仕事について・・・

文字数 3,285文字

 僕がまだ幼く、世の中の仕組みを理解していない頃、僕にとって「仕事」というものは非常に明快なものだった。仕事と言えばプロ野球選手やお医者さん、コックさんに学校の先生、または歌手、消防士など・・・。ある人は野球のうまさや料理の腕前でお金をもらい、ある人は火事と戦うことや人を病から救うことで、そしてある人は夢を与える事で、お金をもらう。つまり報酬というのは自分に明確に課せられた使命を全うする事で、得られるものだと理解していた。それだけに朝家を出たきり夜遅くまで帰って来ない、または寝ている自分をわざわざ起こしに来る酒臭い父親の仕事については、理解が進まなかった。父親が「営業マンのサラリーマン」であることは聞かされていたが、それが実際に何をする人なのかは分からなかった。家族のために働く父親をえらいと思う一方で、職業に対する尊敬の念はなかなか育たなかった。
 僕は大人になったら、何か自分の得意な事や好きな事をしてお金をもらうんだ。僕が将来について考えられる事と言えばそれくらいのもので、もっぱら野球をしたりテレビゲームをしたり、公園でケイドロをしたりして、充実した少年時代を過ごした。

 その後中学、高校と進み、人並みの思春期を経験する中で、自分にスポーツや芸術などで優れた才能が無い事は早々に理解した。強いて言うならば人よりも漫画や小説が好きだということには気づいたものの、それが何かの才覚に昇華する事はなく、それよりも期末試験やら恋愛やら、背伸びして飲み会などをするうちに高校を卒業していた。1年間の浪人期間を経て手に入れた大学生活という4年間のモラトリアムにおいても、遊びやアルバイト、その他様々な大人の階段を上るのに忙しく、自分の天職との邂逅を見ることはなかった。気づけば21世紀の始まりとほぼ同時期に就職の季節を迎え、同級生達と何十枚ものエントリーシートを書く中で、たまたま受かった情報システム会社の、営業マンのサラリーマンになっていた。

 会社に新卒で入社してから10年後に退社するまでの道のりは、それなりに充実したものであった。入社したての新人の頃は社会人として働く事に興奮と充実感を覚え、先輩社員がつまらないと言うような仕事でも積極的にこなしていったし、中堅社員になると自分が会社の戦力として機能している事が誇らしく感じ、深夜の残業も休日のゴルフ接待も厭わずに働いていた。
心境の変化が訪れたのは、30を過ぎ、一通りのサラリーマン経験を済ませた頃のことである。営業マンである以上、数字が究極的な目標であり、会社からの判断基準である。僕のいた会社の社是も「良い社員とは稼ぐ社員である」であり、誰も彼もが売上の数字に挑み、時に征服し、時に跳ね返され、そして常に追いかけられていた。僕自身も小さいながらも一つの営業チームを任され、その職責を人並みに感じていた。ただ社会人らしい責任感を感じる一方で、その数字に縛られている自分に違和感を感じ始めていたのも確かである。「食べるため」と言えばそれまでだが、それだけの理由で自分自身を削り、数字との競争をすることに疑問を持たなかったわけでない。また扶養する家族がいない分、生活のためという割り切りも幾分曖昧なものであった。深夜まで及ぶ残業をしながら、回りにも沢山残っている同僚達や上司の姿を見ていると、自分達が回転する車輪の中を走る鼠に思えることもあった。それとも世の中にはこんな車輪が沢山あって、それが結集してこの国はなんとか前に進んでいるのかもしれない。そんな仮説を立て、僕は働き続けた。

 時は2009年の4月、いつもと変わらぬとある夜、僕は顧客である某食品メーカーの部長を接待していた。1件目の店で相当量のアルコールを摂取していた部長は、2件目のキャバクラに行く頃にはすっかり出来上がっており、早速店の女の子にちょっかいを出し始めた。最初のうちは悪ふざけの範囲を出ない程度のものだったが、途中から徐々に常軌を逸したレベルへと向かい、しまいには自らスーツを脱ぎ捨てて女の子に迫った。得意先のご乱心にどう対応してよいか分からなかった僕は、しばらくはよそを向いて水割りを飲み続けていた。ふと彼らに視線を戻したとき、部長の攻撃に耐える女の子の目が僕を見ているような気がした。またその目に、気のせいか涙が浮かんでいるようにも見えた。二十歳そこらの少女と言ってもいいほどの若い子だった。一件目の中ジョッキ数杯と、二件目の水割り数杯でいささか判断能力を失っていた僕は、その目に何かを感じ取った。
 その時の僕を動かしたものが正義感だったのか、倫理観だったのか、それは今でもよく分からない。ただ単に、何かを飛び越えたい気持ちだったのかもしれない。またはぶっ壊したいとでも言うか、とにかく色々なものが僕の背中を押した。気づけば僕は取引先の部長の腕を掴んでいた。業者の若手に注意を受け激昂する部長と、色んなものに背中を押されていた僕らは口論から掴み合いへと発展し、気付けば僕は部長をソファの向うに投げ飛ばしていた。パンツ姿の部長は受身を取ることも忘れ、後日追突事故の被害者のような出で立ちで僕の会社を訪れることになった。僕と上司と、そして社長がその対応に当たった。

 世間一般の倫理やマナーを重んじた自社の中堅社員と、年間1億円近くの売上をもたらす取引先の部長と、資本主義において必要な存在はどちらかと言われれば、例外を除いて後者が選ばれる。例外の恩赦を与えられなかった僕は1週間の自宅謹慎を命じられた。平日の昼間から、アパートの部屋でぼんやりとプロ野球のオープン戦を見ていた僕は悟った。
「金を稼いだ褒美に金をもらっている限り、何も変わらない」
 自分で事業を起こすことのできない人間が金を稼ぐ一番手っ取り早い方法は、誰かのために金を稼ぐことである。稼いだ金を親分に差し出し、見返りにその一部をもらうしかない。ヤクザでも会社でもその成り立ちは変わらない。またそのためには販売の技術や企画提案の能力もさることながら、顧客に好かれること、予算の匂いを嗅ぎつけ、創意工夫を施し、担当者の背の裏に潜む埋蔵金を引っ張り出すこと、それが営業マンの極意である。そうして組織のために金を稼ぎ、その一部を報酬としてもらう。謹慎が解け会社に出たところでこの先ずっと同じ生活が待っている。この先僕が幹部に出世する見込みはないだろうし、そもそもそのレースに参加する権利もあるかも分からない。定年まで営業畑を延々と歩み続けるのだろう。これからの30年近く、同じような人生が待っている。また違う顧客と仕事をして、仲良くなって、飲みに行って、予算を達成して、年に一度の昇給や、ゴールデンウィークや年末年始のカレンダーを楽しみにして・・・。僕は自分の眼前に無間地獄が広がっている様を想像し、軽い不眠症にかかった。それから数週間後、年度末というキリの良いタイミングで僕は辞表を出した。

 社内のいろんな人が僕に退職の理由をたずねた。僕は「自分が本当に納得できる仕事を見つけるため」と答えた。その理由について、上司も同僚も何も言わなかった。ただ気の毒な人を見る目で、僕を見送ってくれた。
 最後の出勤を終えた日、昼過ぎに銀座のオフィスを出ると冬の終わりを告げる生ぬるい風が吹いていて、近くの日比谷公園の桜が咲き始めていた。いつもより太陽の光がまぶしく感じた。通い慣れた丸の内線に乗り荻窪の自宅に帰る途中、四谷のあたりで平日の午後の街並みを眺めた瞬間、何だか懐かしいような、暖かい気持ちで心が満たされた。2009年の春だった。
 その夜、人生の決断を下した日をどうやって祝うか考えたあげく、一人で例のキャバクラに向かった。僕の背中を押してくれたあの女の子にお礼を言うつもりだった。驚かれるかもしれないが、一言ありがとうと言いたい、それが僕の素直な気持ちだった。店に着き、早速指名をしようとしたところ、女の子は既に店を辞めていた。マネージャーいわく、大学を卒業し、地元に戻ったとの事だった。
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