第8話

文字数 3,583文字

                8,
 繁栄と没落を一瞬の間に見せつけられて鹿木の人生観は一変した。父の事業を継続するにはその負債は余りに大き過ぎた。かと云って何かを今更始めるにも鹿木には、何の知恵も、技術も、ひとのコネもなかった。有るは、この近在では珍しく大学出であり、しかも曲がりなりにも法学部出身者であった。
 役所で仕事を得、住民とのトラブルや対外的な交渉など、鹿木の法律知識は生半可でも、そのことを詳しく知らずとも、何を調べてどう対処すればよいかの発想は誰よりも素早く確実に出来た。次第と重宝された。
 或る日、珍しく里帰りしていた上村定信が役場に顔を出し、見掛けた鹿木に、今夜、家へ来い、飯、一緒に食おう、と鹿木を誘った。
 上村定信は、鹿木公男の父から、情け容赦も、血も涙もなく、資産を奪い取り、松林で首を吊るほどまで追い詰めた、上村元信の長男だった。
 鹿木の父の死後、本家鹿木家と分家上村家の立場は逆転していた。逆転どころか、片や泣く子も黙る大資産一族の嫡男、片や、文無し、辛うじて木っ端役人として薄給を両手で拝み受けて、惨苦に生き、借金と負債の泥を被ったような極貧の総領の甚六、比べようもない。
 上村定信は時に大阪から戻り、何日かを家族で過していると噂には聞いていたが、過去に顔を合わせたことはなかった。
「飯食いに来い」
との誘いは、鹿木には、偶には酒でも飲んでうまいもんでも食え、と聞こえたし、嫁さんの一人や二人、いつでも世話したる、とも聞こえたし、飯食いながら俺の法螺話でも聞いとけ、とも聞こえた。だが、役所で何かの手続きを終えた上村定信が、見掛けた鹿木に声を掛け、役所の職員全員が一斉に、鹿木の顔を、それがどういう意味なのか鹿木には判断出来なかったが、皆の注目を浴びて、咄嗟に断ることも出来なかった。どうせ、皆なの手前、ただの愛想だけ、口先だけの誘いに過ぎないと鹿木は思ったが、そこが鹿木の、愚図なところ、鹿木は、その夕には上村家の玄関の前に立っていた。
 女中に誘われて奥の座敷に通された。大きな座卓が部屋のど真ん中に居座りその上に、この辺りの、客接待の時に必ず出される皿鉢料理がずらっと並ぶ。
 やがて、上村定信が、寛いだ格好で、赤子を抱き、横によちよち歩きの二人の女の子、この二人の顔の造りのどこかに上村家の血筋を表す特徴が観えていた。
 どこか高級料亭の女将のような和服姿の女がしずしずと部屋に入って来て、上村定信が紹介した。女は、上村定信の嫁、由美子、と紹介され、自らもそう名乗って、深々と頭を下げた。見た目、定信よりは二回り程若く見え、鹿木よりも一回り程若く見える。
 昔、鹿木本家に勢いがあった頃、父親は、何かの宴会では、必ずこの手の女を招いてどんちゃん騒ぎをしていた、ことをふと鹿木は思い出した。
鹿木も丁寧に、父が呼んだ芸者に挨拶させられた子供の時のように、名を名乗り、頭を下げて挨拶を返した。
 ふと顔を上げた鹿木、定信の妻、由美子の、くもの糸のように粘着質に絡みつく、熱い視線に囚われてその真意を探って二人は見つめ合った。ふと鹿木、気付いて、由美子から目を離した、亭主・定信は、不機嫌そうに手酌で盃の酒を一気に喉に流し込んだ、
「まあ、遠慮せんとやれや、きみお、しかし久しぶりや、元気にしとったか?大阪からこっちへ戻って来て、どないしとるんか心配しとったけんが、まあ、見たところ、元気そうじゃ」
鹿木公男が上村定信の父の会社で働いていた頃、定信は、鹿木より一周り年長ながら、その頃既に、重役として父・元信の代わりに経営一切を切り盛りしていた。
「当時はお世話になりました」
「ま、ええ、そんな固苦しいの、抜きにして、ま、一杯、やってくれ、由美子、この公男は、うちの、数多ある分家、上村家の本家本元の御曹司、今でもこの辺り一帯の大地主、いや、それこそ遠い昔は、ここから鳴門の、土佐泊り辺りまでの山や川、それに海岸線の漁師町や数え切れんぐらい海に浮かんどる島の一切を総領、取り仕切っていた海賊の親玉やし、土地の神様、みたいなもんやったんや」
(それが、今では、落ちぶれて、本家の惣領が、役場でせこせこ働いて、このザマや)
と次の言葉を覚悟したが、
「今日な、ワシ、こっち来たんは、この御曹司に話があって、な」
意外な言葉に鹿木はふと顔を上げた、
「どや、もう一遍、ワシんとこで働いてみんか。いや、わざわざ大阪まで出て来んでもええんや。大阪も、何んとか景気の後遺症で、たいがいのとこ、消えてしもたが、そろそろ落ち着きも見えてきて、な、今は住宅公団やなんかでも、住宅着工の数も増え始めて、やっぱり材木の良さも見直されて、材木の需要がこの先、増えていきそうなんや。 
 何でも、売れだしてからもの探しとったんでは、火のついた蚊取り線香みたいなもんや、気が付いたら灰になっとる。それで、お前に、うちの重役なって貰うて、この辺り一帯の山の木、伐り出して大阪に積み出して貰いたいんや。お前も聞いて知っとるやろが、四国と本州の間、瀬戸内挟んで3本も橋が架かる、その内の明石鳴門大橋はあと10年も経たんうちに完成する。
 そうなりゃ、物が流れる、何でもかんでも流れる、中でも、やっぱり、住宅建築用木材が真っ先に大阪に運び込まれる。ひとは仕事を求めて街に集まる、街に集まれば、住む家が要る、なんやかや云われて来たが、やっぱし、木材や、木は売れる。それでワシの会社の支店をここに作る、そこを、お前に任せたい」
余りに突飛で思い掛けない話に、鹿木はどう反応すれば良いか判らず言葉に詰まった。
「何も悩むことあれへん、ワシから注文出す、その註文に合せて出荷段取りしてくれたら済むこっちゃ。建売住宅云うのは、大体が同じ間取りで造る、せやから寸法もほぼ決まっとる。お前なら出来る」
注がれるままに鹿木は酒を飲み、普段の度を越えて酔ってしまい、定信の強い説得に圧されて遂に定信の話に乗った。
「そうか、お前にやって貰うたら心強い、やっぱり商売は、身内でやるのが一番や。ま、ついでやから聞いてくれ、ワシは、な、近い将来、本家鹿木家を再興したい、と考えている。お前の親父からうちの親父が借金の担保やらで山や土地、なにもかも奪ったようにこの辺りのひとは、分家の癖にと、とワシの親父の悪口を云うてんの知っとる。
 せやけど、ワシの親父、或る時、涙流してワシに云うたことがある、何て云うたと思う、ワシの親父、
(本家、商売に窮して、山や畑、売りに出しとる、銀行から金借りる担保に財産、手放そうとしとる。せやけど、今の時代、何ぼ金借りても、追っつかん、何れ、銀行や金貸しに取られてしまう。今はじっと我慢しとかなあかん時なんや。それが本家には判らん、俄か商売、大名商売しかしてない本家にはそのことが判らん、どない説明したっても聞き入れん。それどころか、もう頼まん、もう二度とお前に頼まん、見とれ、必ず盛り返して、お前の顔、札束で叩いてやる、と啖呵切って出て行った。
 そやないね、このワシでも今はじっと動かずにおる、その時来るのを待っとるんや。それが本家には判らんのや。これな、本家に金貸した時の証文や、担保にとった本家の土地や山や、ワシはな、本家の山や土地、人手に渡しとうないんや、このままやったら、全部他人手に渡ってしまう、そうなったらどうにもならん。ワシの目の黒い内は、何ぼ苦しいなってもこれだけは他人に渡さへん。
 ええか、お前の代になっても、手放さんようしたってくれ、本家にエエ目が向いてきたら、ちょっとずつ返したったらええ)
定信は話しながら、酒の酔いで感情が揺れやすくなったか、大粒の涙を流した。
「ワシの夢はな、本家の再興や。その為には先ず、お前にも商売で金作って貰いたい、次にお前にやって欲しいのは、政治家になって貰いたい。商売はな、何ぼ一生懸命、まじめにこつこつ働いてもアカンのや、何年もやってきたこのワシでも今になって気がついた。 
 世の中、動かすんはやっぱり政治や、さっき云うた、橋、3本の話、角栄の列島改造論、政治家の一言でやっぱり経済は動くんや。商売は政治と繋がらなあかん。
 それでや、商売或る程度落ち着いたら、お前に、初めは町会議員でも何でもええ、次に県会議員、それから国会議員になって、誰ぞ有力なやつの腰巾着になって、情報をとれ、そいつに金渡して動いて貰え、そうすりゃワシらの商売、それに合わせて動けばええ、その為にはワシはお前を全力で支援する。
ワシが自分ですりゃええと思うかも知れんが、もう遅い、それに学も知識もない、子に夢を託すにもおなごばっかりや、そこでお前に目をつけたんや。お前がワシの話、聞き入れてくれたら、ワシの二つの夢、本家の再興、お前を政治家にして政治に絡んで商売する夢が実現する…」
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