交流大使デビュー・・・

文字数 4,556文字

 カスミア見学から一週間後、ついに交流大使としてデビューする日がやってきた。サルキアの建国記念式典にあわせ、各国からサルキアに来た交流大使の歓迎パーティが行われるとのことだった。僕はいつも通りダフネ先生の授業を終えてからシャワーを浴び、髭を剃り、それから一着だけ持ってきていていたスーツにネクタイを締めた。この日はタニアとネオミの代わりに運転手が一人だけ迎えに来た。僕にも分かるサルキア語で「今日は、私が、あなたを、案内します」と説明してくれた。

 この日の政府庁舎はこの前とは同じ場所とは思えないほどごった返していた。軍服姿の将校、ダークグレーのスーツを着込んだ政府関係者、芸能人と思しき美男美女・・・その雑多な豪華さに僕はしばし圧倒された。政府庁舎のセキュリティは予想通り厳重で、多くの出席者が長蛇の列を作っていたが、運転手が別のエントランスに連れて行ってくれ、交流大使証明を見せるだけで入れてくれた。
 式典が行われるホールはゆうに3000人は入れるかという大規模な造りだった。僕の席はステージの前の楽団席のすぐ前の列だったがどうやらVIP席らしく、落ち着かなかった。また少し遠くに、明らかに外国人と思しき男性が座っていた。彼も僕と同じように居心地悪そうに一人で座っていた。僕は似たような境遇の人間を見つけ、少し安心した。楽団席にはオーケストラのフルメンバーが揃っており、各自直前のチューニングに忙しく、開演前特有の愉しげな不協和音が会場に響いていた。自分の席に座ってサルキア語のプログラムなどを読んでいると不意に声をかけられた。その方を見上げると、アニヤが立っていた。
「早いな。もう着いてたのか」とアニヤが言った。
「はい、運転手さんに連れてきてもらって」と僕は言った。
アニヤは席を下ろしながら「なかなか立派なつくりだろう」と言った。
「確かにすごいですね。劇場みたいだ」
「カスミアではオペラも政府の催しも全部ここなんだ。18世紀の皇帝がウィーンに留学した時に感銘を受け、同じものを作ったんだよ」そういわれて見回してみるとバルコニー席があちらこちらに見えた。
「あのあたりにいるのは君の仲間だ」アニヤそう言って僕がさっき見かけた欧米人の席を指差した。先ほどから何人かメンバーが増えたようだった。「この後のパーティでまとめて紹介しよう」とアニヤは言った。突然シンバルの音が会場に響いた。それから照明が落ち、客席が静かになった。セレモニーの始まりだった。

 オープニングは子供達のマスゲームのようなページェントで始まった。サルキアの少年少女が大勢登場し、歌と踊りを披露した。音楽は基本的にはクラシックだったが、メロディからは微妙にトルコや中近東の旋律を感じ取る事ができた。やがて舞台中央に光り輝く山が登場し、少年少女達は肩を組んで合唱を始めた。すると、突然山が割れて中から石が浮かび上がり、背景に描かれたカスミアの街を照らした。農地は緑に芽吹き、突然群衆の歓喜の声や、牛や馬の鳴き声、そして赤ん坊の泣き声のBGMが劇場に響いた。子供達が舞台の前に出てきて踊りだし、観客に手拍子を求めた。すると軍服や背広姿の人たちが率先して立ち上がり、手を叩き始めた。芸能人風の美男美女達も立ち上がった。僕は少し周りを伺っていたが、アニヤが席を立つのを見てあわてて立ち上がった。
「あの光り輝く石はこの国で採れるレアメタルを現している」アニヤが手拍子をしながら小さな声で説明してくれた。
「やっぱりそうですか。最初はダイヤかなんかかと思いましたけど」僕は答えた。
「あれが我々の生命線だからな」とアニヤは言った。
「ロシアや中国相手に、貿易が盛んらしいですね」僕はインターネットの知識を受け売りで言った。
「あれが無ければ今でもロシアに加盟していただろう」アニヤは舞台を見たまま真顔で言った。

 ページェントが終わると首相が出てきて挨拶をした。「24」にボディガード役で出てきそうな、実直かつ頑丈というような出で立ちの人物だった。挨拶はサルキア語なので詳しい内容は分からなかった。しかし身振り手振りを交えた熱心な演説で、聴衆が真剣に聞き入っているのは感じられた。アニヤも厳粛な顔で聞いているので、通訳を頼むのも気が引けたほどである。万雷の拍手で首相の挨拶が終ると、白と青で彩られたサルキアの民族衣装を着た女性が登場した。彼女がマイクに向かって何事か言うと聴衆がみな席を立ち、左手に胸を置いたので僕も真似をした。それからオーケストラがやや哀愁を帯びたメロディを奏ではじめ、女性が歌を歌った。1番を歌い終わると今度は聴衆が声を出して歌い始めた。こっそりアニヤを見ると意外にも大きな口を開けて歌っていた。恐らくサルキアの国歌だろうと僕は見当をつけた。
 国歌斉唱の後はお偉方のスピーチが続いた。進行は当然全てサルキア語で進むので、次第に会場の暖房にも温められうつらうつらとしていたら、一段と大きな拍手が起きて目を覚ました。どうやらセレモニーが終わったようだった。アニヤは僕の居眠りを知ってかしら知らずか、淡々と「パーティの会場に移動しよう」と案内してくれた。

 舞踏会のホールのようなパーティ会場にはサルキア政府の要人も出席しており、アニヤが早速一人の大臣を紹介してくれた。大臣はアメリカのネオコンを彷彿させるような、猪首の短髪白髪の男で、僕が話すサルキア語を大変喜んだ。
「サルキアの秋は美しいでしょう。いい季節に来ましたな」大臣がゆっくりとしたサルキア語で話しかけてくれた。
「はい、黄金の秋が見られて、私は感動しました」発音に気をつけて、僕もゆっくり返答した。
「それはよかった!私も1997年に日本に行った事がある。とても、便利な国だった」と大臣が言った。
「どちらに行かれましたか?」と僕は言った。
「いろいろ回った。トーキョーとヨコハマ、ホッカイドー、フクオカ。食事はあまり美味しいと思わなかったが、とにかく便利だった。それに、どの街も楽しかったよ」
「それを聞いて、私は嬉しいです。何が楽しかったですか?」
 僕がそう聞くと大臣は嬉しそうな顔で「ススキノ、ナカス、コガネチョー・・・」と幾つかの地名を口にし、それから大声で笑って僕の肩を叩いた。僕はその衝撃で倒れそうになったが、あわせて笑顔を返した。アニヤも愛想笑いらしき笑顔を浮かべていた。それから握手をして別れた。人間の手とは思えないほど、分厚くがっしりとした質感だった。
アニヤはそれからまた何人かの軍人を紹介してくれた。軍人達はアジアから来た僕に興味を覚えたようで、日本の自衛隊の軍備力を質問してきたり、サルキアの将校は星の数で位が決まると、3つの星をつけていたら将校以上だとか教えてくれた。その後はアニヤが他の国から来た交流大使を紹介してくれた。交流大使は欧米の国が多く、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアといったメンバーが揃っていた。アジア系は日本とシンガポールのみで、更に英語を母語としないという意味では僕だけだった。
 彼らの間では既にウォッカの飲み比べが始まっており、僕は自己紹介の前に1杯、後に1杯グラスを空けさせられた。最初はみな覚えたばかりのサルキア語を使っていたので、その点では僕も臆せずに輪に入っていけそうだった。早速一人の欧米人が話しかけてきた。
「シャバル、私はフランスから来たドミニクです。あなたはどこから来たのですか? 」
「私は日本です。私の名前はカゲウラ・ユウタといいます」と僕は言った。それから各大使が続けざまに僕に話しかけてきた。
「私はアメリカです。アメリカ人のサムです!よろしく!」
「私はミヒャエル、ドイツが来ました」
「私はトッティ、サッカーのトッティと同じ!あなたのサルキア語は大変上手い!」
「ミシャラク、あなたもとても上手いです・・・」
 ウォッカの酔いも手伝い、また建国式典の熱気にも押されて僕らは開放的な気分で交流を進めた。出身国、名前、今住んでいる場所、そしてサルキアでの共通体験など・・・。しかし盛り上がるうちに各国の交流大使たちはサルキア語で話すのが億劫になったようで、次第に縛りを解かれたかのように誰からともなく英語で話し始めた。
「本当!ミヒャエルは***なのか?」サムがミヒャエルに聞いた。
「僕は***だけど、***だったから。ユウタは?」
ミヒャエルが僕に話をふってくれたが、質問の英語が聞き取れなかった。
「ごめん、どういう話ですか?」と僕は英語で聞いた。
「ああ、今はみんなのここに来る前の話をしていたんだ。僕はシステムエンジニアをやってたんだけど、ロシア人の友人から紹介されて、こっちのほうが楽しそうだたから来たんだ」  
 ドイツ人のミヒャエルが僕にゆっくりと説明してくれた。
「ああ、なるほど、僕も丁度良かったんだ。失業中だったから」と僕がそういうと皆が笑った。
「しかし**だし。***だよなー」またサムが何か言った。アメリカ人のサムの英語は一番聞き取りづらかった。
「本当!**で、**だ!なあユウタ!」フランス人のドミニクも僕に何かを言ったが、これも早口なので聞き取れなかった。
「え、何て言ったの?」僕が聞き返した。
「だから、***で、**だって」ドミニクが更に早口で言った。
「サルキア人の子は、なんか純粋な感じがして可愛いって言ったんだよ」シンガポール人のスティーブンが訳してくれた。「ああ、そうだね。俺もそう思ったよ」僕は話題から外れないように、コメントを続けた。
「金がもらえて、住まいもあって、これで彼女でも出来たら最高だよ」
「はい?」ドミニクが聞き返した。他のメンバーにも僕の英語は通じていないようだった。僕はもう一度言った。
「だから彼女でも・・・」
「え?何?」即座にアメリカ人のサムに聞き返された。
「ユウタはサルキアで彼女を作りたいんだって」またスティーブンが訳してくれた。しかし何度か聞き返された後だったので、今度は皆頷くだけで笑いは起きなかった。それからもしばらく英語で話は続き、いつの間にか僕は聞き役オンリーに回っていた。しばらくすると各人席を立ち始め、それぞれ政府関係者と談笑したり、芸能人と思しき女の子にアタックを始めたりして、次第に交流大使グループは分解していった。辺りを見渡すと先程交流の無かったカナダ人のクリスも一人で立っていたので、これはチャンスと話しかけようとした瞬間に彼は軍服姿の将校に声をかけられ、僕はタイミングを逸した。
 気付けば僕は一人、仕方なくサルキアビールの缶を片手に会場の隅に立っていた。僕は手持ち無沙汰になり、何本か無駄なタバコを吸った。パーティはしばらく終る気配がなかった。皆それぞれの仲間やら新しく知り合った友人やらと話に興じていた。アジア人で珍しいと思って誰か声をかけてくれないかと期待したが、見渡す限り僕に興味のある人間はいなさそうだった。ウォッカの酔いも段々醒めつつあった。この前の大学のパーティと一緒だった。日本でも外国でも、結局やっていることは一緒だと、情けない気持ちになり、せめてタニアが僕を見つけてくれないかと期待したが、この日は黒い妖精の代母は登場しなかった。
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