第28話

文字数 1,617文字

             28,
 鹿木の脳裏に、病室を見舞った時の、吉信と由美子の顔を思い出す。鹿木は、事業失敗で多くの人に迷惑を掛けた、その人たちに直接会って頭を下げて謝罪した、その誰もが、鹿木を恨みと怒りに満ちた目で睨みつけた、そして罵声を浴びせた。だが、吉信と由美子が鹿木を見た目は、それらとは全く別の、心の奥底を刺す、敵意に満ちたものだった。

 鹿木は、吉信と由美子の二人は、相当以前から、定信が急死する以前から関係を持っていたのでは、と思う。
 鹿木は、定信と二人っきりで話をした時のことを、思い出す…
病で、頬の削げ落ちた定信は海を見たまま、自嘲するような笑いを浮かべて云った、
「もう一つ、お前に云うとかなあかん。ワシの嫁、由美子、な、何や最近、変な動きしとるんや。それも、吉信とつるんで、何か企んでるふうなんや。あいつらが企む云うたら、ワシの財産、ワシ死んだらそのまま二人で持ち逃げしようと考えてるんやろ思う。
 由美子は元は新地の女。実を云うと、由美子、まだ籍に入れてない。一時はワシも若気の至り、熱うなって見境いつかんで、正式に嫁にしようとしたが、親父が絶対許さへんかった。当時は恨んだが、今となっては感謝しとる。
 今の由美子はワシには目もくれん。佳代、佳子も、末の富子も皆な死んだ益美の子や。この3人は未だに由美子をおばちゃんと呼んで懐こうとせん。娘らを見る由美子の目は鬼婆みたいや。由美子と吉信がワシの財産狙うてることは間違いない。
 そこでや、ワシはいざという時のことを考えた、その時がいつ来てもかんまんように、弁護士に遺言書作らせた、財産分けの目録、みたいなもんや。
 内訳は、3人の娘に半分、残りの半分の半分、4分の1をお前に、その残った8分の1毎を吉信と由美子に遺すことにした。8分の1云うても金に換えりゃ大概の額になる。そこで土地や山売って出る現金は娘やお前に、お前には事業の権利の殆どや。それに由美子と吉信には不動産の一部、せやけどそれを処分するには、お前の署名が要るように遺言書に書いた。揉めるやろ、多分。せやけど、妥当なところや。要するに、後のことはお前に任せる、て書いた遺言書や…」
思い出せば、定信は、あの時既にはっきり云っていた、吉信と由美子の仲を。そして二人の魂胆を定信はとっくに見抜き、それで、あんな遺言書を遺したのだ。
 鹿木は、定信の云ったことを何度も反芻する、その一言一言の意味を探った、そして見えて来た…
 診療所の看護婦が云った、定信が急死した日、由美子が病室に入って来た、気を利かして退出する看護婦を由美子は睨みつけた。そして由美子が病室を出た途端、病室からナースセンターに緊急通報が鳴り、駆け付けた時には定信は口から泡を吹いて息絶えていた。
 看護婦は更に云った、病室を掃除していて、ベッドの下に湯飲みの椀を見つけた、転がって倒れていたけど、湯飲みの底に白い粉薬みたいなのが固まって残っていた、その湯飲みの底に溜まっていたものを嗅いでみると、とても嫌な臭い、何て云っていいか、そう、何か、腐った卵のような匂い、吐きそうになった…
 この腐った卵のような匂いは、鹿木が柚子農家の納屋から盗み出したものと同じ匂い…
鹿木は、由美子にこのことを云った、由美子は、何を云ってるの、痛い目に合わせるよと逆に脅してきた。だが、そのすぐ後、由美子はあの豊満な体で鹿木に擦り寄って来た。 
 あの時、鹿木は由美子の金が、喉から手が出る程に、いや命に代えてでも欲しかった、そして由美子は金を出すと云った。あの時、鹿木には、定信の死因について詮索する気は更々なかった、由美子を責めるつもりもなかった、それどころか、もしかしてあの看護婦が、定信の死因に異議ありと訴えて出れば、由美子からの金の融通が絶たれて鹿木は明日には破産する羽目に落ちてしまうところだった。そのことを恐れて、騒ぎ立てない方がいいと、看護婦に助言した。
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