第11話

文字数 1,989文字

              11,
 遺言状により、定信の会社の経営を引き受けた鹿木公男だったが、大阪の事務所には定信の弟、吉信と、由美子の二人がいつも居着き、鹿木の一挙手一投足を監視していた。
 多岐にわたる定信の事業の全てを、何から手を付ければよいかも判らず、また何か一つの系統の事業を知ることからはじめてみようと、その初歩から手を付けてみたが、その業務の流れを把握するだけでも鹿木には難事であったが、横の机で、一日の大半をたばこばかり吹かして過ごす吉信は鹿木に訊ねられても、顔の特徴である、やや突き出た口を更に膨らませるだけで、鼻の穴からたばこの煙を天井向けて噴き出すだけで、明らさまに無視し、その吉信の監視するような視線を怖れて従業員は机にかじりついて忙しいふうを装い、鹿木の質問に誰も応えようとしなかった。こんな状態で、鹿木は何事にも手を付けられなかった。
 県会議員としての仕事もこなさねばならず、県議会出席の為に地元に戻らねばならず、どうしても会社を留守にすることも多くなり、結局はどっちにも中途半端な対応しか出来ず、定信から委託された事業継続は次第と委縮し始め、また地元に金を回さなくなった鹿木議員に対し、選挙民は冷ややかな目を向けるようになり、次第と離れた。

 恐れていた結果、県議会議員としての鹿木への死の宣告が、愈々明日の朝、いや、今夜半には言い渡される。
(結局、俺は甘ちゃんだった、商売に才はなく、政治家としての能にも欠けていた…)
明日の朝、夜明けを待ちかねて、玄関には銀行や、農協の担当者が大挙押し掛け、裏口には闇金融の恐ろしい男達が、逃げ出してくる鹿木の首根っこ掴まえんと待ち構えていることは火を見るよりも明らか、だった。
 全てが暗転した舞台の上で、次に鹿木がしなければならない役どころは、木の枝に垂らした縄に首を突っ込む芝居、だけ、が残されていた。

 この期に及んで、鹿木は3日前、由美子と、何故か偶然事務所に二人きりになった時のことを不意に思い出した。由美子は、別室の、応接室に居た。それを知らず、鹿木は、体を休めようと応接室に入った。ソファに座る由美子の姿に気付いたが、入ってすぐ部屋を出るのも何だか逃げ出すように思えて、鹿木は、由美子の正面のソファに座った。由美子は鹿木をじっと見据えている。ただの一度もこうして互いに向き合ったことはない。
「お疲れ様」
と由美子が云った。遺言状披露の時に見た、鬼のような形相の印象が強く残っていた鹿木には、その何の意図も悪意もなさそうな軽い声掛けに、鹿木の緊張は少しばかり解れた。
 だが、2,3日後に確実に訪れる、死を宣告される瞬間、その恐怖に思考の全てが雁字搦めに捉われた鹿木は、一旦解れた心も、忽ちに元の通りに凝り固まってしまった。
「あんた、どうするつもりなん?このままじゃ、会社、潰れてしまうよ」
この言葉で鹿木の心は更に深い闇に落とされた。
その時、何故か、何の脈絡もなく、定信の死後、看護師からの訴えを思い出した、
「姉さん」
鹿木は、定信を兄さんと呼んでいた都合上、そう呼んでいた、
「姉さん、俺はもう金、使い果たして、一銭も無い、月末の手形の約定日に宛がう金はもう一銭も残ってない。姉さん、金、貸してくれ、姉さんの持ってる土地、それか娘らの持ってる土地のどれか、担保に出して貰えたら、この先、何か月かは持ち堪えられる。その間に、色々手配して、その担保で借りた金を返して、担保を外す」
「何を寝惚けたこと云うてんの…そこまであんたが言うんなら、もう、あんたもこの会社も終わりや云うことね。でも、あんた、悪いけど、それ、諦めて、うち、娘3人抱えて、これから何年も生きて行かなあかんねん、うちら親子、定信さんから享けた土地だけを頼りにこれから先、何年も生きていかなあかんのや。悪う思わんといて」
と云って、由美子は立ち上がり、応接室を出ようとした、
「兄さん死んだん、あんたに、毒、飲まされたからや、俺、知ってんね」
由美子の体が一瞬、凍り付いたように固まったのが判った、由美子は、遺言状披露の時に見せたと同じ鬼のような恐ろしい形相で鹿木の顔を睨みつけた、
「何云うてんの、あんた、しようもないこと云うてたら承知せえへんぜ、吉信さんに云いつけたら、あんた、エライ目に合わされるんやで」
「俺は、別に今更エライ目に合うてもどうってことない、後何日かしたら、もっとエライ目に合わされるんや。半殺しにされて、最後には簀巻きにされて、どっかの橋の上から突き落とされるんや。せやけど、こないなったら道連れや、誰もかれも。ほな、姉さんも、覚悟しときや、簀巻きにされる前に、ちゃんとした証拠持って、警察寄って来とくんで」
「何やの、その証拠て、ちゃんと言うてんか」
「警察行って全部云う」
事務所に従業員の声が聞こえた、由美子は、ドアを開けて出て行った。

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