篭城生活・・・

文字数 1,524文字

 生きる事はお金が掛かる。そのために人は働く。しかし現金収入の無い今、当然ながら預金の残高だけが日々減っていくのが現実である。失業手当という手もあるが、今すぐにもらえるものではない。理想的なのは不労所得であるが、残念ながら遺産が転がり込んでくる予定は当面無かったし、投資商品は株券の一枚も、1グラムの金塊も持っていなかった。生活のコンセプトは「安息生活」から「篭城生活」へと変わった。貯金はまだ100万円以上残っていた。幸いな事に僕には扶養家族はおろか恋人もいなかったので切り詰めれば数ヶ月はこの生活が続けられる計算である。時間さえあれば、何かを見つけられるかもしれない。やはり必要なのは時間だ。時間こそが究極のリソース。この世で一番大切なものではないか。
 その真理に気付いた僕は、そのリソースを少しでも長く持たせるために、僕はありとあらゆる分野で倹約を開始した。戦争を控えた主婦のように日用品を買いだめし、近所の安売りスーパーを回った。携帯のプランを一番安いものに変更し、アマゾンや漫画喫茶の代わりに図書館に行くことが増えた。食事は基本的に見切り品のセール弁当。時にはご飯を炊き、茹でたもやしとツナにマヨネーズをかけて済ませる日もあった。外で酒を飲むのをやめ、部屋で発泡酒と紙パックの焼酎を飲む事を覚えた。孤独の中にこそ何か答えがあるはずと信じ、友人とも連絡を取らなくなり、1Kの部屋で一人酔いつぶれることが増えた。まるでポールオースターの「ムーンパレス」の主人公にでもなった気分だったが、しかし残念ながら僕はドラゴンレディにも車椅子の大富豪にも出会うことはなかった。ただ日に日に部屋が汚くなっていった。

 人生探しについて言えば、漠然と興味を持つ仕事や分野はあるのだが、実際にそれに人生を賭けられるのかと自分に問うと、無意識のうちに次の対象を探していた。実際のところ、料理人にも職人にも、またはボランティアといった人達に尊敬の念を抱きこそすれ、最終的に自分自身がそれらに興味を持つことは出来なかった。つまり何かの道一筋に打ち込む人達、特殊な能力で金を稼ぐ専門職の人達に憧れはするが、自分が何の仕事をすればよいのかについては、最後まで答えは出なかった。やりたい仕事をノートに書きとめては消しを繰り返し、最後に残った仕事は、野球選手、映画監督、小説家・・・。改めてそのノートを見つめた僕は、深夜のアパートで一人絶望した。俺は31年間、何を考えて生きてきたのだろう?
 寒風吹きすさぶ極寒の露天風呂でぬるま湯に浸かっているかのような自分がいた。湯はぬるい。今外に出れば凍死してしまう。しかしぬるま湯はいずれ冷水となる。どちらにせよ、後には凍死が待っている。そんな事を考え出すとやり切れない気持ちになり、窓を開けて煙草を吸った。アパートの窓から見上げる荻窪の空には、梅雨の雲が立ち込め始めていた。視界に入る近隣の緑は意外と灰色の梅雨空に映え、住宅街の中で奇妙な立体感と存在感を主張していた。その姿は僕を不安にさせ、僕は窓を閉めた。

 この頃から毎日は驚くべき速さで過ぎていった。何もしていないのに何故こんなに時間が速く過ぎるのかと不思議になるほどであった。本を読むのを止め、暇つぶしにテレビとインターネットを見るようになってからはもうその勢いは止まらなかった。気づけば1週間、2週間という単位で日にちが経っていた。その速度は貯金通帳の残高にも反映され、次第に「社会復帰」という言葉が僕の頭に浮かび始めた。失業手当をもらうにはまだ日数が足りなかった。それでも日々は過ぎていく。そして残高が10万円を切った頃、僕はあっさりと散髪に行き、髭を剃り、職を探し始めた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み