第9話

文字数 2,253文字

             9,
 鹿木公男は役所を辞めた。商売は、順調に軌道に乗って利益も予想を遥かに超えた。全て上村定信の指示通りに動いた。山の木の伐り出しから、製材、搬送、それに付随して造船業、島に転がる二束三文の小石や、砂、それに小岩が、街の住宅建築ブームに乗って、浜が消滅するぐらいに売れた。寂れ、死んだように冷え切っていた近在の町々が一気に蘇生し、活況した。
 定信から、今や、と連絡があった。鹿木は町議選に出た、トップ当選、だった。あれ程に、本家、惣領家を侮辱していた人々だったが、遥か遠くで見掛けても、鹿木に手を振った。 
 日の出の勢いに、金の匂いに誘き出されて、県議会議員らがしきりと鹿木に接触してくる。やがて、地元で最有力の県会議員と鹿木は結託した。この県会議員は、次期県議会議員選挙には、自分の息子よりあんたを党県連から推薦する、とまで約束した。当然大金がこの議員の懐に納められた。鹿木は無事一期目当選した。

 いざなぎ景気もそろそろ天井が見え始めたか、と予想する新聞記事を鹿木は、暗い表情で読んでいた。時に顔を合わせる上村定信も、この頃は景気先行きを悲観的にみていた。定信は云った、
「ま、また、マイマイ(かたつむり)みたいに出した角引っ込めて、暫くは様子見や、しようない」
云いながら、その顔にはまだまだ余裕の色が見えた。
 その数日後、飛んでもないニュースが日本列島を走り抜けた。
ロッキード事件。時の総理大臣田中角栄が、汚職で逮捕。冷え始めていた日本の経済は、この逮捕をきっかけにまさしく長い冬眠期に入り、その寒さと飢えに耐えられず多くの企業が凍えて死んで行った。
 県議に当選したばかりの鹿木でも、田中角栄の下で、甘い汁を吸い、税金を横取りしていたと対抗野党議員から吊るし上げられ、鹿木の地元民は、無知ゆえ報道に煽られてこの種の記事を鵜呑みに信じて、忽ちに鹿木は嫌悪された。
 上村定信が、病を患い、取り敢えずは弟の吉信に事業を任せて、大阪から、鹿木本家から担保にとってあった島の一つに移り来て、そこに邸を構えて養生することになった。
 定信は見舞いに来た鹿木公男を外に連れ出した。玄関の扉の影に、由美子が見送る姿が隠れ見えた。その眼差しは定信の痩せ細った体を案じているように見えた。
二人は海の景色を眺め下ろせる辺りまで歩いた、定信は吐く息も辛そうに呟いた、
「ほんまは、お前にやって欲しかったが、お前も今はそれどころやないのは判っとる、ちょっと頼りないが、吉信に暫く、会社、面倒見させる、せやけど、急の時は、お前が代わりにやったってくれ、ほんまのとこ、おまえにしか頼られへん」
癌、だと、定信は云った。二人は暫し、海の景色を見たまま沈黙した。やがて定信が云った、
「弟の吉信は、親父の妾の子、なんや。ワシも殆ど一緒に暮らしたことがない。ま、大学は出とる、みたいやが、普通の世間の会社では、ま、何の役にも立たん、身内から見ても、どうしようもない奴や。
 偶にややこしそうな連中が吉信を呼び出しに来る。銭だけは死んだ親父が持たせとったようなんで、その金にたかって来とるんやろ。ま、何れはどこかに追い出すつもりやが、その代わりがおらん。ほんまはお前に全部譲りたい、こんなときやからこそ、お前に代わりやって貰いたい。  
 せやけど、今は、無理や、今、お前をこの地元から連れ出したら、足を千切られた蟹みたいなもんや、前にも後ろにも、右にも左にも身動き出来へんなる。今になって後悔しとる、初めっからお前を大阪に置いといた方が良かったんやないか、と。しようない、今更、云うても、な」
頬の削げ落ちた定信は海を見たまま、自嘲するような笑いを浮かべた。
「もう一つ、お前に云うとかなあかん。ワシの嫁、由美子、な、何や最近、変な動きしとるんや。それも、吉信とつるんで、何か企んでるふうなんや。あいつらが企む云うたら、ワシの財産、ワシ死んだらそのまま二人で持ち逃げしようと考えてるんやろ思う。
由美子は元は新地の飲み屋の女、なんや。実を云うと、由美子、まだ籍に入れてない。一時はワシも若気の至り、熱うなって見境いつかんで、正式に嫁にしようとしたが、親父が絶対許さへんかった。当時は恨んだが、今となっては感謝しとる。
 由美子はワシには目もくれん。佳代、佳子も、末の富子も皆な死んだ益美の子や。この3人は未だに由美子をおばちゃんと呼んで懐こうとせん。娘らを見る由美子の目は鬼婆みたいや。由美子と吉信がワシの財産狙うてることは間違いない。
 そこでや、ワシはいざという時のことを考えた、その時がいつ来てもかんまんように、弁護士に遺言書作って貰うた、財産分けの目録、みたいなもんや。
内訳は、3人の娘に半分、残りの半分の半分、4分の1をお前に、その残った8分の1毎を吉信と由美子に遺すことにした。8分の1云うても金に換えりゃ大概の額になる。そこで土地や山売って出る現金は娘やお前に、お前には事業の権利の殆どや、それに由美子と吉信には不動産の一部、せやけどそれ処分するには、お前の署名が要るように遺言書に書いた。揉めるやろ、多分。せやけど、妥当なところや。要するに、後のことはお前に任せる、て書いた遺言書や。
 お前にはワシらの先祖が築いてきた土地や山を守って貰い、本家鹿木家の復興という大仕事をして貰わなならん。お前の親父が手放した山や土地も取り返して貰わなあかんからな。再興出来んかったら、ワシ、死んでも親父に顔向け出来へん、お前かて一緒や」
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