第15話 エクアドル(2025年)

文字数 3,333文字

(智子が、エクアドルのコーヒー園を回想する)

黄色いフィンチが、枝に止まっているのが見えた。

マリスカル・スクレ国際空港は、アメリカン航空マイアミ便の最終搭乗の案内を始めていた。空港は、出国する人で、ごったがえしていた。

ホセは、来なかった。電話もコールしているが、返事はない。

智子には、この飛行機に乗る以外の選択はなかった。

この飛行機に乗らなかったら、次は、いつフライトがとれるかわからない。最悪の場合には、出国できなくなるかも知れない。

エクアドルのコーヒー園の夢のような生活は1か月で終わった。

智子は、最初は、大学の夏休みにガラパゴスに行くために、エクアドルに来ていた。
ガラパゴス観光の後、バルトラ空港から、マリスカル・スクレ空港に戻るフライトの中で、初めて、ホセに出会った。ホセは、ガラパゴスで、生態系調査を終えて、キトに帰る途中だった。フライトで、智子は、ホセに、ガラパゴスの鳥の話をした。それは、最初は、単なる社交辞令のつもりだった。しかし、ホセの返事の説明は、驚くほど詳しかった。また、ホセの生態系調査にかける情熱がひしひしと伝わってきた。

ホセは、キトに戻って、来週からは、アマゾンの調査に行くけれど興味があったら一緒に行かないかと誘ってくれた。智子は、同行の和子に相談して、旅行の予定を変更して、アマゾンについて行った。

智子は恋に落ちて、ホセと、コーヒー農園のそばの家で暮らし始めた。ちょっと、一緒に暮らして、うまくいきそうだったら、日本に戻って、結婚しようと考えていた。
ひと月ほどすると、通貨の暴落が始まった。ハイパーインフレになった。

エクアドルは、貧しい人が多く、政治的には、貧困対策を掲げた政治家が選挙で当選することが多い。一方、実体経済の中心は、長い間、米国中心だった。2000年には、通貨のスクレが暴落し、通貨を米ドルに切り替えた。これは、独立国としては、異例である。その後、中国が、大きな貿易相手として、米国と肩を並べる存在になった。エクアドルの輸出の中心は石油だった。

脱炭素の流れを受けて、原油価格の、長期的な、低落傾向に歯止めがかからなかった。エクアドルは、中国の支援を受けて、水力発電ダムを建設して、電力を100%水力発電で賄う計画だった。2021年に米国の外交政策が大きく変わり、米国の外交政策は、対中国包囲政策にシフトした。中南米諸国に対しては、民間投資では、依然として米国との結びつきは強かったが、政府の関与は減りつつあった。中国は、ジレンマに陥っていた。高齢化、少子化の影響で、国内経済が停滞に向かうことは、明確だった。そのタイムリミットまでに、海外に市場を展開する計画が一路一帯であったが、2020年代に入って、2010年代ほどの大きな進展はできなくなっていた。それまでの融資の条件が緩かったこともあり、投資の回収の見通しが立たない案件が続出した。原油安もマイナスだった。こうして、投資を中断し、規模を縮小する案件が続出した。一路一帯を始めた頃、中国の投資規模の拡大速度や、融資条件の緩さに、驚く先進国も多かったが、実体は、中国に残された時間が少なかったからだ。国内市場が落ち込むタイムリミットまでに、海外市場を展開できなければ、経済は崩壊してしまう。2020年代中頃になって、中国の一路一帯は、タイムリミットまでに、市場開拓が間に合う案件や、国に投資を集中し、選別を始めた。

エクアドルは、原油価格の低下により財政危機に陥っていた。選挙で新しく選ばれた大統領は、一旦、米国向きになっていた政策を、中国向けに切り替えた。バーチャル人民元にリンクする形で、自国通貨のリクレを復活させた。中国は、エクアドルをタイムリミットまでに、獲得できる市場と判断して、集中投資を行なった。その結果、エクアドルの経済は、一時的に持ち直した。

米ドル経済下のエクアドルは、世界のリタイアした後で、住みたい国の人気の第1位だった。リタイアビザで、米国から移住したアメリカ人が4000人近く住んでいた。しかし、リクレ経済になって、リタイアした人の数は減りつつあった。

問題は、水力発電ダムから起こった。

脱炭素化の流れの中で、効率の良い発電デバイスが開発された。蓄電の方法は、水素で始まった物質電池の技術開発で、保存スペースの縮小、保存に伴うエネルギーロスが非常に小さくなった。こうなると大規模な送電網を維持するメリットが失われる。送電網は、需給ギャップの調整分だけで十分になった。水力発電は、キロワット当たりの発電単価が高く、効率の悪い施設になった。電気モーターで動く列車が出てきた時のSLのようなものだった。水力発電ダムや大規模な送電線は、環境破壊の代名詞になり、先進国では、撤去が始まった。エクアドルは、水力発電ダムの投資をまだ回収していなかった。借款の返済が済むまでは、水力発電ダムの運転を続けるしかなかった。水力発電に対しては、反対派の環境テロも発生し、送電線の切断も発生した。中国の経済が停滞しだし、輸出が減った。経済は回らなくなり、インフレになり、食料品などの物が手に入りにくくなった。

智子は、ホセと、一旦、日本に戻ろうと、フライトのチケットを押さえた。
このままインフレが続くと、2000年のエクアドルのように、財政破綻するリスクがあった。もっと悪くなれば、ハイチ、ベネズエラのように、難民が出る可能性もある。

ホセは、仕事の片付けを済ませてから、智子を追って、飛行場に行く予定だった。経済情勢は緊迫していたので、フライトを変更しても、次が予約できるのはいつになるのか、わからない状況になっていた。飛行場は、かなり混雑しているようだった。混雑によって、飛行場で待ち合わせしてもはぐれるかもしれない。遅くとも、離陸の1時間前には出国審査を受ける必要がある。待ち合わせ場所で会えない場合には、相手のことは気にせずに、出国審査を受けて、飛行機に乗れば、会えるだろう。こう考えて、チケットカウンター前での、待ち合わせは、離陸の1時間前までとした。

智子は、先に、荷造りをして、タクシーにのって、飛行場に向かった。智子はなんとなく胸騒ぎがした。

飛行場に向かう途中で、車が揺れた。地震があった。車の中からも、いくつかの建物にひびが入っているのがわかった。ともかく、早く、飛行場にいって、出国手続きをしよう。智子は、ホセに、スマホで、地震があったので、「チケットカウンターの前では待ち合わせはせずに、出国審査を済ませて、搭乗口で待つ」とメールを打った。

ホセからは、すぐに、「OK。今のところ予定通り」という返事がきた。

飛行場につくと、とんでもない人だかりができていた。飛行場の建物の一部は地震で損傷していたが、飛行場自体はまだ、機能していた。あまりに、人が多く、身の危険を感じたので、ともかく、手荷物検査をうけて、カウンターで荷物を預けて、出国審査を通り抜けた。
そこまできて、智子は、やっと一息ついて、空港の待合室のテレビの画面をみた。

テレビは、エクアドル・コロンビア沈み込み帯を震源とする地震が発生したと伝えていた。被害は、コロンビア国境近くが大きく、地震で崩壊した家屋が映し出されていた。
智子は、ずっと、日本に住んでいたので、国が崩壊して、難民がでるということは、今まで、想像したこともなかったが、南米では、過去の数度、経済崩壊した国があり、経済が極端に悪化すれば、国家破産は、想定内のことだった。この地震の被害の程度によっては、通貨のリフレが再び使えなくなることも考えられた。地震で、情報網が途切れて、地震全体の被害はわからなかった。

智子は、搭乗口で、ホセを待つことしかできなかった。

アメリカン航空マイアミ便の最終搭乗の案内を始めていた。空港は、出国する人で、ごったがえしていた。ホセは、来なかった。スマホでもコールしているが、返事はない。
智子は、重い足を引きずって、マイアミ便にのった。
搭乗口のドアが閉まった。しばらくして、飛行機は離陸した。

この地震の結果、エクアドルのリクレ経済は再び崩壊した。地震は、2つの水力発電ダムを崩壊させ、ダム津波が起こっていた。
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