首都ロヒムの日常

文字数 2,324文字

 いつからそれが当然になったのか。
 怒りもあらわに建物内を駆け回る青年の姿を、見かける解析士たちは誰もが同情的な視線を寄越すものの、特に声をかけることもしなければ邪魔をすることもなく見守っていた。
 あれを邪魔すれば「どっちにせよ」面倒なことになることは周知の事実だったからだ。
 青年本人に不快に思われる分には、立場的にほぼ全員が青年よりも上であったため、階級差的な意味では特に気にするほどでもない。だが青年がここで自由に振る舞うことそのものがあのお方の意志ともなれば、それを邪魔するのはあのお方の意志に逆らう事になる。
 他はどうか知らないが、少なくともこの場所に勤める解析士でそんな命知らずはいない。
 それこそ、当の青年くらいなものだろう。
「何であいつ毎日毎日サボれる訳!? 責任感とかねぇの? おかしくねぇ?」
 ぶつぶつ文句を言いつつ、青年の茶色の目は鋭く周囲を見回し続ける。
 居ればすぐに判るはずなのだ……あんな気配からしてアホみたいに目立つものを、青年は他に知らない。それこそ視界の隅に映っただけで気づける自信がある。
 なのに毎度簡単に見つかってくれないし、今日も時間は無くなっていく。
 サボっているのはアレの勝手としても、青年は己の責任感と義務感において理由なきサボりなどという行為を絶対に許す気は無かった。だから今日も疲れるのはわかっていて駆け回っている訳で。
 この場所に勤める解析士たちなら追跡用の独自解析でも構築してもっと楽に探しそうなものであったが、相手がアレと思えばそんなものに何の意味もなさそうである。作ったその場で利用されるか破壊されるか、どちらにせよ赤子の創作物のごとく捻り千切られるのだろう……その際の高笑いまで容易に想像できてしまって青年は目を同じ色をした茶の髪をぷるっと振った。
 本当ロクでもない。
 これだから地位のある人間は嫌いなのだ。
「まぁアイツの場合人間かどうかが怪しいんだけどな……いてっ!」
 ぼそっと呟いたら頭上から何かが落ちてきて頭に当たった。
 そんなんで足を止めたりはしないが。
「いちいち嫌がらせで建物壊してんじゃねーよ陰険野郎……いってぇ!」
 さっきよりも大きめのカケラが頭に当たって流石に足を止めた。足元には拳くらいの大きさの平べったい壁のカケラ、見上げれば同じくらいの穴が天井に空いている。もちろん自然に劣化したなんてものじゃない。そもそもこの建物、その辺の民家のような造りはしていないのだ……普通の力ではヒビだって入らないものだ。
 それをまぁ次から次へポコポコ破壊して。
 これは早く見つけなければ、今日も修繕係の解析士たちが泣きながら残業することになるかもしれない。
 あーちくしょう、とカケラを蹴り上げ再度走り出した青年は、中庭に面する回廊まで来たところで強力な味方を発見する。
「あ、アベル!」
 青年が名前を呼ぶと、アベルと呼ばれた少年が振り返った。
 青年と同じ色の目は焦点が合っていないが、確かに青年の方を見て少年は微笑む。
「なーアベル、アイツ知らねぇ?」
 その目の前まで行って足を止め青年は問いかけた。長く走りすぎてはぁはぁと息が荒い青年を前に、少年は苦笑しながらそっと斜め上を指し示す。
 中庭の、その更に上……空の方。
 素直にアベルの指先へ視線をやった青年は、遥か彼方人影に見えない位離れた先に、ようやく目的の相手を見つける。
「あ〜いっつは! また何処行ってんだあのアホ! 何とかは高いとこ好きってマジ……いてぇっ!」
「兄ちゃん……」
 また頭上にカケラが落ちて悲鳴をあげた青年に、アベルが呆れたような声を出す。その目はぼんやりした光程度しか映していないから何が起こっているかは見えていない筈だが、賢い弟がおよそ全部理解しているだろうことを青年は特に疑っていない。
 見えてない弟に向かって苦笑いして、自分とそっくりなその髪をくしゃっと撫でた。

 世界有数の解析先進国ヤーフェ、その首都ロヒム。
 世界に散る、生まれながらに特別な解析士である存在ーーセフィラを常に擁する大都市。
 その中にある、セフィラが暮らす住居でもある解析本殿と呼ばれる巨大な建物。

 彼ら兄弟がここに来たのは然程昔ではない。
 というかカインに限って言葉を正しく使うなら「連れてこられた」だろう。犯罪者を拘束するかのごとき拒否権のない連行をされ、現在は不服なままで本殿のとある仕事を与えられている青年が、それでも大人しく従っているのは、目のほぼ見えない弟にとって最善の環境がここにあるからだ。
 認めるのは非常に腹立たしいが……そうなるように、アレが本殿をまるっと作り変えたらしい。
 唯々諾々と言うことをきかない青年に対し、その弱点たる弟を容赦無く突いてくる精神は、全くもって人間と思いたくない鬼畜の所業である。が、少なくともこの中で暮らす分には、街中よりもずっと楽に弟は暮らせるし……癪であるが、街中で青年が出来るどんな仕事よりも今の賃金の方が高いので、今後も成長が見込まれる弟たちにかかる費用を思えば安易に辞めて飛び出すこともできなくなっているのが現在だ。
 非常に腹立たしいが、そこまで計算の上だろう。
 アレは、そういう奴だ。ただそれは善意の計算じゃない。善意とかんなもんは生まれ持ってるかどうかも不明、その概念すら思考の中に入ってるかも怪しいからありえない。

 アレはただ、暇つぶしの娯楽に一切の金を惜しまぬ道楽者なのだ。
 そして己がままに振る舞うことを許された権力者でもある。
 つまりまぁ……厄介以外の何者でもない。

 今日も見事に日常業務から逃走してサボりまくっている空の上のアレを苦々しく見上げ、青年は大きく息を吸い込んだ。
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