第27話

文字数 2,513文字


          27,
 数日後、鹿木は吉信を見舞ったが、吉信の不機嫌丸出しの顔、そして汚い虫でも見るような由美子の嫌悪に満ちた顔に曝されて、居辛くなった鹿木はすぐ病室を出た。
 廊下を通って帰る鹿木、足早で追ってくる足音が聞こえて、鹿木は振り返った。あの若い看護師、だった。吉信の病室で、鹿木が病室を出るまで、包帯を解いて吉信の体に薬を塗ったり、新しい包帯に換えてやっていた。  
 その顔は何か文句言いたげに膨らんでいる。鹿木の袖を引っ張り、廊下の陰に連れ込み、声を潜めて訴えた、
「あの二人、夜中、それも毎晩、私ら、定時の巡回で病室回るんだけど、上村さんの病室入ると、ベッドの上で、腰の包帯取って仰向けた上村さんのあそこに、スカート捲り上げて、あの由美子さんが跨って。それが、殆ど毎晩、皆なあの部屋入るの嫌がって、だから入る前に、出来るだけ物音出して…」
 由美子は、以来、吉信の病室に入り浸っている。娘の、実の娘ではないにしろ、幼い富子を、その存在さえ忘れたように一切面倒を見ようとしないし、鹿木に富子の様子を訊きもしない。血も涙もない、とは正にこのことを云うのだ。

 財産分与、贈与の詳細を書いた遺言書の控えを、鹿木は定信から貰っていた。鹿木は読み直した。
 佳子、佳代、そして富子への分与は、全財産の2分の1、これらは今も手付かずに残っている。手付かず、と云うより、処分出来ない仕組みになっている。2分の1を3人で均等に、定信の死と同時に分けるのではなく、一括で、3人の娘に渡されることになっており、その処分は、三人同時に受け取るか、もしくは死別の場合は、最後の一人が一括して受け取ることになっている。
 その2分の1の財産の中身は、主には土地、または現金含む金融資産、吉信と由美子は遺書の朗読を聞いて吠えに吠えたが、どうにもならないと解ってその後、このことで弁護士との間で揉めているとは聞いていない。
 どうせ自分らの取り分が多少でも増える可能性が全くないことを知った二人は、生命保険金と車の保険金の搾取へと方針を変えたのか、その保険金が下りて来る日を楽しみに待っている様子が丸見える。
 姪3人に遺された遺産を二人は諦めた?そんな筈は絶対無い。あの事故は生命保険金搾取が目的ではない。吉信は決死の覚悟で、3人の子供を殺そうとしたのだ。
 だが末の富子は生き残った。そして富子一人に3人分の遺産が集中する事態となった。

 義理とは云え、娘二人を失い、ひとの目にも大げさに、二人の名前を叫んで泣いた由美子、またあれだけ懐いていた姪二人を自分の責任で、自分が起こした事故でその命を絶っても平然としている吉信、二人は毎夜病室のベッドで、他人の目、耳、憚らず縺れ合っている。
 深くはないが多少でも法律の知識を鹿木は持つ。その知識に照らしてみると、由美子は戸籍上定信の妻でもなく、まして三人の娘たちとは一滴も血は繋がらず、娘3人が死んだ時、娘たちが持つ定信からの遺産について何か口の一つでも挟める資格はない。由美子は全くの赤の他人。
 吉信は、どうか?吉信は、定信の父、元信の妾の子、異母兄弟。血の濃さからすれば、富子が死ねば全て吉信の手に渡る。
 しかし、吉信がこの立場を絶対とし、権利を有効活用し、その全財産を手にするには、富子の死を待つか、最短でも遺言の条項からも民法上も富子が二十歳の成人となるまで、しかしその時処分しようにも、どうするかは全て成人した富子の意向次第、吉信にはどうにもしようがない。
ふと見ればひょっとこ面のように、口を横向けた吉信の顔を思い出しながら、鹿木は吉信の立場に立って考えてみた。
 吉信は大怪我を負ったが車に掛けていた保険金、姪三人に掛けていた生命保険金を難なく受け取れることになりそうだ。
 今度のように不慮の事故と成れば全てがうまく行くと思ったに違いない。いや元々、吉信は、事故と見せかけて、姪3人を一気に殺すつもりではなかった、のか。  
 鹿木の脳裏に、宙に浮いた車から飛び出した人の影が映し出される。あれは事故ではない、また鹿木が用意した農薬入りのお茶を飲んだがための事故ではない、と鹿木は思う。  
 毒を飲んだ人間が、その量がどうであれ、墜落寸前の車から飛び出せる訳がない。
癲癇の発作、だとも云ったらしいが、医者は否定している。吉信は、事故の原因を問われれば、癲癇の発作が、と逃げるつもりだったのだろうが、この際、医者の診断に従った方が得策だと考えたのに違いない。
 姪を一人残してしまったのは吉信には想定外だったし、計画は失敗した。保険金以外、吉信と由美子の二人は何も手に出来ない。
 この失敗に懲りて、この先、富子が病気か事故で死ぬ、殆ど可能性のないその日を、もしくは気の遠くなるような長い年月を、あの二人が待つとは思えない。
ふと、鹿木の頭に、鬼のように目を吊り上げて睨む由美子の顔が浮かんだ。そして、閃いた、もしかして、今度のこと、全て由美子が仕組んだのではないか…?
 由美子は、定信の遺産分与、またその処分について、戸籍上も、血縁上も、全くの赤の他人、何か一言でも口を挟める立場、権利は一切ない。
 由美子は、定信から遺言状の内容を事前に聞かされたか、もしくは何かの方法で知ったに違いない。遺産の振り分けで、定信が由美子に何を云いたかったのか、どんな気持ちでいたのかを思い知らされた。由美子は、あんなに尽くしてやってきたのにと一人合点に定信を恨んだに違いない。ならば、全部うちが奪い取ってやる、と由美子は決意した。そして、定信が遺書を書く前にと、定信に農薬を飲ませて殺した。だが、遺言書はそれ以前に仕上がっていた。
 由美子は、吉信の立場、権利に目を付けた。三人の娘に与えられた遺産を横取りするには、吉信の立場、血縁的権利を利用するしかないと判った。そして吉信を色で釣って唆した。吉信は単純にその旨い話に乗っかった。
 だが、折角の計画も、吉信の決死の作戦実行も、その朝、突然熱を出した富子が生き残って、由美子の計画は失敗、した。
 由美子が諦める筈はない。必ず富子の命を狙う、しかも、そんな先の話ではない…
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