面接・・・

文字数 3,390文字

 パーティから数日後、僕は以前の勤め先の近くにあるサルキア文化交流基金の事務所に向かった。日比谷公会堂の向かい、日比谷シティから霞ヶ関にかけて大きなビル群が立ち並ぶ中、時代に取り残されたような昭和の雑居ビルにその事務所はあった。事務所は入り口にシンプルな明朝体で「サルキア文化交流基金」と書かれた看板がかかっているだけの簡素な構えで、大使館のような構えを想像していた僕は拍子抜けした。ドアは開いていたが一応インターホンを鳴らすと、奥から恐らくサルキア人と思しき大柄な女の子が無愛想な様子で出てきた。アニヤと同様に独特な顔立ちをしていたが、こちらは特段美人というわけではなく、単なる不機嫌そうな白人の女の子という感じだった。
「あの、交流大使の件で伺ったのですが」
 女の子は僕の言葉に答えず、こちらの顔をじっと見ているままだった。
「あの、交流大使、英語は話せますか?Do you speak English?」
女の子はあくまで僕の問いに答えず、不機嫌そうに僕の顔をじっと見ていた。「Today I have an interview here. I would like... 」僕がそこまで言うと女の子はぷいっと背を向け、事務所の奥に戻っていった。僕も続いて中に入ろうかとも思ったが、その広い背中からは無断で事務所に入ったら散弾銃で撃たれでもしそうな緊張感が発されていた。仕方ないので僕は入り口のドアで立ったまま、事務所に招き入れてくれる誰かが来るのを待っていた。しばらくすると上下黒のスーツにノータイという姿の男が現れた。背と鼻が高く、頭は真っ白な白髪。瞳は琥珀の様な淡い茶色だった。
「景浦さんですね?」と男は言った。
「はい、交流大使の件で伺ったのですが」僕は答えた。
「タニアから聞いています、こちらへどうぞ」そう言って男は僕を事務所に案内した。

 事務所は小さな弁護士事務所のようなつくりでデスクが数席に、社長室のような個室が一部屋というレイアウトだった。個室の入り口にかかっているサルキア国の国旗らしきペナントを抜かせば、異国を思わせるものは特に無かった。僕とその男は個室に入り、向かい合わせにソファに座った。続いて先程の女の子が缶のコーラを2本持って入ってきて我々の席に置いた。一応女の子に会釈をしてみたが、女の子は僕を一瞥しただけで、部屋を出て行った。男が「どうぞ」と促すので僕はプルトップを開けてコーラを飲んだ。常温だった。男も口をつけた。そのようにして、我々はしばらくの間黙ってぬるいコーラを飲んだ。それから男が唐突に話を始めた。
「私はアニヤ・グルニカ・ベンゼルと申します。サルキア国政府外交部の職員です、現在は世界各地でサルキアの人的・文化的交流を推進する組織であるサルキア文化交流基金という団体の代表を務めています」
 タニアよりもさらに上手い日本語だった。アニヤ・グルニカ・ベンゼルは名刺を取り出し、僕のコーラの横に差し出した。僕は名刺と男の顔を見比べた。その顔はよく見るとテレビで見る日本語がペラペラのイギリス人に似ていた。
「我々の団体の構成人員は3名。先日お会い頂いたタニアと、つい先ほどお会い頂いたネオミと私です」
 まさかあの無愛想な少女が正規職員とは思わず僕は驚いたが顔には出さなかった。不用意な失礼を働いてせっかくのチャンスをフイにしてはいけない。
「サルキアについての基本知識は御存知でしょうか?」アニヤが尋ねた。
「はい、何となくは・・」僕はそう答えたものの、実際はグーグルで調べても大使館のオフィシャルサイトはおろか、観光紹介すら見つけることが出来なかった。僕はほぼ無知に等しい状況で面接に来た事を少し後悔していた。しかしアニヤは僕の動揺も介さない様子で話を続けた。
「サルキア国は中央アジアと東欧、中央ヨーロッパ及びイスラム圏の中間に位置する国家です。  
日本やアメリカなどの先進国と比べると明らかに小国であり、経済、文化、防衛全て点において発展途上の国と言えます」そう言ってアニヤは立ち上がり、壁にかかった世界地図でサルキアの位置を指し示した。まさにユーラシア大陸の真ん中から少し左に行ったあたりに、僕が行った事も考えた事もないような場所に、ぽつんと赤く塗りつぶされた国があった。アニヤはソファに座り直し、足を組んで説明を続けた。
「以前はソビエト連邦という巨大な存在があり、東欧含め周辺諸国の国情は比較的安定したものでした。またイスラム諸国についても現在のような対アメリカ闘争も盛んではなく、エリアとしてはある程度の平穏が保たれておりました。特に1960年代まではソ連の社会主義システムも比較的順調に推移していたこともあり、当然当時の西側諸国と比べればいくらかの差があったとは言えども、我がサルキアにおいても生活物資が困窮したり、国民への給与が遅配するというような状況はありませんでした。しかしご存知の通り1990年にソ連が崩壊し、ウクライナやバルト三国をはじめ、各連邦内の共和国が独立すると状況は一変します。同じ旧共産圏でも持てる国持たざる国、また西側と近い国、遠い国の格差が生まれ、数々の混乱が生じたことは景浦さんの記憶にも新しいことと思います」
「はい」僕は二度目の相槌を打った。
「当然我がサルキア国としても国家としての生き残りを図るべく、丁度各地域の中央に位置するというロケーションのアドバンテージを生かし、貿易、物流を中心とした経済システムの構築を目指しました。また領土内にレアメタルの鉱山を有している事もあり、鉱業を基礎とした産業は発展段階にあります。さらに旧共産圏としてはいち早く情報化にも着手し、アメリカ人やインド人を初めとした専門技術者を迎え、国を挙げての近代化に図ってまいりました。そして21世紀に入ると・・・」
 果てしなく続くアニヤのサルキア国紹介に相槌を打ちながら、個室の窓に広がる日比谷公園をちらりと見ると、大きな池が視界に入った。昔同僚から聞いたこの池の伝説を聞いたことがあった。この池には主と言われる体長2mの雷魚がおり、1日に1回水面から空中に姿を現し、カラスや鳩を一飲みにしてしまうということだった。僕は10年近くこの公園の近くで働いていたが一度もその姿を見ることはなかった。

「・・・というわけで、現在のサルキアは経済、政治の交流だけでなく、人的かつ文化交流を必要としているわけです。設備や技術などのハード面だけでなく、先進国の本当の意味でのソフト面。言わば先進国の人が考える物事の筋道、価値観といったものを、早急に我々としても取り入れる必要に迫られているわけですが、これはサルキア人が他国に留学したからといって簡単に身につくものではありません。やはりその国の方にいらして頂き、伝えて頂く事が最も効果的なのですが、我が国には先進国の方々が留学や駐在をする目的と言うのが残念ながら存在しません。誰もサルキア語を勉強する必要はないし、サルキアの工業技術を学ぼうとする先進国のエンジニアもいません。また国家政策の都合上、外国企業の誘致を行っていませんので、結果的に外国人がサルキアに訪れる機会は極めて少ないと言えます。これは一つの大きな問題です」そう言ってアニヤは顔をしかめたので、僕も「なるほど」といって難しい顔をした。
「そこで私達のミッションが生まれるわけです。この点はご理解頂いていますよね、景浦さん?」
「ええ、はい」いきなり話が質問調になり、僕は慌てて返事をした。
「肉体的、精神的に健康な方で、自国についてきちんと語る知性を持ち、かつサルキア国に強い関心を抱いていらっしゃる方を、実際にサルキアにお招き頂く事、すなわち『交流大使』をスカウトすることが現実的な私のミッションであります。」
この点はパーティでタニアから聞いた話と大体同じであった。そろそろ始まるなと、僕は心の準備を始めた。それからアニヤはしばらくミッションの意義や尊さについて話していたが、途中一口コーラを飲み、僕のほうを見て切り出した。
「それでは前置きが長くなりましたが、面接に移らせて頂きましょう」
僕は姿勢を正した。
「外国人に日本を紹介するお仕事ですからね。まずはご自身の紹介からお願いしましょうか」
 僕は軽く腹に力をいれ、自分の紹介を始めた。
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