第9話 バーチャル体験(2035年)

文字数 2,236文字

(智子が最近のバーチャル体験のことを思い出す)

「バーチャル・ツールとの連動」と聞いて、智子は、最近のバーチャル体験のことを思い出した。3年前に、今のバーチャル会議でも使っている高性能ゴーグルが普及して、バーチャルの世界に激震がはしった。

高性能ゴーグルは非常に軽く、体験に熱中するとすぐに、装着していることを忘れる程だ。実際に、バーチャル体験が、ここまで、世の中を変えるとは、智子も想像できなかった。

人気があるバーチャルアプリは、「アインシュタインに学ぶ物理学」、「ニュートンに学ぶニュートン力学」、「ダーウィンに学ぶ進化論」といった教育アプリだ。こうしたアプリでは、バーチャル空間で、アインシュタインが講義をして、質問に答えてくれる。アプリが出た当初は、講義がなんとなく、ぎこちなかったり、質問の答えがずれていたりしたが、質問のデータが集積し、アプリが学習した結果、現在では、人間の教師より優れているという評価が大勢である。

歴史ツアーを使った教育アプリも人気がある。世界史10大事件アプリでは、フランス革命の現場を再現して体験できる。ただし、フランス革命のギロチン、シーザーの暗殺、戦争場面など、血生臭い場面や、暴力場面は、教育用アプリでは制限がかかっている。

観光地のプロモーションビデオの代わりに、一部空間をバーチャルで再現したプロモーションバーチャルは無料でも提供されている。これは、ソフト会社の宣伝と、観光地の宣伝を兼ねている。

本格的なバーチャル・ツアーにも、特定のファンがいる。徒然草には、「仁和寺にある法師」の話が出てくる。観光地に行くときに、ガイドがいると、自由に時間を使えず、煩わしい。かといって、ガイドなしで、初めての土地に行くと、仁和寺の法師のように、肝心なものを見落としてしまう失敗をすることも多い。スマホの道案内に従って移動する方法もあるが、これは、交通事故やスリにあうリスクがある。バーチャル・ツアーで、事前学習しておけば、見落とし問題は解決できる。最近の流行は、10分の1ツアーである。これは、バーチャル・ツアーで気に入ったところだけ、リアル・ツアーをする方法で、時間の節約にもなる。10分の1という名称は、リアル・ツアーの比率が、バーチャル・ツアーの10分の1であることからつけられた名前である。10分の1ツアーが人気が出た一つの理由は、バーチャル・ツアー10箇所を購入すると、リアル・ツアーは1箇所ついてくるというビジネスモデルである。これは、江戸時代の伊勢講に似ている。バーチャル・ツアーの料金には、リアル・ツアーの料金の10分の1が含まれていて、バーチャル・ツアーをしながら、リアルの旅行代金を積み立てることができる仕組みだった。

最近、バーチャルツアーの中の女性に、一目惚れして、現地に行って同じ人を見つけて、プロポーズして結婚したという人が出て話題になった。バーチャルツアーの中の人物は、顔が見えていれば、何人かのデータから理想的な部分を抽出した合成人物だし、無修正な人は、後ろ姿しか、写っていない。だから、普通に考えれば、一目惚れすることはあり得ない。この人は、後ろ姿に一目惚れしたのだろうか。


変わったところでは、お葬式がある。バーチャルお葬式については、新興宗教が、最初に、動き、その後、いくつかの宗派も対抗して利用を始めた。お葬式は、ここ10年で激震がはしった分野だった。一昔前には、お葬式は、葬儀会社が仕切っていた。これに対して、宗派は、バーチャルを使って、信者を増やす試みを行なった。この場合には、費用が度外視される。宗派は、費用は持ち出しでも、信者が得られれば、長期的には、元が取れる。こうなると、非常に安い費用で、非常に高度なリアルの表現が実現する。人気があるのは、自分のお葬式に、喪主に代わって、自分で挨拶する方法である。これは、生前に、挨拶用のデータをとっておき、お葬式にきた人に、自分でお礼の挨拶をする方法である。本人も、お葬式にきた人もバーチャルであるが、肝心の本人は、亡くなっているので、宗派が代わりに操作する。恐山のイタコのバーチャル版である。この方法は、お葬式以外に、お盆でなどでも使われている。

バーチャル・グラスの出始めには、24時間、グラスをつけっぱなしのような利用が想定されたが、そうはならなかった。普及が進んだのは、性能規格とインタフェースの標準化が進んでからだった。

性能は、グラスのハード性能だけでなく、3D CGで再現される人間のリアリティにも依存する。このときに、美化した再生が行われる。これをどこまで行うかは難しい課題である。アラフォーの女性を20代のデータで再現すれば、嘘っぽくなってしまう。だからといって、40代そのままのリアルな再現は喜ばれない。目立たない範囲で、シミをとることが望まれる。そのレベルは、人によって異なる。結局、試行錯誤の後にある範囲に落ち着いている。ユーザーは、微調整と大調整の2つのスライダーを使って、美化できる。ただし、ユーザーの8割は、微調整だけを好んだ。恐らく、Ms.Smithも、微調整機能は使っているはずである。逆にいえば、お化粧は、ヴァーチャル会議では、不要になっている。智子は、今日はリアルで出勤しているので、お化粧はしているが、お化粧崩れの心配をしなくて済むように、微調整機能はONにしていた。

Ms.Smithのことを思い出して、智子は我にかえった。

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