第26話

文字数 1,145文字

          26,
 青木刑事の、鹿木への質問、その口ぶりから、当初は鹿木の関与も疑われているのかと不安になったが、振り返ってその一々の内容を、その時々の青木の表情を思い出しながら鑑定した結果、その一連に何も一筋にまとまったもの、一貫性が無く、ただの思い付きで喋っていた程度だったのではと確信する。要するに、権と圧だけの、頭の悪い男だと評価した。
 大阪で闇金融の取立屋として働き、何度か世話に成って警察慣れした吉信が、捜査官としての青木の力量をとっくに見抜いているとしてもおかしくはない。
 鹿木の脳裏に、あの日、夕暮れて、山に沈む夕日の残照を帯び、朱く染まった遥か水平線に向かって飛び出した金色のスカイライン、宙に一瞬間浮かんで停まったその時、双眼鏡の丸い視野の中に、車から飛び降りる、黒い人影が蘇った…
 吉信の、風邪が、とか、持病の癲癇の発作がとか、事故発生時の説明は全て、事前に用意した台詞を、声を震わせながら話しただけ…ではなかった、か。
 猛スピードで、急カーブでコンクリートブロックを突き破り、宙に浮いた車から、普通なら、種突の衝撃で目をつぶり、ハンドルにしがみつく運転手が、映画のスタントマンが如きに、全くの瞬時に、車から飛び出せる筈がない。そしてその瞬間を、絶対誰にも見られる訳はない…
 あれだけの大事故を起こし、車も半分は潰れ、そして炎に包まれた車から、人が生還できることは有り得ない…警察は調べれば調べる程、あの事故から、ひとの生還は不可能と判断するしかない。頭から磯の岩場に突っ込み、炎に包まれた車から脱けて出ることは絶対に不可能、更にあの崖の高さ、下は磯の岩場、どう見ても、故意に出来る技、では有り得ない。
 だが、鹿木は見た、一部始終をまるで映画でも見るように全て見ていたのだ。そして宙に浮いた車から、正に真っ逆さまに墜落するその直前、黒い人影が飛びだす瞬間も鹿木は見た、決してあれは車の破片、ではない。
 考えれば考える程、あの事故は吉信が決死の覚悟で仕組んだもの、としか思えない。
それにしても、と鹿木は思う、あの水筒のお茶、吉信は結局、飲んだのか飲まなかったのか?
吉信は癲癇の軽い発作が出たようにも云っている、医者も口周辺に泡が付いていたと認めている、しかしそれは衝撃で噴き出した胃液であり、その胃液には薬物、毒物は検出されなかった、と証言している。
 では、吉信は水筒に口は付けなかったのか?飲んだかも知れない、しかし十分な量ではなかった、のか?
 看護師は、吉信の口の周辺の泡から、定信の口についていたものと同じ匂いがした、と云っていた…吉信は間違いなく、水筒のお茶を飲んでいる…量が少なかった、のだ。
 
 病室から、高笑いが響いた。鹿木は、病室に入るのを止めた。
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