第31話

文字数 1,759文字

            31,
 両脇に松葉杖を挟み、脚や腕、至る所、包帯巻きの、これでゲートルでも巻いておればついこの間まで街の繁華街には必ず居た傷痍軍人の姿で、吉信が小舟に乗って鹿木島に、退院してきた。実際には退院ではなく、入院治療費が払えず診療所から退去させられたように聞く。   
 鹿木島の邸で、由美子と吉信が同居することになった。邸内は部屋は衾で幾つもに仕切られており、何人でも住める。通院するにも、また石段、坂道だらけの島内では身動きも成らない、何れ便利な町内に空き家を借り、そこで由美子と暮らすと吉信は云う。
 入院費が払えず診療所から追い出された二人はそれでも楽観的だった、
「飯代や泊り賃、保険下りたら嫌云う程払うたる」
と嘯くが、どうやら雲行きは怪しい、ようだ。事故から早や何か月、早ければひと月も経たぬうちに払い込まれる、筈、だが、その事故原因について、保険屋が偽装を疑っている、のではとの町のひとの間にそんな噂が広まっている、ようだ。
 誰かが聞いたふう、見たふうに云うところによると、密告、通報があった、と云う。
子供ら3人への生命保険に、吉信が受け取り人に名を連ねたのはつい去年の話、また車の任意保険加入も、ほぼ同じ時期、それまでは無保険で走り回っていた、らしいと町の人の間に、虚実入り混じった尾鰭がついて話が広まっている。
 時に吉信は由美子に付き添って貰って大阪へと向かう。大阪の保険屋に談判に行くような話が聞こえる。だが、二人とも険悪な顔して帰ってくる、そして大荒れに荒れ、一日中、二人は罵り合っている。

 鹿木が、富子を町の幼稚園へ小舟に載せて送って行き、島に戻ると、見掛けぬボートが一隻、桟橋に横付けされていた。操舵室から老漁師が顔を出して会釈する。どこかで見掛けた顔だが誰だか知らない。怪訝に思い、邸へと登ると、途中で、麓の磯の岩場辺りから人の、しかも数人の罵る声、そして女の悲鳴が聞こえてくる。女の声は、由美子…?
 松林の隙間から見下ろすと、背広姿の男達が、包帯姿、松葉杖をついた吉信を囲み、その胸倉を掴んで罵っている。
「どないなっとんじゃ、ええ、吉っしゃんよ、音沙汰無い、て社長が怒ってんのや、こないなとこ隠れてたら、そりゃ判らんわ。ほんで、どないなっとんじゃ、金は、金は、何処に在んねや、耳揃えて出さんかい」
「兄貴、せやから云うてますや、あと、ほんま、何日か待ったら、保険金、下りてくるよって、それ払い込まれたらすぐ社長とこへ振り込むて」
「あんな、吉っしゃん、それ、ひと月前にも、二月前にも同じ台詞、聞かされて、大人しいこないして待ってたんやが、未だに一銭も振り込まれてない。お前な、何やらせてもドジってばっかりや、この前の鹿木のとこの話だけやない、今永のとこも、三協のとこも、皆な夜逃げして行方判れへん、何ぼになってる思うね、お前の絡んだ仕事で損こいたんは…」
「せやから、兄貴、あと、ほんま、あと何日か待ってくれ」
グシャッと、キャベツを叩き潰すような鈍い音が、小石を転がす波の音に混じって聞こえてきた。
 杖を両脇に抱えたまま吉信は仰向けに倒れた、口から噴き出す血で、包帯が真っ赤に塗れた。大きな岩に圧しつけられた由美子が悲鳴を上げ、顔を背けた、男がその声に振り向いて、
「姉さん、ええ齢こいて、エライ可愛らしい声、出してくれるやんけ、あんたも、こないしたる」
由美子の頬を平手打ちし、蹲った由美子を抱え起こし、その上着を剥ぎ取って上半身丸裸にし、スカートをめくり上げて、仰向けに倒し、暴れる脚を数人の腕で押し広げて、男はその上に覆いかぶさった、由美子の白い太腿が日に曝される…             
小石の上に仰向けた吉信に、男はズボンを履き直しながら吠えた、
「次、近い内に、また来る、金、用意しときや、今度来て、また待ってくれていうたら、今度は命、無い、思うときや、それに姉さん、あんたも良かった、で、最後にはあんたの方から、ワシの腰にあんたの腰、押し付けて来とった、また頼むわ、それと、今度、吉っしゃん、金用意してなかったら、あんた連れて帰って、どっかのパンパン宿にでも売り飛ばすからな、今やったら、まだ、何ぼかでも値が付くやろ、今の腰の動きやったら」
笑い声が潮風に乗って響いてきた。

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