5.姉弟(3/5)
文字数 2,778文字
キョロキョロと室内を見回すと、私達を確認して近寄ってくる風の精霊。
フォルテよりほんの少し大人びて見える顔立ちに、浅緑色をした腰までのサラサラストレートと、シンプルなワンピースのように見える服の裾を揺らすその姿は、間違いなく、あのローブの男が使役していた精霊だった。
精霊の少女は、こちらの会話を聞き取ろうと懸命に耳を傾けている。
おそらく、部屋の様子を見て、中での話を聞いて来いと言われているんだ。
「ラズ……?」
今この場で精霊が……と口には出せなかった。
あのローブの男は、まだ私が精霊を見ることができるのに気付いていない。
そうでなければ、不用意にこの子を送り出すこともなかっただろうし……。
「デュナ、手帳貸して」
白衣のポケットへとしまい込まれたばかりの手帳をもう一度手渡される。
どこでもすぐにメモが取れるようにと、デュナの手帳の背にはいつもペンが差されていた。
それを手に取ると、白紙のページにペンを走らせる。
【ローブの男が使ってた精霊が偵察に来てる】
私の手元を覗き込んでいたデュナの顔色が変わる。
筆談をしてきた私を見て、会話を聞かれていることも理解したのだろう。
パッと手帳とペンを取り上げると、すぐにこう書いて寄越した。
【後を追うわ。支度をして】
もし尾行に気付かれた時、デュナに、あの男ともう一度戦闘をするだけの体力があるのかが気になるところだったが、フォルテとスカイの居場所を知るこのチャンスをみすみす逃すわけにもいかない。
外していたマントと帽子を手早く身につける。
振り返れば、デュナも準備完了のようで、ウィンクをひとつ投げかけられた。
精霊はというと、私達の周囲をふわふわと飛び回っている。
どうやら、会話がされるのを待っているようだった。
自身が覚えられる程度の会話を聞き取るまで帰るつもりが無いのだろうか。
もちろん、相手が寝ていた場合は帰って来ていいだとか、何分待っても会話がなかったら帰ってくるだとか、そういう指示は受けているのだろうけど……。
「デュナ、ご飯食べよう」
「え?」
私の言葉に一瞬驚きを返すも。
「そうね、喉が渇いたわ」
と返事をしてくれた。
この後は、しばらく走る事になるだろうから、あまり沢山飲んだり食べたりはできないけれど、少しでもお腹に入れておこう。
今夜は長くなるかも知れない……。
作りかけていた四人分の食事から
二人分だけを注ぎ分けてテーブルに並べる。
もうほとんど冷めてしまっているスープを、温め直そうかほんの少し迷ったけれど、精霊がいつ外へ向かうか分からない以上、なるべく時間はかけないほうがいいだろう。
冷たい食事を並べても、デュナは嫌な顔をすることはなかった。
私達の周りをくるくる飛びながら、いつ会話が聞けるだろうかと真剣な面持ちで耳を傾けている浅緑色の精霊を、視界の端に常に入れつつ食事をする。
くたくたのデュナと、やはりくたくたで帰ってくるであろうスカイの事を考えて、今夜のメニューは、体に優しいスープリゾットを用意していた。
サイドメニューがまだ未完成だったが、それはこの際置いておこう。
食事を取りつつ、筆談をする。
テーブルの上には手帳から切り取られた紙が一枚乗せてあった。
あの精霊はいつも窓のあたりから出入りしていた。
それを追うのに、もたもた玄関まで回っていたら見失ってしまうだろう。
そう伝えると、デュナが【じゃあ私達も窓から出ましょう】と書いて、部屋の窓を開けに行った。
続けて、肩に風の精霊を二人呼ぶ。
飛び降りるときのクッション用だろう。
この部屋は二階にあった。
精霊達は、私達の住むこちらの世界の物質にほとんど影響を受けることなく動く事が出来る。
彼らに、私達の扉や壁といったものは意味が無かった。
【あの精霊、この町に来たときから度々私達の様子を見に来てたみたい】
戻ってきたデュナに紙を差し出す。
すると、こんな文字が返ってきた。
【そういえば、スカイも初日におかしな視線を感じたって言ってたのよね……】
宿に着いた時の事を思い出す。
そういえば、あの時確かにスカイは宿の斜め前の路地を見つめてそんな事を言っていた。
デュナに報告していたという事は、よっぽど気になる視線だったのか……。
考えながら、手元の皿にスプーンを下ろす。
カツンと皿の底に当たった音に視線を下ろすと、いつの間にかリゾットは空になっていた。
デュナも半分ほどを食べ終えている。水分はコップ三杯目になっていたが。
ふいに、精霊の少女がくるりと背を向けた。
慌ててそちらに顔を上げる。
私の仕草で気付いたのか、デュナがガタンと椅子を鳴らして席を立った。
その音に、こちらを見て小さく首を傾げた風の精霊が、もう一度反対側へ首を傾げ直して、そのままふわふわと外へ出て行く。開け放たれた窓から。
「行くわね!?」
「うんっ」
デュナの声に答えて、私達も窓へと駆け出す。
いつの間にか高く昇っていた明るい月が、小さな瓦が積み重なった家々を照らしている。
二階から一瞬だけ地面を見下ろす。
う……思ったより高い……。
精霊を見失わないように、もう一度視線で確認すると、やはり加速こそしないでくれるものの、その後姿は確実に遠ざかっていた。
バサッと白衣の裾を翻してデュナが華麗に飛び降りる。
そのまま、ふわりと地面に風の波紋を残して音もなく着地する。
迷っている余裕は無い。
私も、デュナに続いて二階の窓から外へと飛び出した。
光沢のある屋根瓦がキラキラと月の光を反射して、町のあちこちにともる灯とともに揺らめいている。
ほんの一瞬。まるで夜の海に飛び込んだかのような錯覚を受ける。
精霊の少女とは違って、そのまま平行には進めなかったが、重力の干渉を受けた私の足は、デュナの起こした風の助けを得て無事地面に降り立った。
「こっち!!」
浅緑色の長い髪を風になびかせながら、気持ち良さそうに夜空を飛ぶ精霊の少女。
その姿から、なるべく目を離さないようにして駆け出す。
私がここで見失ったらおしまいだ。緊張感にほんの少し息苦しくなる。
ぐねぐねとした細い通りを精霊を見上げながら走る。
途中で何度も柱や物陰にぶつかりそうになる。
もうちょっと降りてきてくれたらいいのに……!
精霊は、私達の事などまるでお構いなしに、部屋を出た高さのままで飛び続けていた。
三段ほどの階段を飛び降りて、小さな公園を突っ切る。
デュナには見えていないのだから、私がデュナより前に行くしかないと分かってはいても、曲がり角を曲がる度、曲がった先にあの男が待ち構えていたら……という恐怖心が繰り返し私の足を止めようとする。
そんな自分の弱さと必死で戦っていると、デュナが後ろからぽんと帽子を叩いた。
「大丈夫よ」
何が、とは言われなかったが、それだけで一気に視界が広がったような気になる。
うん、大丈夫。スカイとフォルテがきっと私達を待ってる!!
そう思うと、足まで軽くなったような気がした。
フォルテよりほんの少し大人びて見える顔立ちに、浅緑色をした腰までのサラサラストレートと、シンプルなワンピースのように見える服の裾を揺らすその姿は、間違いなく、あのローブの男が使役していた精霊だった。
精霊の少女は、こちらの会話を聞き取ろうと懸命に耳を傾けている。
おそらく、部屋の様子を見て、中での話を聞いて来いと言われているんだ。
「ラズ……?」
今この場で精霊が……と口には出せなかった。
あのローブの男は、まだ私が精霊を見ることができるのに気付いていない。
そうでなければ、不用意にこの子を送り出すこともなかっただろうし……。
「デュナ、手帳貸して」
白衣のポケットへとしまい込まれたばかりの手帳をもう一度手渡される。
どこでもすぐにメモが取れるようにと、デュナの手帳の背にはいつもペンが差されていた。
それを手に取ると、白紙のページにペンを走らせる。
【ローブの男が使ってた精霊が偵察に来てる】
私の手元を覗き込んでいたデュナの顔色が変わる。
筆談をしてきた私を見て、会話を聞かれていることも理解したのだろう。
パッと手帳とペンを取り上げると、すぐにこう書いて寄越した。
【後を追うわ。支度をして】
もし尾行に気付かれた時、デュナに、あの男ともう一度戦闘をするだけの体力があるのかが気になるところだったが、フォルテとスカイの居場所を知るこのチャンスをみすみす逃すわけにもいかない。
外していたマントと帽子を手早く身につける。
振り返れば、デュナも準備完了のようで、ウィンクをひとつ投げかけられた。
精霊はというと、私達の周囲をふわふわと飛び回っている。
どうやら、会話がされるのを待っているようだった。
自身が覚えられる程度の会話を聞き取るまで帰るつもりが無いのだろうか。
もちろん、相手が寝ていた場合は帰って来ていいだとか、何分待っても会話がなかったら帰ってくるだとか、そういう指示は受けているのだろうけど……。
「デュナ、ご飯食べよう」
「え?」
私の言葉に一瞬驚きを返すも。
「そうね、喉が渇いたわ」
と返事をしてくれた。
この後は、しばらく走る事になるだろうから、あまり沢山飲んだり食べたりはできないけれど、少しでもお腹に入れておこう。
今夜は長くなるかも知れない……。
作りかけていた四人分の食事から
二人分だけを注ぎ分けてテーブルに並べる。
もうほとんど冷めてしまっているスープを、温め直そうかほんの少し迷ったけれど、精霊がいつ外へ向かうか分からない以上、なるべく時間はかけないほうがいいだろう。
冷たい食事を並べても、デュナは嫌な顔をすることはなかった。
私達の周りをくるくる飛びながら、いつ会話が聞けるだろうかと真剣な面持ちで耳を傾けている浅緑色の精霊を、視界の端に常に入れつつ食事をする。
くたくたのデュナと、やはりくたくたで帰ってくるであろうスカイの事を考えて、今夜のメニューは、体に優しいスープリゾットを用意していた。
サイドメニューがまだ未完成だったが、それはこの際置いておこう。
食事を取りつつ、筆談をする。
テーブルの上には手帳から切り取られた紙が一枚乗せてあった。
あの精霊はいつも窓のあたりから出入りしていた。
それを追うのに、もたもた玄関まで回っていたら見失ってしまうだろう。
そう伝えると、デュナが【じゃあ私達も窓から出ましょう】と書いて、部屋の窓を開けに行った。
続けて、肩に風の精霊を二人呼ぶ。
飛び降りるときのクッション用だろう。
この部屋は二階にあった。
精霊達は、私達の住むこちらの世界の物質にほとんど影響を受けることなく動く事が出来る。
彼らに、私達の扉や壁といったものは意味が無かった。
【あの精霊、この町に来たときから度々私達の様子を見に来てたみたい】
戻ってきたデュナに紙を差し出す。
すると、こんな文字が返ってきた。
【そういえば、スカイも初日におかしな視線を感じたって言ってたのよね……】
宿に着いた時の事を思い出す。
そういえば、あの時確かにスカイは宿の斜め前の路地を見つめてそんな事を言っていた。
デュナに報告していたという事は、よっぽど気になる視線だったのか……。
考えながら、手元の皿にスプーンを下ろす。
カツンと皿の底に当たった音に視線を下ろすと、いつの間にかリゾットは空になっていた。
デュナも半分ほどを食べ終えている。水分はコップ三杯目になっていたが。
ふいに、精霊の少女がくるりと背を向けた。
慌ててそちらに顔を上げる。
私の仕草で気付いたのか、デュナがガタンと椅子を鳴らして席を立った。
その音に、こちらを見て小さく首を傾げた風の精霊が、もう一度反対側へ首を傾げ直して、そのままふわふわと外へ出て行く。開け放たれた窓から。
「行くわね!?」
「うんっ」
デュナの声に答えて、私達も窓へと駆け出す。
いつの間にか高く昇っていた明るい月が、小さな瓦が積み重なった家々を照らしている。
二階から一瞬だけ地面を見下ろす。
う……思ったより高い……。
精霊を見失わないように、もう一度視線で確認すると、やはり加速こそしないでくれるものの、その後姿は確実に遠ざかっていた。
バサッと白衣の裾を翻してデュナが華麗に飛び降りる。
そのまま、ふわりと地面に風の波紋を残して音もなく着地する。
迷っている余裕は無い。
私も、デュナに続いて二階の窓から外へと飛び出した。
光沢のある屋根瓦がキラキラと月の光を反射して、町のあちこちにともる灯とともに揺らめいている。
ほんの一瞬。まるで夜の海に飛び込んだかのような錯覚を受ける。
精霊の少女とは違って、そのまま平行には進めなかったが、重力の干渉を受けた私の足は、デュナの起こした風の助けを得て無事地面に降り立った。
「こっち!!」
浅緑色の長い髪を風になびかせながら、気持ち良さそうに夜空を飛ぶ精霊の少女。
その姿から、なるべく目を離さないようにして駆け出す。
私がここで見失ったらおしまいだ。緊張感にほんの少し息苦しくなる。
ぐねぐねとした細い通りを精霊を見上げながら走る。
途中で何度も柱や物陰にぶつかりそうになる。
もうちょっと降りてきてくれたらいいのに……!
精霊は、私達の事などまるでお構いなしに、部屋を出た高さのままで飛び続けていた。
三段ほどの階段を飛び降りて、小さな公園を突っ切る。
デュナには見えていないのだから、私がデュナより前に行くしかないと分かってはいても、曲がり角を曲がる度、曲がった先にあの男が待ち構えていたら……という恐怖心が繰り返し私の足を止めようとする。
そんな自分の弱さと必死で戦っていると、デュナが後ろからぽんと帽子を叩いた。
「大丈夫よ」
何が、とは言われなかったが、それだけで一気に視界が広がったような気になる。
うん、大丈夫。スカイとフォルテがきっと私達を待ってる!!
そう思うと、足まで軽くなったような気がした。