社会復帰活動・・・

文字数 2,000文字

 食うために働くのはやむなしとしても、さすがにまたあのマネー争奪ゲームのフィールドに戻ることだけは避けたかった。リアルな資本主義の戦場からなるべく遠いところと言う観点から、僕は主に財団法人や協会、NPOなどの職員の仕事を探した。そこで僕は改めて、この現代の日本を覆い続ける「不況」というグレーのカーテンの分厚さを身に沁みて知る事となる。
まずこのご時世にフルタイムの正社員を新たに募集している団体は殆ど無かった。どの団体ももれなくスポンサー企業からの援助、政府の助成金が激減し、事業規模を縮小していた。たまに求人があったとしても時給9百円のパートタイム。仮に1日8時間、月に22日間働いても得られる給与は15万8400円。ここから年金やら国民健康保険やらを払い、7万円のアパートの家賃を払い、携帯代、光熱費を払って暮らしていくのは不可能である。根気強く求人を見ていると、稀に契約社員の募集を見つけることもあった。その場合でも総支給額で20万円強。パートタイムで働いた場合とあまり状況は変わらなかった。
 「カウンセリング、メンタルケアのスタッフ募集。月収35万円以上」という求人を見つけ、新横浜まで面接に行った事もあった。人の心を救う仕事であれば打ち込めるのでは、という考えからである。説明を受けてみると、実際は心理学のDVDとテキストを扱う訪問販売のセールスの仕事である事が分かった。そして僕を含めて10名ほどの応募者全員には「幸せへの架け橋」なるセミナーへの出席が課せられた。冒頭からその会社の創業者社長が延々と幸せへの道を説き続けるのを見て、僕は早々にリタイアを決意した。
 セミナーの会場を出ると、廊下の喫煙コーナーでこの会社の社員と思しき男性達が数人集まって煙草を吸っていた。一様にくたびれたスーツを着た彼らは通り過ぎる僕のほうを一瞥してから、何か嫌なものを見たような表情を浮かべ、また眼をそらした。彼らの表情を、昔どこかで見たような覚えがあった。その会社から新横浜の駅まで向かうバスの中で僕はその顔を思い出した。大学の時にアルバイトに行った、製パン工場の明け方の休憩室でよく見た顔だった。

 貯金は刻一刻と消滅ラインに接近していった。僕は全ての有料の娯楽の無期限中止を決心し、セール弁当や怪しげな自作のおかず等の食事も1日2回に減らした。外食や飲み会は半永久的に延期とし、ヤフーオークションという新たな収入源も見つけた。しかしこれらの必死の抵抗にもかかわらず、残高との闘いの最前線は日々このアパートを包囲しつつあり、いよいよその包囲網が破られようかというある日、僕はキャッシングという新たな人生のステージに踏み入れた。
いつの間にか僕の関心は「納得のいく人生を送る」ということから、「生活防衛」というテーマに転向していた。状況は自分一人を食わせる事ができれば何でもよいという境地に達しており、職種を問わず正社員の求人を探しては手当たり次第に応募した。しかし結局のところ、仕事は見つからなかった。
 その理由は、間違いなく僕自身にあったのだと思う。思えば、本当の意味で「どんな仕事でもいいから働きたい」という人が多くいるこの世の中で、僕の競争力の弱さは致命的だったのだ。この期に及んでかつて所属していた世界から、そして現実から逃げようとしている自分がいた。その結果比較的就職しやすいはずの前職関係の仕事でも、ことごとく面接に落ちた。食うためには何でもよいと頭では判りつつ、それでも割り切れずに、毎日同じことを繰り返していた。
 走らなければいけないと分かっているんだけど、走れない。前に進まなければいけないのに、足が上がらない。夢の中で走ろうとして走れない時のもどかしさにも似た感覚で、現実の時間が過ぎていった。再び一日自分の部屋で過ごす日が増えた。キャッシングに対しても、以前ほどの罪悪感を感じなくなっていた。5年前に一人暮らしをして以来、一度も延滞した事のなかった家賃の支払いを1ヶ月遅らせてもらった。日に日に寝苦しい夜が増え、季節は夏になろうとしていた。

 母校の大学で事務職員の空きがあると聞き、わざわざ昔の指導教授が定期的に主催する国際交流パーティに参加したのは7月の頭のことだった。教授の推薦があれば比較的有利であろうと、貴重な5千円もの会費を払い、就職活動でよれたスーツに袖を通し、それでもなるべく上品なネクタイを締めてパーティ会場に向かった。しかしそのポストは残酷にも、既に僕の後輩にあたる新卒の女子学生に奪われていた。こうして僕の意気込みはまた完全な空回りと終わった。
 会場の壁にもたれ、話す相手もおらず一人自棄酒のビールを呷っていた時に、僕は自分の人生を大きく変えることになる一人の女性と出会う事になる。それが僕が生まれて初めて出会ったサルキア人女性、タニア・ラムダ・ハンセルである。
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