家族との別れ・・・

文字数 2,660文字

 出発前の最後の週末、僕は横浜の実家へ向かった。会社を辞めて以来家族とは殆ど連絡を取っていなかった。半年振りに帰る実家は少し小さくなった気も、大して変わりがない気もしたし、両親もまた老けたような、でも結局は変わらないような様子で、思ったほど感傷的な気分になる事は避けられた。ただし2人目の子供を妊娠中の妹の体は目に見えて大きくなり、4歳の長男の風太も明らかに人間らしくなっていた。この日は和食の食べ納めということで家で寿司を取った。一応自分の壮行会という名目だったが、しばらくは自然と孫の風太が場の中心となり、食後のお茶の時にようやくサルキア行きについての話題となった。

「しかし我が家から外国で働く人が出るとは思わなかったわね」台所で西瓜を切りながら母が言った。
「でも外国ったって、ニューヨークとかパリとか、せめて香港とかだったらかっこいいけど、聞いた事ない国だもんね」フローリングの床の地べたに座った妹の紀子が、育児グッズの通販カタログをめくりながら言った。
「確かにね」母が台所から同調した。大人たちのやり取りに反応し、母親の膝に座っていた甥の風太は「裕太おじちゃん、外国行くの?」とこの日3度目の同じ質問をして、「そうだよ」と僕は答えた。
「とにかく、心配はないんでしょうね」母が言った。
「一応向うの政府に雇われる事になるし、万が一何かあっても政府が身柄を確保してくれるって言ってたから、大丈夫だよ」裕太は答えた。
「なに万が一って、やっぱ危ないんじゃない」紀子がスイカを頬ばりながら言った。
「住所とか、電話番号とかは決まってるの?」母が言った。
「いや、まだ教えてもらってないけど、あっち着いたら分かると思うよ」と僕は答えた。
「メールとかは?普通に出来るの?」紀子が聞いた。
「どうだろう、インターネットは日本ほどは進んでないと思うから分からないけど、まあ連絡するよ」僕は答えた。
「連絡先が決まってないってのは心配ねえ」母が言った。
「ちゃんと確認した方がいいんじゃない」紀子が言った。
それまでソファで新聞を読んでいた父がようやく口を開いた。
「裕太も30過ぎの、大の大人なんだ。そんなに心配する事はないよ」
「まあそれはそうだけど」母が西瓜を運んできた。風太が「スイカ!」と喚声を上げて飛びついた。「ちょっと風ちゃん、待って、手をキレイキレイしてから」母がおしぼりで風太の手を拭いてやった。「フウター、あまり食べ過ぎたらおなか痛くなるからねー、みっつだけだよ」梓がフローリングに寝そべったままの体勢で息子に注意を与えた。母は父にも西瓜をとりわけ、「これお父さんに渡して」と僕に小皿を渡した。
 それからも我々はしばらくサルキア行きについて話していたが、そもそも本人の僕自身がサルキアという国を理解していなかったため、話はあまり進まなかった。両親も息子が一応は新しい職を見つけたということで、基本的には今回の交流大使の件を歓迎していた。母は明らかに孫の行動に感心が行っており、たまに生返事をして父や妹にたしなめられた。
「でもいいよねー」紀子がスイカを食べながら言った。「今は本当厳しいからさ、外国にでも行ってたほうがいいかもよ」
「そうねえ。最近若い人でも失業者が増えてるから」ようやく話に戻ってきた母親が同意した。
「うちの旦那なんか今日も休日出勤だよ。手当ても何もつかないのに。仕事量変わらないのに社員だけ減ってるから残業ばっか」
紀子の夫は食品会社に勤めるサラリーマンであり、この日も販促活動の応援で埼玉のスーパーの店頭に出ているとのことだった。
「まあな、今のご時世どこも大変だ。甘くないよ」30年の本社勤務を終え、今はグループ会社で設備保守の職につく父親も同意した。テーブルでは風太が母親の目をかいくぐり、4切れ目の西瓜に手を伸ばそうとしていたが僕は見逃してやった。
「確かに、転職活動は大変だったよ」僕がそう言うと母が「そうよねー」と口を挟み、パート仲間の長男が数年前に体調を崩して退職して以来職が見つからず、ついには完全に引きこもりになってしまったという話をした。このままでは結婚の可能性もないと、その母親は嘆いているらしい。
「そうだ、お兄ちゃん、そっちでお嫁さん見つけたら」紀子が言った。
「そんな適当な事言っちゃだめよ」母が言った。「外国人たって欧米人とかならいいけど、そんな聞いたこと無い国の人と結婚するなんて、色々大変よ、ねえ?」母は父に同意を求めたが父は答えなかった。
「いいじゃん、どうせこっちにいたって結婚できるかどうかわかんないんだから。前に付き合ってた人、まだ連絡取ってるの?」と紀子が言った。
「取ってない」僕は風太を膝に乗せながら答えた。
「ふうん、一応外国行くんだから電話くらいしたら?あ、わたしもカズに電話しなきゃ」紀子が携帯を取り出し、少し難儀そうに立ち上がった。
「パパ?パパに電話するの?」風太が僕の膝から飛び降りた。
「そう、風太がママとの約束破ってスイカ5個食べたって言いつけるの」そう言って紀子はリビングの隣の和室に入った。「そんなに食べてないよ!」風太も母親を追って和室に入った。父がその様子を見て呟いた。
「すっかり大人だ」
「ねえ、最近まで赤ちゃんだったのに、大きくなるのは早いわ」母も言った。4歳の孫と、来年生まれてくる二人目の孫は目に見えて還暦前後の両親を生き生きとさせていた。僕はそんな両親の姿を見て、少し安心した気持ちになった。

 妹と甥が寝てしまってからもしばらく僕と両親は話をしていたが、11時をすぎたところでそれぞれ順番に風呂に入り、寝床についた。僕の部屋はとうの昔に荷物部屋となっていたため、その日はリビングに布団をしいて寝た。電気を消してしばらくしたところで父親がトイレに下りてきた。そして電気もつけぬまま「裕太」と声を掛けた。まるで小さい頃に父親が帰宅した時のようだった。違うのは僕が寝ているのが子供部屋ではなく、父親が酔っ払っていない事だった。
「裕太」と父が言った。
「なに」と僕が言った。
「お前、本当体だけは気をつけろよ」
「分かった」
「向うで変なもん食ったり飲んだりするなよ」
「大丈夫だよ」
「あと、外国だからってあんまりハメ外すなよ」
「分かってるよ」
「酒も飲みすぎるなよ」
「分かってるって」
「まあな、大丈夫だとは思うけど、まあ気をつけてな」
「ありがとう」
「じゃな、おやすみ」と父が言った。
「おやすみ」と僕が言った。
 暗闇での父と息子の会話が終わり、ほどなくして僕は眠りに落ちた。
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