サルキア生活は続く・・・

文字数 2,514文字

 来たばかりの頃は異国を通り過ぎて異次元とも感じていたサルキアだが、住めば都で3ヶ月も経つ頃には町にも慣れ始めていた。まずは生活が安定した事が一番の要因である。午前中は相変わらずダフネ先生とのサルキア語レッスン。めでたく検定の中級を通過し、日常生活では殆ど困らなくなっていた。シャバル、ミシャラク、マクシミセスの3言しか知らなかった時代と比べれば隔世の感である。「バルフラ便利店」のおじさんと世間話もするようになった。
「外国人かい?サルキア語うまいね」とおつりを渡しながらおじさんが尋ねた。
「はい、日本人です」とぼくは答えた。
「日本か!えらく遠いところからきたな。日本に行くにはカスミアからどれくらいかかるんだ?」カウンターで猫を抱いたままおじさんが言った。
「一度モスクワに出て、飛行機を乗り換えるので、全部で20時間以上かかります」僕は文法と発音に気をつけてそう答えた。
「20時間!そんな長いのか」おじさんがそう言って驚いたので、少し長いサルキア語が通じたことが分かりうれしくなった。
「途中で1日休まないとやってられないな。それじゃなかなか祖国に帰れないだろう」おじさんが猫の頭を撫でながら言った。
「そうですね、でも私達は交流大使の間は、祖国に戻りませんから」と僕は答えた。交流大使は原則として1年間の任期中は出国を許されないのでサルキアから離れることはない。
「そりゃ大変だ。でもサルキアもいいところだからな。楽しんでいきなよ」
「ありがとうございます。毎日楽しんでいます」
「貧乏だけどな、いい国だよ、この国は」おじさんが猫の額をつつきながらそう言った。
「そうです、とてもいい国です」と僕は答えた。

 交流大使の仕事も段々と忙しくなり、僕は毎日のようにカスミア大学での日本学の講義に出席した。参加者からの質疑応答は、先日のような想像もつかないものから、一般的なものまでさまざまであった。
今の日本の不況についてどう思うか。
朝の通勤ラッシュにはどのように対応しているのか。
牛丼とマクドナルドとコンビニ弁当ならどれが好きか。
日本人はどうやって他の東アジア人と自分たちを見分けるのか
漢字と平仮名とカタカナ、どれが一番人気のある文字はどれか
銭湯や温泉は何が楽しいのか?(なぜただお湯につかることが娯楽として成り立つのか?)
・・・等々。僕はこの数ヶ月で今まで生きてきた31年分以上に日本について考えた。毎日同じような質疑応答を繰り返すうちに僕の考えも段々とまとまっていき、以前より少しは聡明な人間になった気がした。また日本人でさえあれば誰でも答えられるような質問なのに生徒達や政府の要人や学者が興味深く聞いてくれることに、不思議な充実感を覚えた。

 またカスミア大学でのレッスンだけでなく、政府関係者とのディスカッション、他の交流大使と共同で行う小学生向けの外国フェスティバルまで様々であった。
「カゲウラさんのように、国家に貢献できる人物になるために、我々はどのような心がけをすればよいのでしょうか?」」
 これは政府関連の青少年育成団体である「サルキアの光」のパーティに招待された時に、代表の少年から聞かれた質問である。100人以上の少年達の澄み切った瞳と、KGBのような風体の保護者達の視線を受けながら、なんと答えたものかしばらく悩んだが、以前プロ野球選手が野球教室で話していた台詞を真似て「先生や両親の言う事を良く聞いて、 よく遊んで、真面目に勉強をしていれば、必ず立派な人になれますよ」と答えた。しかし少年は僕の回答に満足していないのか、次の答えを待つかのように立ったまま席に座ろうとしなかった。保護者達も厳格な表情を崩そうとしなかった。少し考えてから、「それと、祖国を愛する気持ちをいつも忘れない事です」と付け加えた。すると少年の顔がパッと明るくなり、「良く分かりました!」と返事をして席に座った。団員の少年達から拍手が起き、保護者達からも手を叩くのが見えた。僕は少しずつ、サルキアの流儀を身に着けつつあった。

 一方冬の寒さは予想以上で、12月にはいると連日マイナス10度を下回る日が続いた。内陸性の乾燥した冷気が容赦なく肌に突き刺さり、生まれて初めて「骨がきしむような寒さ」というものを体感し、自分がいかに温暖な気候で育ったかを痛感させられた。(タニアいわく、サルキアの女性達はみな冬の乾燥に頭を悩ませているということだった)この寒さではパタゴニアのダウンをもってしても防寒は足りず、中にカスミアのデパートで買った羊の毛の肌着を二重に着て、その上にゴワゴワした分厚いセーターを着こんでなんとか寒さをしのいだ。下半身についてはまさに不妊症のリスクに直面するような冷えに襲われ、日本で出発前に買った厚手のタイツは第二の皮膚となって僕の下半身に同化していた。僕は忠告を与えてくれた新宿のビクトリアの女性店員に深く感謝した。
 またこの頃には宿舎の食堂だけではなく、時々地元のレストランに入り、定食とビールを引っ掛けることもあったし、休みの日には路面電車で一人で国民広場に出かけたり、繁華街のカフェに出向く事もあった。またサルキア語の勉強ついでに店員や地元の人と交流するのも楽しみの一つだった。サルキアの人は基本的に人懐っこすぎず、冷たすぎずで、近すぎず遠すぎない距離感が心地よかった。日本人の感覚にあっているように感じたが、考えてみればタニアがまさにそのような性格だったのだ。タニアといると外国人といる気がしないのはそのせいかと、ある日僕は一人で合点が行ったのでその事を言ってみようかと思ったが、要らぬ誤解を招きそうな気もしてやめた。
 ある夜、古い建物が立ち並ぶ運河沿いの並木道を発見し、一人で散歩してみた。運河にオレンジ色の街灯の明かりが落ち、その上にレンガ造りの建物の影が白く凍った川面に伸びていた。僕はその景色を見ながら、一人欄干に身をもたせて煙草を吸った。夜空には輪郭のはっきりした月と、昔学校のキャンプで言った八ヶ岳で見たような星空が広がっていた。僕は夜空と運河を交互に眺めながら、手足と鼻の冷えが限界に達するまでそうしていた。
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