第30話

文字数 1,686文字

第三部

              30,
「とみこ、な、ゆみおばちゃん、こわい」
由美子に殆ど世話をして貰えず、日に々に痩せ細り、そして次第と富子の顔から生気が消えて行く。
 姉二人を喪う、ほんの数十日前まで、定信の面影を何処かに遺して、二人の姉に金魚の糞のようにくっついて、周囲の好奇と奇異の目に曝されながらも、突然に変わった環境の中で、何んとか慣れようとしているのが、姉妹たちの様子に時に見えていた。
 だが、その姉二人を喪ってからの富子は、悪い病気にでも罹ったように、顔から、子供らしい、生命の勢いのようなものが消えて行く。
 鹿木は、この娘ら三人が、父親定信を亡くしてからも、また止むなくこの島に引っ越して来てからも、出来るだけ関わりたくなかったし関わろうともしなかった。この子らの面倒を見、世話を焼くのは、義理とは云え、由美子が母親役を務めるべきだと思っていた。
 だが、由美子には、全くその気が無く、日がな一日中、町の診療所に入り浸って、表向き付き添い、しながら、夜な夜な、吉信の下の世話を焼いている。
 仕方なく、また鹿木自身に何かしなければならないことが有る訳も無く、時に、動こうとしない富子を無理に連れ出すようにして、島から出て、町で菓子や飲み物を買って与えたり、こうして、磯に降りて、潮遊びをさせてみたりするようになった。
 初めの頃は、何を与えても、それが余程気に入らないのか、それとも他に欲しい物があったのか、全てを富子は拒否した。
 それでも、何度かこうして外に出るようになり、富子が指さす菓子や飲み物を買い与えて、砂浜の、小さな岩に腰掛けて食べていると、その顔に僅かながらにでも、子供らしい可愛い笑みをふと見せたりする。
 その富子が、波打ち際で、小さな蟹を小さな指で摘まみ上げて、そんなことをぼそりと云った、鹿木は、自分の腹の内を見透かされたようで、一瞬、冷やりとした。
 鹿木は、自分は、結果はどうであれ、この三姉妹を殺そうとし、既に二人の姉の命を奪った張本人だった。今猶、生き残った富子を殺害して、富子に集中した定信の遺産を横取りしようと虎視眈々狙っている大悪人、好い人の面を被った、赤ずきんちゃんの話に出て来る狼だった。
「おばちゃん、ね、とみこ、みるとき、いつもこわいかおしてる、こわくて、とみこ、なきたくなる…」
 富子の訴える由美子の、あの鬼のような形相、鹿木自身も何度も目にしている。あんな顔を幼い女の子が見れば、それこそ、絵本に出て来る鬼より恐ろしいに違いない。
 富子は知っているのだ、自分達を囲む大人たちは皆な、自分達を殺して食べようとしている狼、ばかりだと判っているのだ。富子が恐ろしいのは、由美子一人だけではない、富子は、自分も、大人たちに、いつかお姉ちゃんたちと同じように、真っ黒に焼けて死んでしまうことを予感している。富子の小さな胸は、その恐ろしさで張り裂けそうになっているに違いない、誰かにしがみついて泣き叫びたくてたまらないのだ。
だが富子はぼそっと、
「ゆみおばちゃん、こわい」
とだけ云った、助けて、と本当は訴えたかったのに違いない、だが、鹿木のことも、そこまで甘えられるひとかどうか富子には分からない、だから富子は、ぼそっと、云って、鹿木の反応を窺った、のだ、鹿木のおっちゃんが、とみこの敵か味方か…
 鹿木は、不意に胸が震えて止まらなくなった、俺はいったい、何を考えている…何を、こんな幼い、自分に救いを求めるこんな小さな女の子に、この俺は、何をしようとしているのだ…?
俺は、ひとの子か?血も涙もない、ただの、バカの、銭の亡者のおっさんか?
鹿木は、波打ち際で、寄せる波で足を濡らし、掴まえた小さな蟹を放して、その行方を見守っている富子を抱きしめた、そして、鹿木は止めどなく泣いた、
「ごめんな、とみこ、おっちゃん、な、わるいおっちゃん、やった、とみこのこと、ほうったらかしにしてた、な。ごめん、な。これからは、な、とみこがちゃんとおとなになるまで、おっちゃん、ずっととみこのみかたになるからな、せやから、なにもこわがることないんやで、な…」
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