10-2

文字数 2,347文字

 それから三十分後、二人は堤防の斜面に座っていた。互いに荒い息をしている。桑水流は自分のバッグからドリンクを二つ出して、一つを鰐十郎に渡した。
「まあ、飲めよ……本気でやったのは久しぶりだが、気持ちが良かった」
「確かにな、でもこれで俺の方が強かったって証明されたよな。大会では負けたけど、実際は俺の方が強かった」
「何言ってんだよ、おまえ。頭以外に眼にも障害でもあるんじゃないか。俺が取ったポイントが五、おまえの取ったポイントが四。どう考えても俺の勝ちだろ」
「おまえこそ眠りながらやってたのかよ、俺が五でお前が四だ」
「いやいや、それは違う……」
 その後延々とレベルの低い言い合いをした後、桑水流が言った。
「まあ、考えて見りゃどうでもいい事だけどな」
「うん、確かにどうでもいい」
 そのままなんということもなく同時に立ち上がり、なんということもなく手をあげて別れた。四年ぶりの再会にしてはあっけない別れだったが、それから暫くして、また同じ場所で桑水流と再会した。
 例によって勝った負けたの話から、続きをやろうということになり、再び練習試合をする。そうしたことが何度か続くうちに、次第に打ち解けてくる。軽く手合わせをして汗を流し、その後堤防の斜面に座って話をするのが恒例になり、数か月が過ぎた。
「言っておくが、俺は当分ここには来られないからな……」
 ある日、桑水流がドリンクを飲みながら言った。
「もともと約束があるわけじゃないから、それはどうでもいいが、またどうして?」
「新人戦だよ、いい成績をとるための準備が大変なんだよ」
「だって、おまえもう関係ないだろ」
 鰐十郎は桑水流と初めて対戦した時の事を思い出していた。鰐十郎が高校二年、桑水流が高校一年、結果はドクターストップがかかり桑水流の勝ちとなったが、あれから既に四年以上の歳月が流れているのだ。
「俺らの組織じゃそうはいかないんだよ。俺は新人戦の総責任者に選ばれた。俺に課せられた課題は、完全優勝だ。いや、課題じゃないな。絶対的な命令かな」
 あの年は団体戦も個人戦も天界黒竜空手が優勝した。それ以後もいい成績をあげているものの個人・団体を制する完全優勝からは遠ざかっている。
「でも結局は指導者ってより、本人の資質の問題だろ」
「おまえ、ヒエラルキーって言葉知ってるか?」
「いや……」
「階級制度のことなんだが……親父の説だとその頂点にいるのが金持ちで、その他大勢は労働者、そして労働者にもなれないのが乞食。人間はその三種に分類されるんだそうだ。そして、誰もが金持ちを目指すが、そこに辿り着けるのはほんの一握りに過ぎない。その他大勢は労働者として金持ちを支える存在になる。ゆくゆくは金持ちになることを目指してな……。だが、それは最悪の道らしい。なぜなら労働者はルールにがんじがらめにされて、金持ちを支えるためだけの存在になってしまうからだ。当然金持ちになれる可能性は万に一つもない。金持ちになれないなら、乞食になれ……これが親父の哲学だ。乞食は金持ちと同じで自由な時間があり、ルールに縛られないからな。運と力さえあれば、やがて金持ちへの道も開ける」
「なんかよくわからん話だな……」
「確かにな……。俺もその時はよくわからなくて、その労働者ってのはどいつだって訊いたさ。そしたら、親父は周りの人間をグルリと指さし、全員だって言いやがった。
「その親父さんは金持ちってか」
「その通りだ。だが、今になって俺は親父の言いたかったことがよくわかる。労働者は下からは突き上げられ、上からは押さえつけられる。苦労ばかり多くて報われないってな。俺はこの年にして労働者の悲劇を体感してるってことだ」
「突き上げって、下の奴らが反抗するってことか?」
「いや、それは無いんだが、下の奴らの成績は俺の責任になるんだよ。今度の大会でいい成績がとれなければ俺の責任になる」
「何だよ、そりゃあ……」
 呪流柔術では考えられないことだ。鰐十郎も『県空手道大会新人戦』に行くつもりだが、あくまでも応援団としての参加だ。後輩たちに励ましの言葉をかけ、勝ったら一緒に喜び祝勝会を開き、負けたら慰めるだけだ。
「おまえ、黒竜の四天王って言われてんだろ。そんなん、ガツンと一発かましてやりゃあいいんだよ」
「黒竜の四天王か……」桑水流は口許に変な笑みを浮かべた。
「その名称がどれだけ俺の足を引っ張ってきたことか。組織ってのは強さで序列が決まるんじゃないんだ。在籍期間で決まるんだよ。つまり強さに関係なく、先輩は先輩、後輩は後輩、その序列は不動のものだ。たとえばとんでもなく強い男が入門して来たとする。そいつはあっと言う間に先輩連中を追い越して昇段してしまう。だけど、上下関係は変わらないんだ。しかも、そいつが生意気と来ている。抜かれたヤツらがどんな態度を取るかはわかるだろ」
「わかんねえよ。強いものが弱いものを支配するのがこの世界のルールなんじゃねえの」
「おそらく、おまえんとこはそうなんだろう。人数が少ないから上も下も友達感覚でいられるんだ。俺んとこは悪い意味で組織だからな」
 鰐十郎はいきなり桑水流の胸にパンチをあてた。
「おい――」さすがに瞬時に反応する。「いきなり何すんだよ」
「もう、ごちゃごちゃとおまえの愚痴なんか聞きたくねえんだよ。ちょっと稽古つけてやるから、最後にもう一勝負しろ」
「稽古だと……馬鹿言うな。これまでさんざん手抜きしてやったが、俺の本当の恐ろしさを見せてやる」
「それはこっちのセリフだぜ。来いよ」
 二人は一緒に立ち上がり、先を争うように斜面を駆け下りる。
 早朝の清々しい風が河川敷を吹き抜けていった。
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