残念系上司と残念系部下の仁義なき争い(不毛) 1
文字数 1,741文字
中庭に立ったカインが打ち込んだ拳の辺りには、何もない。
だから感触など感じるはずがなかったが、確かに手応えはあってカインは深呼吸する。
無駄に叫んでしまったが、本当は叫ぶ必要など一切ない。無言で適当に触れたって同じことは起こる。何が起こってるのかの詳細こそ見えなくても、それは絶対に起こる。敢えて叫んだのは、こっそりとやるのは趣味じゃないという性格的な問題もあったが、念のため頭上の面倒臭い奴に行動を知らせる意図もあった。
もちろん頭上の誰かさんが、叫んだことに気づかない可能性だってあるけれど。
否、ありえないか。
常人ならばまだしもセフィラ、それもあのケテルに対して、そんな可能性を考慮する方が怒られそうな気がする。
それを証明するように、カインのすぐそばで軽い音が響く。飛んできた小石でも落ちたかのようなその音の主を確認するよりも前、カインはアベルに声をかけた。
「セトが探してんじゃね? 早くお勉強に行ってきな」
解析本殿には、別棟になるが、解析士を目指す子どもたちが集って学ぶ学校のような場所がある。
呼び寄せ一緒に暮らし始めた実の弟アベルと、ついでに縁あってカインの弟になったセトが現在そこに通っているから、平日における講義の開始と終了の時間くらいは把握していた。学校開始のその直前にアベルが一人でここにいた理由は不明だが、学校に遅れるのは良くない。
ケテル付きになって以降、学校に行くことのなくなったカインだからこそ、弟たちには普通に学校生活を送って欲しかった。
現状の異常さはもう仕方ないとして、弟たちは出来るだけ真っ当に生きさせたい兄心だ。
「うん……じゃあ、行くね?」
見えない目でもしっかりこちらの方を見て手を振り、ケテルの方には頭を下げて、危うげないしっかりした足取りでアベルが去って行く。
視界ではほぼ何も見えないのは確かだが、この本殿と学校の方では解析による道しるべのようなものが隅々まで設置されていて、それによって見えているのと同じように安心して歩けるのだとアベルは言っていた。
それを整えたのは他でもないケテルである。
「まったく。朝から教育に悪いもの見せたくねーのによ」
「ここにはそんなものはない」
文句を垂れていたら、背後から偉そうに断言する声。
さっきまでのそれと違い、今は間違いなく肉声である。
声だけならびっくりするくらい綺麗なのに、それが紡ぐ言葉の多くが悪口雑言暴言脅し……という、そりゃもう残念な存在だ。
「お前っつー最も情操教育に悪い実例があるじゃねーか」
「馬鹿か。このオレを見習い勉学に励むのが子どもらの目標だろう」
振り返らずともわかる。
確実にこの傲岸不遜唯我独尊のアホケテルは、胸を張って大真面目に答えていると。
そして悲しいことに、この国においてこのセフィラの妄言に異論を唱えられるようなものはほぼいない。カインだって、実物を知るまでは多分そんなことをしようとは思わなかっただろう。セフィラといえばもっとなんか凄く完成された偉人のような印象があった……今ではそんな過去の自分を殴りに行きたい。
「うちのアベルとセトには絶対許しません」
今はどっちもそれぞれ可愛い性格の弟たちが、こんなアホを見習って可愛くなくなる日が来るかもと思うとぞっとする。
兄ちゃん、それだけは全力で阻止するぞ、と心の中で決意を新たに宣言したが、背後の誰かさんがふんっと鼻で笑うのが聞こえた。ちゃんとこちらに聞こえるように笑っているのは、疑う余地もない。
いちいちやることが腹立たしいのは生まれながらのお偉いさんゆえか本人の資質か。他のセフィラを知らないカインとしては判断がつきかねる。
「無駄なこと。あやつらはお前のように阿呆ではない。学ぶほどにオレの偉大さを知るだけだ」
「俺も学んだ上でこうなってるんですけどねぇ〜っ!?」
振り返ればそりゃもう、憎々しい感じに不敵な笑みを浮かべた秀麗な顔。カインよりちょっと高い位置にそれがあるのが、また気に食わない。年中本殿に籠っている引きこもりの癖に、その体躯は完成された理想的な大人のソレだ。腹立たしい。
艶やかでさらっとした黒く長めの前髪の向こうに見える青い目を睨みつつ、カインは嫌々ながら相手の腕をがっつり握った。
だから感触など感じるはずがなかったが、確かに手応えはあってカインは深呼吸する。
無駄に叫んでしまったが、本当は叫ぶ必要など一切ない。無言で適当に触れたって同じことは起こる。何が起こってるのかの詳細こそ見えなくても、それは絶対に起こる。敢えて叫んだのは、こっそりとやるのは趣味じゃないという性格的な問題もあったが、念のため頭上の面倒臭い奴に行動を知らせる意図もあった。
もちろん頭上の誰かさんが、叫んだことに気づかない可能性だってあるけれど。
否、ありえないか。
常人ならばまだしもセフィラ、それもあのケテルに対して、そんな可能性を考慮する方が怒られそうな気がする。
それを証明するように、カインのすぐそばで軽い音が響く。飛んできた小石でも落ちたかのようなその音の主を確認するよりも前、カインはアベルに声をかけた。
「セトが探してんじゃね? 早くお勉強に行ってきな」
解析本殿には、別棟になるが、解析士を目指す子どもたちが集って学ぶ学校のような場所がある。
呼び寄せ一緒に暮らし始めた実の弟アベルと、ついでに縁あってカインの弟になったセトが現在そこに通っているから、平日における講義の開始と終了の時間くらいは把握していた。学校開始のその直前にアベルが一人でここにいた理由は不明だが、学校に遅れるのは良くない。
ケテル付きになって以降、学校に行くことのなくなったカインだからこそ、弟たちには普通に学校生活を送って欲しかった。
現状の異常さはもう仕方ないとして、弟たちは出来るだけ真っ当に生きさせたい兄心だ。
「うん……じゃあ、行くね?」
見えない目でもしっかりこちらの方を見て手を振り、ケテルの方には頭を下げて、危うげないしっかりした足取りでアベルが去って行く。
視界ではほぼ何も見えないのは確かだが、この本殿と学校の方では解析による道しるべのようなものが隅々まで設置されていて、それによって見えているのと同じように安心して歩けるのだとアベルは言っていた。
それを整えたのは他でもないケテルである。
「まったく。朝から教育に悪いもの見せたくねーのによ」
「ここにはそんなものはない」
文句を垂れていたら、背後から偉そうに断言する声。
さっきまでのそれと違い、今は間違いなく肉声である。
声だけならびっくりするくらい綺麗なのに、それが紡ぐ言葉の多くが悪口雑言暴言脅し……という、そりゃもう残念な存在だ。
「お前っつー最も情操教育に悪い実例があるじゃねーか」
「馬鹿か。このオレを見習い勉学に励むのが子どもらの目標だろう」
振り返らずともわかる。
確実にこの傲岸不遜唯我独尊のアホケテルは、胸を張って大真面目に答えていると。
そして悲しいことに、この国においてこのセフィラの妄言に異論を唱えられるようなものはほぼいない。カインだって、実物を知るまでは多分そんなことをしようとは思わなかっただろう。セフィラといえばもっとなんか凄く完成された偉人のような印象があった……今ではそんな過去の自分を殴りに行きたい。
「うちのアベルとセトには絶対許しません」
今はどっちもそれぞれ可愛い性格の弟たちが、こんなアホを見習って可愛くなくなる日が来るかもと思うとぞっとする。
兄ちゃん、それだけは全力で阻止するぞ、と心の中で決意を新たに宣言したが、背後の誰かさんがふんっと鼻で笑うのが聞こえた。ちゃんとこちらに聞こえるように笑っているのは、疑う余地もない。
いちいちやることが腹立たしいのは生まれながらのお偉いさんゆえか本人の資質か。他のセフィラを知らないカインとしては判断がつきかねる。
「無駄なこと。あやつらはお前のように阿呆ではない。学ぶほどにオレの偉大さを知るだけだ」
「俺も学んだ上でこうなってるんですけどねぇ〜っ!?」
振り返ればそりゃもう、憎々しい感じに不敵な笑みを浮かべた秀麗な顔。カインよりちょっと高い位置にそれがあるのが、また気に食わない。年中本殿に籠っている引きこもりの癖に、その体躯は完成された理想的な大人のソレだ。腹立たしい。
艶やかでさらっとした黒く長めの前髪の向こうに見える青い目を睨みつつ、カインは嫌々ながら相手の腕をがっつり握った。