらない。いつでも村八分の精神だ。つまり君達日本人においては集団が個によってなされるのではない、集団のために個があるのだ」僕は黙ってアニヤの話を聞き続けた。
「ではその集団とは何か。それは家庭であり、学校であり、会社であり、社会であり、ひいては国家である。国や社会が円滑に進んでいくために、個を捨てられる人種、そんなサンプルが欲しかった。それこそが新生サルキア国が必要とする、理想的な人格だからね」
 しばらく黙ってから僕は言った。
「個とか集団は、よくわからないですけど、もし僕が自殺したらどうするんですか」
「仕方がない、代わりを探しにいくさ。またいささかコストがかかるが」
話はそこで止まった。僕はそれからしばらく何も言葉を思いつかなかった。僕の意思を超えたところで、僕の処遇は決定していた。想像も付かない人々が、理解できない理由で僕の価値を見出し、僕をここに引きとめようとしている。それは並大抵のことでは変える事が出来ないことであろうと判断した。はたして僕はあと何年生きるのだろう。30年か、40年か。その時間をサルキアで過ごすという事はどうなんだろう。そもそも、異国の地で死ぬという事はどういうことなんだろうか。何一つ、それに対する答えは思い浮かばなかった。
「もう一つ聞きたい事があるんです」僕は言った。
「どうぞ」
「日本人が欲しかったのは大体分かったんですけど、面接した日本人の中で、何で僕を選んだんですか」
「一つは、君があらゆる面において、日本人的だったこと。これが一つと。後は君の嗜好だな」とアニヤは答えた。
「嗜好?」僕は聞いた。
「まずは君がロマンスを信じていた事。これは君が答えた通りだ。そして常に現実を受け止められず、逃避癖があったこと。それは君の退職後の行動と、面接の回答内容、本と映画の好みなどから分析した。また祖国に命を捧げられない点も評価が高かった。そんな人間でなければスパイにはなれない」
「スパイ?」
「言葉のあやだ。まあ似たようなものかな。君には今後日本関係の資料の分析に当たってもらう。日本が発信する外交情報などの翻訳と、レポート報告をすることになっている」とアニヤは言った。
「とにかく、すぐにでもサルキアに飛べる人間の中では、君がプロジェクトに一番最適な人格だったよ。その点は誇ってしかるべきだ」
「どうでもいいです」と僕は言った。
「君は明後日から政府の宿舎に移ってもらうよ」とアニヤは言った。
「それは、僕の意思は考慮されるのでしょうか」と僕は聞いた。
「残念ながら、されないだろう。まあ深く考えないでくれ。捕虜として強制労働させるわけではない。むしろ日本にいた時よりも、高い地位で働けるかもしれないんだ。希望を持ってくれよ」とアニヤは言った。僕は何も答えなかった。

「さて、そろそろお暇しなくてはいけないが、他にも何か質問はあるかな」とアニヤが言った。暗闇のベッドの中から、僕はアニヤに尋ねた。
「アニヤさんは国を愛していますよね」
「そうだな」とアニヤは言った。
「国のため死ねますか」と僕は聞いた。
「その機会があればね」とアニヤは答えた。
「何故ですか?」と僕は聞いた。
「この国にはトヨタもソニーもない。世界に誇る文化や歴史もない。外国人を呼べる観光地があるわけでもない。仮に明日無くなったって、誰も困らない国だ。だからこそ鎖国もできたわけだが・・・。そんな国に生まれた人間の取る行動は二つ。国を捨てるか、盲目的に愛国を受け入れるか、または、愛するべき祖国を、自分の手で作り上げるか、どちらかさ」
「アニヤさんは後者ですか」
「そのとおり。そのためには多くの人々の協力が必要となる・・・知っての通り、サルキアは住んでみると意外といいところだ。日本に帰りたい気持ちは分かるが、ここは一つ見方を変えてみてくれ。偉大なる実験に参画できるなんて、そうそう得られないチャンスだぞ、分かるだろう?」とアニヤは言った。「少なくとも日本みたいな、終わりかけている国にいては」
「アニヤさん、一言だけ言わせてもらいますね」と僕は言った。
「どうぞ」とアニヤは言った。
「日本に帰れない事よりも、あなたに勝手に自分の人生を決められた事が、腹立たしくてしょうがないです」それは僕の腹の底から出た声だった。
「本当に、それだけが、腹が立って仕方がないです。いくら、自業自得とはいえ」と僕は言った。「むかついて、むかついて、仕方がない」
 アニヤのシルエットは黙ったままこちらを見ていたが、しばらくして口を開いた。
「君は、大義という日本語を知っているね」
 僕はその質問に答えなかった。アニヤは続けた。
「大義は個人に勝る。それが私の考えだ。果たすべき目標に個人の協力は必要だし、犠牲は不可抗力だ。もっと言えば、所詮は競争原理、弱肉強食だ。山に入れば、草を刈って自分の歩く道を作る。腹が減れば木の実や果物を採ることもしかり。運がよければ、鱒や野豚を捕まえられる。しかし誰が草や木の実や、豚や鱒に同情する?スケールを大きくすれば、アマゾンを切り開いてマクドナルドの牧場を作るのも同じことだ。違うか?その点では、私もグローバルエコノミーと同意見だ。君が自分の意思に反してサルキアに残ったとしても、それは大義の前には不可抗力だ。誰もが目的を果たすために、何かを踏みつけることになる。君だって、好むと好まざるに関わらず、君たちの眼に見えない犠牲の上に成り立ったシステムによって、今まで先進国の生活を享受してきたはずだ。そうだろう?」
 しばらくして「それではこれからもよろしく、カゲウラ君」と言ってアニヤは立ち上がった。僕はその言葉にも答えなかった。出掛けにアニヤが一言言い残した。
「タニアを責めないでやってくれ」
 アニヤが部屋を去り、殆どそれと入れ替わりで、タニアが入ってきた。
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