7.浮かぶ海(2/3)
文字数 2,223文字
「すごーい……」
小さな呟きに視線を下ろすと、フォルテのまあるく見開かれた目が、海よりもなお輝いていた。
「ホントあっという間なんだな。俺も初めて見たけどさ」
「私も、実際見るのは初めてだわ」
スカイに続いて、デュナも頷く。
そっか。私だけじゃなくて、ここにいる皆が初めて見る光景だったんだ。
今日、この丘の上で、皆揃って同じ景色を見られた事が、何だか無性に嬉しかった。
「それじゃあ、浮海について説明するわね」
空に浮かんだ海を横目に、デュナが講義を再開しようとする。
それを、またもスカイが遮った。
今度はお腹の音で。
「……」
皆の視線を受けて、スカイの額にうっすらと汗が浮かぶ。
「えーと……、そ、その前に、お昼にしないか?」
「はぁ……しょうがないわね」
スカイの引きつった笑顔にデュナがわざとらしくため息をついて、苦笑いを返す。
それを合図に私は手元に引き寄せたバスケットを開く。
と、いつもならここでフォルテが両手を差し出して、それに私がお皿を乗せて、皆に配ってねと頼むところなのだが……。
さっきまで夢中で空を見上げていたはずのフォルテを振り返ると、
その背中は、まだ先ほどと変わらずそこにあった。
フォルテは何かに夢中になると、全然周りの声が聞こえなくなっちゃう子だからなぁ……。
自分の事は棚上げしつつ声を掛ける。
「フォルテ、ご飯食べるよー」
私の声に、一瞬ビクッと小さな肩を震わせてから、慌ててこちらへ方向転換をするフォルテ。
「あっ」
その途中で小さな悲鳴をあげて、こちらへ近付きつつあったフォルテが途端に遠ざかる。
「フォルテ!!」
よく見れば、遠ざかりつつあるのは頭で、足元はこちらに残ったままだ。
つまり、フォルテは丘の向こう斜面へ背中から倒れようとしていた。
助けを求めるように、宙へ伸ばされた小さな手。
それを目掛けて思い切り地を蹴る。
後ろのバスケットがどうなったかを確かめる余裕は無い。
夢中でフォルテの手を掴んで、一気に自分の胸へと引き寄せる。
ふわふわのプラチナブロンドをがっちり抱き寄せて、やっと視線をその奥へ投げると
まばらに針葉樹を散らした急な斜面が、その終わりまではっきり見えていた。
姿勢は既に水平に近かったが、
私達の頭は、足の位置よりもさらに下へと重力に引かれて落下してゆく。
「ラズっ!!」
背後から聞こえたスカイの叫び声。
「ぐぇっ」
続いて私の口から漏れる、潰れたような声。
ガクンと音が聞こえそうなほど、急激に動きが止まった私の首には、2人分の体重がかかっていた。
「ふぅ。何とか間に合ったか……」
スカイが私のマントを掴んだまま、後ろで呟く。
待って、ごめん、今これ首すっごい絞まってるから、ホッとする前に何とか――……。
言い返そうにも、強烈に絞まった首元に気道を完全に塞がれて声も出せない。
目前に、急斜面。足元は依然として自分よりも高くて、このまま手を離されては顔面で斜面を滑り落ちるしかない気はするが、このままマントを掴まれていると、確実に死にそうだ。
「……実は、俺もこの体勢を保つのが精一杯なんだが、このままマントを思い切り引いてもいいか?」
いやいや、ダメだよ!!
今ですら首も背骨も限界なのに、そんなの、引っ張られた途端に首骨も背骨も私の意識も終わるよ。
額に浮かぶ大粒の脂汗。
「ラズ、顔、黒くて紫だよぅ……」
腕の中から、ラズベリー色の瞳がどこか怯えるように私を見つめる。
「以上の構成を実行!」
デュナの凛とした声が丘に響く。
その声に、全員がホッとする。
急激に発生した局地的な上昇気流が、私の嫌な汗を吹き飛ばしながら舞い上がった。
ドサッと、フォルテを抱いたまま後ろに倒れ込む。
背に受ける衝撃をそれなりに覚悟していたのだが、実際はスカイが下敷きになってくれたおかげでそうでもなかった。
はぁ……。吃驚した……。
一時はどうなることかと……。
帽子は家に置いてきたけど、マントだけでも着けてきてよか……った、の、かなぁ……?
私の上にうつぶせになったフォルテがぴょこんと跳ね起きる。
その気配に、ゆっくり目を開くと、遠近感が掴めないほどの真っ青な空が視界いっぱいに広がっていた。
「おい、ラズ、大丈夫か?」
地面から、私に潰されたままのスカイが心配そうに声をかけてくる。
うん。と返事をしようとして、途端に咳き込む。
咳に合わせて、首も背中も軋むような音を立てている。
うう、起き上がるの辛いだろうなぁ……。
絞められた前側も痛かったが、それより、グキッとなった後ろ側が強烈だった。
起きて、治癒かけないと……。
と、起き上がるべくお腹と首に力を入れかけた時、ふんわりとした笑顔で、フローラさんが視界に現れた。
「ラズちゃん、そのままでいいわよ~。首痛めちゃったでしょう……?」
すらりと細い指を揃えて、フローラさんが私の首に手をかざす。
「あ、でもスカイが……」
起き上がれないから、と続けようとした言葉が咳に変わる。
「スカイなら大丈夫よ」
と断言するデュナの声。
「おう、ラズくらい軽いもんだ」
それに返事をするように、背中から明るい声がする。
そうかなぁ。あんまり軽いほうじゃない気がするんだけど……。
ふと、スカイに背負われてこの丘に登った日の事を思い出す。
そっか。もう八年も前に、スカイは私を背負えたんだっけ。
なんだか急に、心配する必要がなくなった気がして、私はそのまま大人しく祝詞の終わりを待つ事にする。
デュナの声にほんの少しだけ首を傾けたせいか、真っ青な視界の端に今はチラチラと黒い布が見えていた。
小さな呟きに視線を下ろすと、フォルテのまあるく見開かれた目が、海よりもなお輝いていた。
「ホントあっという間なんだな。俺も初めて見たけどさ」
「私も、実際見るのは初めてだわ」
スカイに続いて、デュナも頷く。
そっか。私だけじゃなくて、ここにいる皆が初めて見る光景だったんだ。
今日、この丘の上で、皆揃って同じ景色を見られた事が、何だか無性に嬉しかった。
「それじゃあ、浮海について説明するわね」
空に浮かんだ海を横目に、デュナが講義を再開しようとする。
それを、またもスカイが遮った。
今度はお腹の音で。
「……」
皆の視線を受けて、スカイの額にうっすらと汗が浮かぶ。
「えーと……、そ、その前に、お昼にしないか?」
「はぁ……しょうがないわね」
スカイの引きつった笑顔にデュナがわざとらしくため息をついて、苦笑いを返す。
それを合図に私は手元に引き寄せたバスケットを開く。
と、いつもならここでフォルテが両手を差し出して、それに私がお皿を乗せて、皆に配ってねと頼むところなのだが……。
さっきまで夢中で空を見上げていたはずのフォルテを振り返ると、
その背中は、まだ先ほどと変わらずそこにあった。
フォルテは何かに夢中になると、全然周りの声が聞こえなくなっちゃう子だからなぁ……。
自分の事は棚上げしつつ声を掛ける。
「フォルテ、ご飯食べるよー」
私の声に、一瞬ビクッと小さな肩を震わせてから、慌ててこちらへ方向転換をするフォルテ。
「あっ」
その途中で小さな悲鳴をあげて、こちらへ近付きつつあったフォルテが途端に遠ざかる。
「フォルテ!!」
よく見れば、遠ざかりつつあるのは頭で、足元はこちらに残ったままだ。
つまり、フォルテは丘の向こう斜面へ背中から倒れようとしていた。
助けを求めるように、宙へ伸ばされた小さな手。
それを目掛けて思い切り地を蹴る。
後ろのバスケットがどうなったかを確かめる余裕は無い。
夢中でフォルテの手を掴んで、一気に自分の胸へと引き寄せる。
ふわふわのプラチナブロンドをがっちり抱き寄せて、やっと視線をその奥へ投げると
まばらに針葉樹を散らした急な斜面が、その終わりまではっきり見えていた。
姿勢は既に水平に近かったが、
私達の頭は、足の位置よりもさらに下へと重力に引かれて落下してゆく。
「ラズっ!!」
背後から聞こえたスカイの叫び声。
「ぐぇっ」
続いて私の口から漏れる、潰れたような声。
ガクンと音が聞こえそうなほど、急激に動きが止まった私の首には、2人分の体重がかかっていた。
「ふぅ。何とか間に合ったか……」
スカイが私のマントを掴んだまま、後ろで呟く。
待って、ごめん、今これ首すっごい絞まってるから、ホッとする前に何とか――……。
言い返そうにも、強烈に絞まった首元に気道を完全に塞がれて声も出せない。
目前に、急斜面。足元は依然として自分よりも高くて、このまま手を離されては顔面で斜面を滑り落ちるしかない気はするが、このままマントを掴まれていると、確実に死にそうだ。
「……実は、俺もこの体勢を保つのが精一杯なんだが、このままマントを思い切り引いてもいいか?」
いやいや、ダメだよ!!
今ですら首も背骨も限界なのに、そんなの、引っ張られた途端に首骨も背骨も私の意識も終わるよ。
額に浮かぶ大粒の脂汗。
「ラズ、顔、黒くて紫だよぅ……」
腕の中から、ラズベリー色の瞳がどこか怯えるように私を見つめる。
「以上の構成を実行!」
デュナの凛とした声が丘に響く。
その声に、全員がホッとする。
急激に発生した局地的な上昇気流が、私の嫌な汗を吹き飛ばしながら舞い上がった。
ドサッと、フォルテを抱いたまま後ろに倒れ込む。
背に受ける衝撃をそれなりに覚悟していたのだが、実際はスカイが下敷きになってくれたおかげでそうでもなかった。
はぁ……。吃驚した……。
一時はどうなることかと……。
帽子は家に置いてきたけど、マントだけでも着けてきてよか……った、の、かなぁ……?
私の上にうつぶせになったフォルテがぴょこんと跳ね起きる。
その気配に、ゆっくり目を開くと、遠近感が掴めないほどの真っ青な空が視界いっぱいに広がっていた。
「おい、ラズ、大丈夫か?」
地面から、私に潰されたままのスカイが心配そうに声をかけてくる。
うん。と返事をしようとして、途端に咳き込む。
咳に合わせて、首も背中も軋むような音を立てている。
うう、起き上がるの辛いだろうなぁ……。
絞められた前側も痛かったが、それより、グキッとなった後ろ側が強烈だった。
起きて、治癒かけないと……。
と、起き上がるべくお腹と首に力を入れかけた時、ふんわりとした笑顔で、フローラさんが視界に現れた。
「ラズちゃん、そのままでいいわよ~。首痛めちゃったでしょう……?」
すらりと細い指を揃えて、フローラさんが私の首に手をかざす。
「あ、でもスカイが……」
起き上がれないから、と続けようとした言葉が咳に変わる。
「スカイなら大丈夫よ」
と断言するデュナの声。
「おう、ラズくらい軽いもんだ」
それに返事をするように、背中から明るい声がする。
そうかなぁ。あんまり軽いほうじゃない気がするんだけど……。
ふと、スカイに背負われてこの丘に登った日の事を思い出す。
そっか。もう八年も前に、スカイは私を背負えたんだっけ。
なんだか急に、心配する必要がなくなった気がして、私はそのまま大人しく祝詞の終わりを待つ事にする。
デュナの声にほんの少しだけ首を傾けたせいか、真っ青な視界の端に今はチラチラと黒い布が見えていた。